心の奥底の願い
当時、クライアンとクレアの兄妹は人間の国で普通に暮らしており、両親は医師の仕事をしており何不自由ない暮らしをしていた。だが噂で耳にしていた魔族の迫害が国内でも徐々に始まってきていた。クライアン一家が矛先が向けられる前に逃げようと準備を進めていたその最中の事だった。武器を手にした人間が屋敷に押し入ってきたのである。
両親は慌てて子供達を逃した。急き立てられるままに、クライアンはクレアの手を引いたまま必死に走った。国を出て森に入り込むとようやく走るのを止めて歩き始めた。
数日間その森に潜伏していたが、クレアが寝ている間に様子を見に人目を避けて家に戻ったクライアンは信じられない光景を目にしていた。荒らされた家。踏み荒らされた庭の花々。その庭にまるで罪人を晒すかのように並べられた血だらけの両親の亡骸。クライアンは胸の奥底から湧き上がる怒りを抑えながらクレアの元へと戻った事を覚えている。自分はクレアを両親から頼まれている。クライアンは心に決めた。今はやることがある・・・そして自分が大人になった暁には――。
翌日からクライアンはクレアの手を引き森の中を進み、あてもなくさまよい歩いていた。幸い泉も果木もあり食べるには困らなかったが、何処を目指していいのか分からなかった。いくつもいくつも森を抜け、クレアが疲れたからと休憩していた時の事だった。
「どうした?」
ガサガサと草を掻き分けながらクライアンと同じ年位の少年が現れた。
「道分からなくなったのか?」
当然クライアンもクレアも警戒し、逃げられるように腰を浮かす。その様子に少年はポリポリと頭を掻いて、どうしたら良いのかと考えあぐねている様子だった。その時だった、頭を掻く少年の耳の先端が尖っているのを、クライアンは見逃さなかった。
「もしかして・・・魔族・・・か・・・?」
クライアンの質問に、少年はさらりと答えた。
「そうだ。魔族だよ」
少年は兄妹をじっくりと眺めると、紫水晶の様な瞳を細めて笑った。
「なんだ、仲間じゃないか」
じっとクライアン兄妹を見つめ少年は言った。と、同時に兄妹の今の状況を悟ったようで、どうするべきかを決めた。
「行くあてがないのなら付いておいで。君達と同じ様な子供達の面倒を見てくれる孤児院がある。俺もさまよい歩いて倒れていた所を助けてもらったんだ」
行く宛も無いクライアン兄妹は付いていくことにした。このままさまよい歩いていても仕方が無い事は分かっていたから。クライアン達が立ち上がると、少年は嬉しそうに笑った。
「俺はフォレストよろしくな」
差し出された手を取り自己紹介と握手を交わす。
この日を境にクライアン兄妹の環境はがらりと変わった。フォレストの連れて行ってくれた孤児院は人間夫婦の経営しているものであったが、院に身を置いている子供達は魔族と魔族のハーフはもちろん純粋な人間の子供が、別け隔てなく平等に育てられ暮らしていたのである。ただ、一つだけ約束事があった。近くの村には絶対に近付かないと言う事。子供達は子供達なりに訳を理解していたから約束を破る者は居なかった。
孤児院の側には魚の居る川も綺麗な泉も果木もあり、畑には様々な野菜が育てられていた。その他に院長夫婦を支持してくれている人が時々訪れ、食料や布等様々な物を置いていってくれる。夫婦は年齢や性格に応じて仕事を与え、慎ましくも楽しい大家族の様な日々が過ぎていった。魔族迫害という戦禍は何処か遠くの世界の事と思えるほどに。
数年が過ぎても3人は変わらず一緒に行動していた。少し変わったといえば、クレアが子供らしさをまだ残してはいるものの、美しい少女になりつつあるという事だろうか。必然的にクレアとフォレストの意識は変わっていく。
―が、外界での魔族迫害は激しさを増していた。それは着実に孤児院にも近づいて来ていたのである。
ある日の早朝、孤児院に近隣の村人が火を放った。人間の子供も居るが魔族を殺せるなら小さな犠牲も致し方ないと。
「火事だ!早く逃げろ!!」
院長の声に飛び起きる子供達。院長夫婦は必死に子供達を逃した。クライアン達もまた自分よりも小さな子供達の面倒を見ながら孤児院から庭へと飛び出る。
最後に院長夫婦が出てきたが・・・村人達に罵倒を浴びせかけられながら切りつけられ、子供達の目の前で無残な殺され方をした。
「父様!母様!」
叫び走り出そうとする子供達。それを囲むように遮ったのは大勢の村人だった。にやにやと残忍な笑みを浮かべている。クレアは怯える子供達を背に庇った。
「殺れ!」
『クレア!!』
クライアンとフォレストの叫び声は、村人の号令と同時だった。振り上げられた剣に斬られ、ぐらりと揺れるクレアの体からは鮮血が飛び散る。生命力の高い魔族だからと、倒れたクレアの体を何度も何度も突き刺す。その光景は酷くゆっくりで、まるで現実では無い様に思えた。実際クレアの側に走って行こうにも、なかなか辿り着かなかったのだから。
フォレストとクライアンは自分達なりに訓練をしていたから、襲いかかる村人から幼い子供達も守ろうとした。だが、多勢に無勢。気付けは生き残っていたのは自分達だけだったのである。惨状を見たその時、クライアンとフォレストの中で何かがはじけた気がした。魔族としての残忍な部分が解放されたのかもしれない。襲ってきた村人と、村自体も全滅させていたのだから。
それから二人で皆の遺体を皆の好きだった庭に埋葬した。皆を埋葬し終えると、二人は生気のない様子で墓をみていた。どれほどの時間そうしていたのかは分からない。ただ、一人の青年に声を掛けられて時間が動き出した事を覚えている。
その青年は後の魔王と恐れられる人物だった。誘われるままに付いて行き、殺戮を繰り返し・・・気付けば魔族の国の四天王にまでなっていた。
「四天王・・・か」
現実に戻ってきたクライアンはポツリと呟いた。
「私達の歩いてきた道は正しかったのか・・・?」
フォレストに問われクライアンはすぐに答える事は出来なかった。主君に忠誠を誓い魔族の残酷な本能に身を任せ、自分達は正しい事をしていると疑わず殺戮を繰り返した。無抵抗の者も女子供も老人も殺した。『今』それらが正しかったのかと問われれば・・・。
「俺にも分からない」
クライアンは眉を顰めた。
「だが、あの時の俺達にはこの道しか無かったと思う」
クライアンの答えに、フォレストはグラスの酒を一気に煽る。
「ああ・・・」
コトリと、グラスを置く音がやけに部屋に響いた。
「でなければ、今の私達は居ないだろう」
フォレストは自虐的な笑みを浮かべると、ソファーの背凭れにゆっくりと体を沈めた。
暫しの静寂の後、開け放たれた窓からふわりと風が入ってくる。揺れるカーテンと同じ流れに乗って室内には生けられた花の花弁と香りが舞う。
「クレアの好きな花だな」
ゆっくりと瞳を閉じながらフォレストは呟く。
「季節があるから手に入る時期しか無理だが、なるべく好きな花を手向けてやっている」
クライアンは写真立ての方に視線を動かしながら微笑んだ。
その様子を見ていたフォレストは懐中時計を出し時間を確認する。