心の奥底の願い
カルロスは優しく微笑むと、ルーティアの髪の一房を手に取り髪に口付けた。さらり、と、カルロスの手から流れていくルーティアの髪。カルロスの行動に顔を赤らめながらも、ルーティアは警戒心を剥き出しにしながら数歩下がった。
「忙しい時にからかわないで頂戴!」
何時もの物静かなルーティアは何処へやら、カルロスに文句を言い放った。
「からかってなんかないさ。ルーティアへの気持ちは真剣なものだよ」
自分の気持ちを認めてくれないルーティアに、カルロスは真剣な面持ちで答えた。カルロスがルーティアを好きになり告白したのだが、どうも浮気な人間と勘違いされているようなのである。だが、最近顔を赤くしてくれる所をみると、意識し始めてくれているのかもと希望が見えて少し嬉しい。
「それにしても、こんな所でどうしたんだ?」
普段は騎士達の行き交う城の区画に現れる事の滅多に無いルーティア。その彼女がこんな所に居るとは珍しい。
「セイ様になるべく早くお伝えしておきたいことがあるの・・・」
カルロスは胸ポケットから懐中時計を出し時間を見てくれた。
「セイ様は今は王宮の執務室で忙しくされている頃だろうと思うよ?魔族の動きがあるから会議も控えているしな」
カルロスの言葉にルーティアの表情があっという間に暗くなる。悲しげに城の奥へ通じる通路を眺め見てぽつりと呟いた。
「戦いが始まるのね」
ルーティアは瞳を閉じると胸の前で祈るように手を組んだ。
「ああ・・・始まる。そして、マーグメルド様の御子であらせられるアクラスの姫君も、結界内とはいえお目覚めになられているしな。ここ最近で一番の戦いになるだろう」
至高の宝石と呼ばれ自らを結界に閉じ込めた女神の血を引く唯一人の少女。彼女は彼女に恋する男性騎士の奇跡により、永い眠りから目覚めた。ルーティアは瞳を閉じた。
「目覚めた女神の力を魔王や四天王は感じ取っているはずだわ。優しい力が微かにアクラス内に満ちているもの・・・」
能力に長けた者しか感じられない程の女神の力。ルーティアはその力を感じ取るようにゆっくりと瞳を開けると、微笑みながらカルロスを見上げた。
「私は・・・姫様には幸せになって頂きたいわ。今までご自分の事は後回しにしてきた御方なのですもの」
今もなおその身を結界内に置き、結界から出る事を恐れている。その少女が幸せになろうとしているとしているのを誰が咎めるだろうか。
「そうだな、それは皆が願っている事だよ」
カルロスもまた極上の笑みをルーティアに向けた。そして、愛しさからルーティアをそっと抱き締めた。もちろん本気で嫌がったら逃げられる位の力加減で。
「ルーティアは優しいな」
ルーティアの耳元で囁くカルロス。それはカルロスの心からの想いだった。だが、ルーティアが大人しくしている訳はなく。
「ちょっと!カルロスっ!!公衆の面前で何するのよ!!」
ありったけの力でルーティアは真っ赤になりながらカルロスの胸を突き放した。そして周囲を見渡し、人通りが丁度途切れていて静かなことに安堵する。
「はははっ!」
楽しげに笑うカルロスだったが、すぐに表情を真剣なものへと変えた。
「けどさ・・・」
「けど・・・?」
ルーティアはカルロスの様子に少々驚いたのか、すぐに冷静さを取り戻して少しずつ曇っていく顔を真剣に見上げた。
「姫君一人が『至高の宝石』だからというだけで、自分の人生を犠牲にするという事はおかしいもんな」
姫君に恋した少年が目指したのは傍に居られる親衛隊だった。その少年が青年になり努力を実らせ親衛隊に就くとあっというまに頭角を表し、親衛隊の隊長まで上り詰めていた。その隊長が硬い殻に閉じこもった姫君の心に言葉を届け奇跡を起こしたのだった。目覚めた今、天の民は皆不幸な姫のこれからを幸せにし守りたいと願っている。
「そうね。結界からお出になる決心がつけばいいのだけれど」
ルーティアは銀色の瞳を悲しげに伏せた。
と、その時の事だった。ルーティアの背後から数人の慌ただし気な声と足音が聞こえてきた。
「ここに居たのかカルロス!」
「何かあったのか?」
カルロスの声と共に振り返ると、カルロスと同じ親衛隊の者が3人向かってきた所だった。3人のうち一人の銀髪の青年がルーティアの前に立ちお辞儀をすると、他の騎士もそれに見習いお辞儀をする。
「ルーティア殿騒がしく致しまして大変失礼致しました」
「今はお忙しい時、気になさらないで下さい」
ルーティアもまた騎士達を見習い、女性らしい柔らかいお辞儀を返した。
「おい、レリック」
待ちかねたカルロスは銀髪の青年の名前を呼んだ。
「そう急かさなくてもちゃんと言うよ」
レリックは嬉しそうに微笑んだ。その微笑みにルーティアは驚いた。戦いを前にして通りすぎる騎士達は真剣な面持ちで悲しみすら感じるのに、カルロスの同僚に限ってはとても暖かな雰囲気を感じる。
「姫君が結界からお出になられたんだよ!」
「本当か!?」
驚くカルロスの肩を叩き、レリック達親衛隊員は満面の笑みを浮かべた。
「こんな時に嘘ついて何になる。本当だよ」
嬉しい知らせにルーティアの瞳からは涙が溢れそうになっている。細い指先で溢れてきた涙を拭うように軽く目を抑えていた。
「数刻後には会議の他に、姫君のお披露目の打ち合わせも入るぞ」
分かったとばかりにカルロスは頷いた。
「ルーティア殿には妃殿下より都合がついたら来てほしいと、伝言を言付かっております」
「はい、確かに伝言承りました」
いつの間にか持っていたハンカチで涙を綺麗に拭うと微笑んだ。
「じゃ、カルロス。俺達は他にも伝達しないとならないから行くぞ。会議が先だから遅れるなよ」
「分かったよレリック」
カルロスとルーティアは慌ただしさを増してきた廊下でレリック達を見送った。そして一息つき、ルーティアは当初の目的を思い出すと、良い事があったばかりなのにどんどん気が重くなってゆく。
カルロスはルーティアの様子にすぐ気付いた。
「さて、ルーティアのセイ様にお伝えしたい事をまずは済ませてしまうか?」
ルーティアの肩にそっと手を置き、彼女にしか聞こえないように囁いた。
「え?一緒に来てくれるの?」
驚いた表情のルーティアに微笑み返すと、ゆっくりと頷いた。
「話の内容を聞く訳にもいかないから部屋の外までな?」
「それでも・・・私には助かるわ」
様々な感情が渦巻くルーティアの胸の中。ルーティアはざわつく心の内を宥めるようにゆっくりと歩き出した。
城の王族の執務室がある一角に二人は辿り着いていた。ここまで来ると入ってこれる者は決まっているので、途端に人通りが少なくなる。と、同時にルーティアは自分の緊張が高まったのを感じた。ルーティアにとってこの場所は来慣れた所であるはずなのに、いつもとは全く違う印象を受ける。それは、自分の心に複雑な問題があるのだと分かっていた。
ルーティアは歩みを止めると、胸の前で両手を祈るように組んだ。
「ルーティア?」
カルロスは心配そうにルーティアの様子を窺った。ルーティアは不安気にカルロスを見上げると眉を潜めた。
「ね、カルロス・・・私、セイ様にこの事をお伝えして良い物か、正直悩んでいるの」