心の奥底の願い
「だからお願い・・・治療させて欲しいの」
「・・・・・・」
エスナは何か自分でもはっきりしない心の奥底の気持ちを、言葉に包み込む様にしてフォレストに向けた。反して無言のフォレストの様子に感じる胸の痛みにエスナは思わず眉を潜める。
エスナが悲しげに見えたのか、フォレストは小さく溜息を吐くと口を開いた。
「勝手にしろ・・・」
フォレストは大人しく横になると、そのままエスナを見上げた。
「本当に変な女だな」
苦笑交じりにフォレストは呟く。苦笑とはいえ初めて見せてくれた笑みにエスナは何だか嬉しくなった。そしてフォレストの呟きにエスナは優しく微笑むと、形の良い唇に人差し指を充て視線を合わせた。
「女じゃないわ、「エスナ」っていう立派な名前があるのよ。少しじっとしていてね」
そのままエスナは治療に専念し始めた。詩のような美しい上級回復魔法の呪文の詠唱が始まる。エスナがフォレストの傷に向けて白銀の柔らかい光を放つ手をかざしていく。
フォレストはその静かな時間の間、エスナの額に浮かび上がる汗に彼女も相当の無理をしている事に気付いた。だが、彼女のまつげの長さや肩からさらさらと流れるセミロングの髪、神秘的な様子にフォレストは魅入ってしまっていた。
「終わりよ、起きてみてくれるかしら?」
エスナは額の汗を拭いながら微笑んだ。その声にはっとして、フォレストは促されるままに起き上がる。起き上がり始めに体の痛みが消えている事に気付く。
「どう?」
エスナの問いに、うっすらと傷痕が残るまでに回復した腕を軽く動かして改めて聖騎士団の名は伊達ではないなと思い知らされた。
「ああ、大丈夫みたいだ。ここまで回復するとはな」
問われた質問にフォレストは正直に答えていた。体の様子を見ているフォレストを正面に、エスナは座り直した。
「この間の傷薬のお礼もあるのだけれど、今日はありがとう・・・部下に過ちを犯させないでくれて・・・。ありがとう・・・村と子供を助けてくれて・・・」
そう言うとゆっくりと頭を下げた。さらさらと肩から髪が流れ、洞窟内の微かな風に揺らめく。
「私にも助けたいと思う時はあるものだ。別にお前の部下を助けた訳ではないから、礼はいらない」
ゆっくりとフォレストの言葉に驚いた顔を上げるエスナ。なんとも嬉しそうにエスナは微笑んだ。
「・・・チッ!」
フォレストはエスナの様子に舌打ちした。
フォレストはこの時初めて自分の心の奥底に眠る「何か」に気付いてしまっていた。イライラした様子でフォレストは自身の長い髪を掻き上げる。
「お前のする事全てが不愉快だ・・・」
「―えっ?」
それは言葉と同時の事だった。フォレストは目の前に居るエスナの腕を掴み強引に引き寄せると、驚いた様子のエスナの唇を奪った。暫し訪れる静かな時間に、ゆっくりと離されていく唇。エスナの瞳からは涙が溢れていた。
「ほら、お前はそうやって私を困らせ不愉快にする」
フォレストは悔しげに眉間に皺を寄せながら、それでも大切な物を扱うかのように優しくエスナを抱き寄せる。
「どうして・・・どうしてこんなっ!」
フォレストの腕の中でエスナは声を震わせていた。
「エスナ・・・お前を愛しているからだ。私自身認めたくなかったようだったのだがな・・・」
初めてフォレストから呼ばれる名前。エスナの胸に甘い痛みが走る。そしてフォレストと同じく、今まで目を背けていた心の奥底の気持ちを認めたエスナは彼を見上げた。
「私には婚約者が居るのよ?」
辛そうにエスナは瞳を細めた。その間にも、絶えず涙は頬を伝っていく。フォレストはエスナの涙を指でそっと拭うと、今までに見せたことの無い柔らかな微笑みを浮かべた。
「お前自身気付いているのだろう?セイへの気持ちが何なのかを」
フォレストの言葉にびくりとエスナは体を振るわせた。
「やはりな」
事実だった。それはエスナが目を背けていた心の奥底のもう一つの気持ち。フォレストに出会い、剣を合わせる度に大きくなっていった自分の気持ちへの疑問。それでも、こんな状態になっても素直に認められなかった。
「私はセイの婚約者よ?ちゃんと彼を愛しているわ!」
「まるで自分に言い聞かせているように聞こえるぞ、エスナ」
フォレストはエスナの左手をそっと取った。エスナもまたそれを抵抗せずにじっと見ていた。
「セイへの気持ちは姉弟愛に近い事を私の前では隠す必要は無い」
フォレストのもう片方の手がエスナの薬指の指輪に触れる。ゆっくりと引き抜かれ外される婚約指輪。フォレストが指輪を掴んだ手を広げると、洞窟内に澄んだ音が響く。指輪は石畳の上を少し離れた所まで転がり止った。
「こんな事されたら・・・セイのもとに帰れなくなるじゃない・・・貴方への気持ちが押さえられなくなるじゃないっ!!」
エスナの瞳からは再び大粒の涙が溢れていた。声も体も震えている。フォレストはそんなエスナを優しく抱き寄せ、震えを止めるように髪を撫で背を撫でる。エスナの頬に軽く口付けると、耳元でそっと囁いた。
「戦場ではお前は私のものだ、そして・・・私もまた、戦場ではお前のものだ」
お互い国にとって重要な役職についている者同士の現実。おまけに敵同士の四天王と聖騎士では想いが通じた所でどうにもならない。ましてやエスナは婚約している身なのだ。
「フォレスト・・・」
切なそうな声でエスナはフォレストの名を呼ぶ。
「エスナ・・・」
愛しげにエスナの名を呼ぶフォレスト。この先どうなるかは全く分からないが、心の奥底にあった気持ちと向き合うことは出来た。今はこの時間を大切にしたい。二人の気持ちは同じだった。
フォレストがエスナの顎を上向かせ、顔を近づけていく。エスナは拒む事無くゆっくりと瞳を閉じ、重ねられる唇。優しく包み込むようなフォレストのキス。閉じられたエスナの瞳からはもう涙は流れていなかった。
***
アクラスの宮廷占い師ルーティアは長く伸びる廊下でふと足を止めた。
「・・・・・・」
慌しく行き交う騎士や城の者、じきに大きな戦いが始まる事をそれらは示していた。通り過ぎる騎士に微かな風が追いかけていき、ルーティアの銀色の髪をも連れて行こうとする。戦いが始まれば、今通り過ぎた騎士が命を落とすかもしれない。敵も味方も誰かが犠牲になり、戦いは悲しみしか運んでこない。ルーティアは悲しげに銀色の瞳を細め、慌しい廊下を見渡した。
願うは皆の無事の帰還。涙を流す者が少ない戦い。難しく有り得ない事だが願わずには居られない。そのまま廊下を行き交う人々を眺めていたルーティアの背後から影が迫ってきた。
「お、ルーティア?」
聴き慣れた声に些か呆れたように溜息を吐くと、ゆっくりとルーティアは振り返った。
「カルロス・・・」
そこには、綺麗な金髪を乱れなく纏めた蒼い瞳の騎士が立っていた。騎士の制服は珍しいデザインで、国王に直に仕える者が着る事を許される親衛隊の服だった。
「こんな所で会えるとは嬉しいな」