心の奥底の願い
全てを返し終えたルーティアの手が宙で止まった。何か良くない結果でも出たのであろうか?エスナは不安になり、堪らなくなって声をかけた。
「何か・・・良くない結果でも・・・?」
躊躇いがちなエスナの声に、ルーティアははっと顔を上げた。だがそれも一瞬の事で、ルーティアは直ぐに柔らかな微笑みを浮かべていた。
「いいえ、大丈夫です。エスナ様はそう遠くない未来に何か大きな試練・・・いいえ、選択を迫られるかもしれません。その時はお心に正直に動いて下さい」
ルーティアのその微笑みに、エスナは何故か心の奥底まで見られてしまったような気分になった。神秘的な能力を持つ宮廷占い師だ、エスナの心に渦巻く物が何かが見えてもおかしくは無い。エスナは無意識のうちに首の傷痕を服の上から隠すかのように押さえていた。
「エスナ様?首、どうかされましたか?」
心配そうなルーティアに顔を覗き込まれ、慌ててエスナは手を離すと首と両手を振った。
「あ、違うんです。何でもないです」
心臓が痛い程脈打っている。エスナは失礼かとも思ったが、ガタンと音を立てて立ち上がった。何故かルーティアの側から離れたかった。
「今日はありがとうございました。用がありますので今日はこれで失礼させていただきます」
エスナは深々と頭を下げるとルーティアの前から小走りで姿を消した。
「エスナ様・・・」
去り行くエスナの後姿に、眉根を寄せ複雑なそして何処か悲しげな表情を向けていた。
***
その日は小さな村のある森に視察に来ていた時の事だった。丁度目的地に着いた時、相手も視察に姿を現した所だった。森の上に浮かび睨み合う魔族と天の民。人数は同等数と思われた。そして、その魔族の中心部に居る人物を目に留めた時、エスナは驚いた。
「四天王フォレスト・・・」
どうしていつも外に出ればフォレストと顔を合わせなければならないのだろう・・・と、エスナは目の前に居並ぶフォレストとその部下数名を端から端まで見渡した。
「!!」
途中、視線を動かしていたエスナの心臓がドクンと大きく脈打った。中央の自分の真正面に居るフォレストがエスナを見つめていたのである。怒りも憎しみも感じないどこか不思議な視線。エスナにだけ向けられた皆とは違う視線。エスナが動揺して視線を一瞬そらすと次にフォレストを見た時には、何時もの冷たい雰囲気を纏い全てを切り刻むかの様な鋭い視線を自分達に向けていた。
魔族との対峙に慣れていない部下が動揺し、呪文の詠唱を始めていた。エスナは呪文の詠唱に青ざめた。
「あっ!イリアっ!!駄目!!!」
エスナは部下を止めようと叫んだ。
フォレスト達魔族の居る下の森には村がある。おまけに、集落から少し離れた所の家の側で遊ぶ子供の姿が見えていた。部下の唱えている呪文は上級魔法。威力を考えると村も子供も危ない。
止めようと伸ばされたエスナの手は虚しく空を掴む。呪文の詠唱は終わり、魔法は放たれた。
間に合うか間に合わないか、エスナは魔族からの攻撃を背後から受けるのを覚悟して、放たれた魔法の先に瞬間移動して結界で止めようとした。
が、エスナの移動を邪魔する者が居た。
「愚か者・・・!!」
エスナの耳にははっきりと聞こえたフォレストの言葉。エスナが瞬間移動するより早くフォレストが動いていた。仲間を背に庇うように前に出ると、ピアスを大剣へと変え迫り来る魔法へと剣を振りかざす。
フォレストは剣を構えたまま、周囲の気配を探っていた。どう防御すれば仲間と周囲に被害が及ばぬか。個人的な感傷ではあるが、遠い過去の少女クレアに重なった子供を守れるか必至だった。
「くっ・・・」
防御魔法の苦手なフォレストにとって「守る」というのは少々苦手な事だった。結果、フォレストは非効率な事この上ない、身を呈して魔法を防ぐという事をしていた。
フォレストに魔法が当たった瞬間、辺りはまばゆい光に包まれた。流石聖騎士、相当威力の高い魔法だった。フォレストは自分の体はどうなっても良いとばかりに、剣と魔法を使い出来うる限りの向けられた魔法を上空へと跳ね上げた。
「フォレスト様!!」
フォレストの部下達は慌ててフォレストへと近寄った。
「怪我を負った者は・・・?」
「おりません!ですが・・・フォレスト様が!!」
フォレストの体は傷だらけだった。フォレストは辛そうな様子を微塵も見せず、部下達に命令を下す。
「いいから、全員撤退しろ!」
フォレストの言葉に皆、素直に従う。一瞬にしてフォレスト以外の魔族の姿が掻き消える。そして、少しの間を置いてフォレストが姿を消した。
次の瞬間フォレストは薄暗い洞窟の入口に立っていた。先程の位置からはさほど離れていない山までが限界だった。だが、それも仕方ない。先程の攻撃を避ける為に、全ての魔力と体力を使い果たしていたのである。
「無様だな」
ふっと自嘲し、ふらふらと壁伝いに洞窟を進んでいく。ここで暫く休んで体力の回復を待って城に戻るしか方法がないのである。
カツッと、足元の小石につまずきフォレストの体は冷たい石の上へと倒れこんだ。衝撃でフォレストの体の傷という傷から血が溢れ出す。体中の傷口は熱く疼く。自分を支えてくれている石畳が僅かではあるが、熱を吸い取ってくれているように感じる。そのまま大量の出血とフォレストの意識を、冷たい石畳が受け止め闇へと落としていってくれた。
それからどれくらいの時間意識を失っていたのだろうか。
「うっ・・・っ!」
何だか急に闇の底から引き上げられる様な感覚と共に、新鮮な空気が肺を満たす。急な体の変化にフォレストは咳き込んだ。
「かはっ!!」
「焦らずゆっくり呼吸して」
柔らかな女の声と、背をさする優しい手。
「・・・!!!!!」
フォレストは声の主を見上げると、驚きに瞳を最大限にまで見開いていた。ここに居るはずの無いエスナが居たのだから。
「どうしてここに居る!!女!!!!!」
反射的にフォレストはエスナとの距離をとった。・・・が、体に走る激痛に顔を顰め俯く。反射的には動いた体は、痛みに気付いた途端言うことを利かなくなった。背中を岩壁に持たせかけながら、情けなくもそのままずるずると倒れこむ。
だが、エスナへの視線は鋭く、さしずめ手負いの獣といった所だろう。
「貴方の気配を追って来たの・・・。治療の途中なの、もう少しじっとしていて」
エスナは傷だらけで姿を消したフォレストの気配を微かに感じとり、部下達に村と村外れの家が無事かどうか見てくるように言いつけルイスに隊を任せてこっそりと離れて追いかけてきたのである。
エスナはフォレストに近寄ると、治療の為に手を伸ばした。
「触るな!!」
フォレストは勢い良くエスナの手を振り払う。そして、徐々に湧き上がる感情を押さえきれず、普段の冷静さを全く保てなくなっていた。
「お前は馬鹿かっ!?敵の俺を治療だと?信じられん女だっ!!!!!」
怒鳴り散らすフォレストに、エスナは困った様に首を傾げると小さく微笑んだ。
「例え敵であっても治療したいと思う人は居るものよ・・・?」
正直な気持ちだった。フォレストに笑われても良い。傷を負ったフォレストが心配で堪らなかったのである。