心の奥底の願い
「どうしてだ?」
思わず首を傾げるカルロス。ルーティアは辺りに人が居ないことを確認すると、悲しげに重い口を開いた。
「先日、エスナ様を占った時・・・エスナ様の選択次第では御命に危険が及ぶと出ていたの・・・」
とても小さな声で語られたルーティアの抱えていた重い重い悩み。事の重大さに、カルロスは声量を抑えつつも驚いていた。そして、ルーティアの問いに答えようと、必死に考えていた。
「・・・俺がセイ様のお立場だったら婚約者のそんな危険な未来は教えて欲しいと思う・・・」
カルロスの導きだした答えは知りたいというものであった。
「それにさ、ルーティア」
ルーティアは真剣にカルロスの意見を聞こうと顔を見上げた。
「もしも・・・もしもだよ?セイ様にお伝えしなかった場合に良くないことが起こったら、きっとルーティアは後悔をしてとても悲しい思いをすると思う」
カルロスの言う事は的確で正しいと感じた。杞憂に終わればと願っていて、話さなかった時の事を考えていなかった。ルーティアは祈る手を額にコツンとつけると、溜まっていた胸のつかえを吐き出すようにゆっくりと息を吐いた。
「ありがとう、カルロス・・・」
伝える、伝えないではない。伝えなければならない―そう気付かせてくれたカルロスに心からお礼を言った。どんな結果を迎えたとしても、罪の意識を感じたまま生きていかなければならなかったかもしれない。
決心をしたルーティアはセイの部屋へと向かおうと再び歩み始めた。その背中にカルロスが声をかける。
「ルーティア・・・聞いても良いか?」
歩き始めたルーティアが「何?」と銀糸の髪をなびかせながら振り返った。そして、小首を傾げたままカルロスの言葉を待つ。カルロスは少々躊躇いがちに言葉を続けた。
「あのお方を完全に諦めきれたのか?」
その質問はルーティアを悲しげに微笑ませただけだった。
「分からないわ・・・でも、努力はしているの」
ルーティアはかつて片思いをしていた。その片思いは実る事は無く、想い人は婚約をし直に結婚する。想い人との未来が重なり繋がって傍らに居られることはないと諦めてはいるのだが、片思いの時間が長かった為か「恋」する気持ちはなかなか薄れてくれない。早く想いを断ち切り、心からの祝福を贈れるようになりたいと祈るばかりだ。
「そうか。それでもいつまででも俺はルーティアを待っているよ」
カルロスはルーティアに一歩近づくと、彼女の頭を撫でた。そのまま手を髪に沿って下ろしていき、サラサラとした銀糸の髪を手に取ると例のように口付けた。
「それはカルロスに失礼だわ」
珍しく怒らずにカルロスの行動を見ていたルーティアは、ゆっくりと瞳を閉じて左右にゆっくりと頭を振った。
「そう思ってもらえるだけ十分さ」
怒ってみせても、真剣に相手の事を考えてくれていたルーティア。カルロスは正直嬉しかった。ルーティアの髪を手からサラサラと流していく。
「さ、セイ様にご報告に行ったら良い。俺は待てる時間までここに居るから」
カルロスは廊下の壁に寄りかかるとルーティアを見送る事にした。
「ありがとう・・・カルロス」
別に本当の意味でカルロスを嫌だとか思っている事は全く無い。軟派な男性だとも本当は思っていない。それでも、胸に灯る小さな恋の残り火と新たな恋の種火。こんな中途半端ではまだカルロスへの恋の種火を大きくはしてはいけないと考えていた。
***
夕刻の迫る魔族の城。城内は早々と灯りが灯され歩くには苦労はない。フォレストはワインの瓶を片手に持ちクライアンの部屋の扉の前へと来ていた。扉を叩こうかフォレストが悩む間も無く中から声がかかった。
「入ったらどうだ?」
クライアンの声にフォレストは破顔すると扉を空けて入室する。窓でも開けているのだろうか、柔らかな風がフォレストの頬を撫でて行く。
「出陣前に珍しいな」
声のする方にフォレストは視線を向ける。そこには長い銀糸の髪を纏めること無く背に流し、黄金色の瞳を細めて親友の来訪を嬉しそうに微笑むクライアンがソファに座って居た。
「確かにそうだな。少し付き合ってもらえるか?」
フォレストは手に持っていたワインの瓶を顔の高さまで上げると苦笑してみせた。
「ああ、構わんよ」
親友の様子に何かを感じ取ったのか、クライアンは頷きソファから立ち上がった。部屋の片隅に置かれている棚から、ワイングラスを2つ持ってくるとテーブルの上に置いた。フォレストはクライアンの向かいに座ると、置かれたグラスに酒を注いでいく。
「どうした?」
コトリとワインの瓶をテーブルに置き、ワイングラスをクライアンへと差し出し渡す。
「落ち着かなくてな・・・」
呟く様に答えるとゆっくりとした動作で、窓辺を見遣るフォレスト。視線の先には開け放たれた出窓。そこには美しい大輪の花を抱えた幼さを残す少女の小さな肖像画が立てかけられていた。その横には少女の抱える花と同じものが花瓶に生けられている。更に、肖像画の前にはクライアンが、いつも髪を結わえているリボンが丁寧に折りたたんで置かれていた。それは彼女の遺品でもあった。
「クライアン、グラスをもう一つ」
フォレストの言葉にクライアンはグラスをもう一つ取りに行く。
「いつかはこうしてグラスを交わしたかったな・・・」
呟きながらフォレストは受け取ったグラスに酒を注ぎ、少女の肖像画の前に置いた。
「そうだな」
クライアンは親友の言葉に悲しげに微笑んでソファーに深く座り込むと、グラスの酒を少し口に運びテーブルに置く。
「随分と長い時が経ってしまったような気がするな・・・」
昔を懐かしむようなフォレストの声音。クライアンは肖像画の少女と同じ黄金の瞳をゆっくりと閉じた。
「生きていたら妹は―クレアはお前と一緒になっていたかもしれないな」
肖像画の少女の頬の線を、そっとなぞるようにフォレストは触れた。
「ああ。きっとそうだったと思う」
お前が許可をくれていたらな。と、フォレストが苦笑しながらもしっかりと頷く。
「フォレスト、座れよ?」
クライアンもまた「許さない訳ないだろう」と言いたげに苦笑を浮かべながらフォレストに座るように促す。クライアンの視線を受けながら向かいのソファーに腰掛けるフォレスト。その目は何処か遠い所を見ているかのようにぼんやりとグラスの酒を眺めていた。
「クレアが生きていた頃は3人で楽しかったな」
フォレストはグラスを手に取り、中身を転がすようにゆっくりと回す。
「何を言い出すんだ、いきなり?」
クライアンはグラスの酒を口に運びながら不思議そうに親友に尋ねる。だが、親友は少し悲しげに微笑んだままであった。その笑みに昔を思い出さずにはいられなかった。そう、確かにクレアの居た頃は楽しく毎日が充実していた。
クライアンはゆっくりと自分の楽しくも辛く悲しい記憶を紐解いていった。