心の奥底の願い
何処までも晴れ渡る雲ひとつ無い青い空。美しい空が何処か物悲しく感じるのは、先日受けた傷のせいだろうか?エスナは、微かに残る傷痕に服の上からそっと触れた。傷の事も傷の原因も、あの日視察に出掛けた仲間も誰も知らない。フォレストから貰った傷薬は確かに良く効いた。傷が思ったより浅かったのも手伝って、服や装飾品でエスナはこの一週間傷を隠し通せたのである。
誰も知らないフォレストと自分だけの秘密。婚約者であるセイにすら話していない。エスナの胸に何故かチクリと痛みが走る。
「んんー・・・」
フォレストの事をひた隠しにしたがる自分が理解出来ない。エスナはテラスの柵に肘を付き頭を抱えた。
「・・・分からないわ・・・」
エスナは顔を上げると空を見上げた。エスナの困惑をなだめるかのように、柔らかな風が髪を揺らして通り過ぎていった。
「エスナ?」
名前を呼ばれ振り返るとそこには安心出来る顔があった。
「セイ・・・」
セイの顔を見上げエスナは嬉しそうに微笑んだ。セイもまた微笑み返してくれる。
「何かあった?エスナ?」
エスナの微笑みにほんの僅かな曇りを見つけたのか、セイは心配そうに軽く首を傾げるとゆっくりとエスナへと手を伸ばした。エスナの肩に触れその手を背中へとまわすと、セイはそっと引き寄せ抱き締めた。
「何か悩みがあるなら・・・話せる時で良いからちゃんと話してくれよ?」
「ん、大丈夫よセイ。何でもないの」
抱き締められエスナもセイの背へと手を伸ばす。もたれるように、セイの胸に顔を埋めそう答えた。セイの腕の中はとても安心した。エスナは顔を上げると形の良い唇の端を上げ、やんわりと微笑んだ。
「心配性ね、セイは」
「エスナは危なっかしいからな」
クスリと、セイは笑う。そんなセイを見上げていたエスナの頭の中には、不思議な疑問が浮かんだ。
いつからだっただろうか?青年になったセイを見上げるようになったのは。
いつの事だっただろうか?セイから想いを告げられ弟の存在から恋人に変わったのは。
いつだっただろうか?セイからの求婚を受け婚約者になったのは。
思い出せなかった。それでも、エスナはセイを愛している。結婚も望んでいる。だけれど、何だか落ち着かない。これが結婚を控えた女性に多いと聞くマリッジブルーとでもいうのだろうか?
「セイ・・・愛しているわ」
エスナはセイから離れると、セイの手を取った。セイの左手には自分の左手の指輪と対の指輪がはまっていた。少しくすぐったい気がする。
自分はセイをちゃんと想っている事を自分なりに再確認すると、ゆっくりとセイの手を離した。
「なんか私疲れてるのかな?ごめんね?」
今までの自分を恥ずかしがるかのように、エスナは照れたように笑った。そのエスナの様子に不安を抱きながらも、セイは姉に頼まれていた小さな花束を空間から取り出した。
「エスナ、仕事で来れない姉上からエスナにって頼まれたんだ」
上品な薄紫の小さな花束。エスナは嬉しそうに受け取ると早速香りを楽しんだ。
「嬉しい!メリア様のお仕事が一段落したら御礼に行ってくるわ」
「そうしてあげてくれると喜ぶよ」
何時もの様に喜ぶエスナにセイが微笑みかけた時、テラスの入口付近を何とも神秘的な雰囲気の女性が通り過ぎようとしていた。
女性はたまたま通りかかったらしく、セイの視線に気付き足を止め姿勢を正してから優雅にお辞儀をして挨拶をしてきた。
「ルーティア、今時間はあるかい?」
セイは女性をルーティアと呼んだ。「はい」とやんわりと微笑み答えるとゆっくりとセイとエスナの元へと近づいてくる。
長く伸ばした美しい銀糸の髪、美しくも優しい輝きを放つ銀色の瞳。誰もが暫し見惚れてしまうほどその女性は神秘的で美しかった。
二人の前に立つとルーティアはゆっくりと再びお辞儀をした。
「セイ様、エスナ様御用でしょうか?」
ルーティア・マクディン。それが彼女の名前だった。彼女はアクラス国の宮廷占い師。アクラス国の宮廷占い師には誰でもなれるというものではなく、代々宮廷占い師に受け継がれていく占いに使うカードに選ばれた者がなれると噂でエスナも耳にしていた。要はカードに選ばれなければ宮廷占い師になることは出来ないのである。そのせいか、宮廷占い師は占いを生業にする者達の憧れであった。
「エスナの相手をしてくれないかな?」
「え?セイ??」
うろたえるエスナの背をそっと押し、ルーティアに近づけた。宮廷占い師という多忙なルーティアの貴重な時間を使わせてしまうのは申し訳ない。
「はい」
だが、微笑みルーティアは軽く頷いた。
「ちょっと占ってあげて欲しいんだ」
セイのその言葉にエスナはドキリとした。やはりセイには分かっている。エスナが何かを悩み抱えているという事を。エスナが複雑な表情でセイを見上げると、セイはにこりと笑ってくれた。
「大丈夫、俺は席を外すからゆっくり占ってもらうといい。ここの所元気無かったからな」
「ありがとう、セイ。ルーティア様、お時間頂いて申し訳ありませんがお願いします」
エスナはルーティアに頭を下げた。
「えっ、あっ、エスナ様!私の事は気軽にルーティアとお呼びください」
驚いたのはルーティアだった。まさか自分が様付けされて呼ばれる事等思いもよらなかったのだろう。だが、エスナとしてはルーティアは時折王宮で見かけたりすれ違う事はあったが、挨拶はお辞儀程度のものだった為、こうして話すのは初めてだったのでどう呼んで良いか分からなかったのである。
「では・・・ルーティアさん・・・じゃ、駄目ですか?」
エスナは慌てた様子のルーティアに申し訳なさそうにそう提案した。
「・・・はい。大丈夫です。では、エスナ様こちらのテーブルで占いますので、お座りくださいますか?」
ルーティアはテラスの端に設けられたテーブルへとエスナを案内する。
「じゃあ、俺はもう行くよ。ルーティア、エスナを頼む」
椅子に座った二人を見届けると、セイは席を外した。
「それでは始めますね?」
「はい」
ルーティアは精神を集中しているのか、胸の前で両手を組み瞳を閉じた。暫くの静寂の後、ルーティアの目の前にカードの束が現れた。ルーティアは瞳を閉じたままエスナに声をかけた。
「エスナ様、悩んでいる事や困っている事・・・御心の中で思い浮かべてください」
エスナは瞳を閉じ、今の心の靄を思い浮かべていた。時折フォレストの姿がちらつく中で。
ルーティアは瞳を開けると両手を広げた。ルーティアの手の動きに従う様にカード達は宙で広がりシャッフルされ、また元の束に落ち着くとルーティアの手の中に収まった。手の中のカードを上から順に綺麗に並べていく。
カードを並べる音に、エスナは瞳をあけた。代々受け継がれているとは思えない程美しいカードにエスナは見入っていた。しかし、集中しているルーティアに声をかけることは出来ず、エスナはじっとその様子を見ていた。
暫くして、並べ終わったらしくルーティアは残ったカードを左手側に寄せて置いた。並べられた数枚のカード。ルーティアは一枚ずつ捲っていった。