心の奥底の願い
しばらくそこの雰囲気を楽しんでいたが、湧き水に手を付けて揺らしていたエスナの手がぴたりと止まった。
「いい加減姿を現したらどう?」
すっと立ち上がり、エスナは空間から剣を取り出すと構えた。ルイスに合図を送ろうにも、すぐ近くに敵の気配がする以上どうにも出来ない。エスナは心の中でルイスに謝りつつ、辺りを警戒した。気配の主は分かっている。
「四天王フォレスト!」
気配の威圧感に負けないようにエスナは叫んだ。静まり返る周囲。エスナの鼓動はどんどん早くなり、緊張から手に汗が滲んでくる。
カサリ、と、エスナの背後から音がした。僅かにびくリと驚いたエスナだったが、くるりと音のした方へと向き剣を構える。
「随分と好戦的な女だな」
高くそびえ立つ木の枝からフォレストは音も無く地面に降りて来た。
エスナの剣を構える様に嬉しそうに微笑む。そして、以前逢った時とは違う長剣を空間から取り出すと構えた。
「ま、その方がこちらとしても助かる」
意地悪そうに唇の端を上げる。
軽く剣を振り素振りを数回繰り返すと、剣の切っ先を離れた位置に居るエスナへと向けた。
「丁度暇だったしな。この間の続きでもするか?」
そう言うや否や、エスナとの距離を取りながら挑発するように徐々に近づいてくる。この間剣を交えた段階でフォレストとの剣術の差は天と地程の差がある。エスナは正直どうこの状況を逃れるか必死に考えを巡らせた。だが、そんな事を考えている間は無かった。フォレストが剣を振り上げ、素早い動作で踏み込んできた。
「くっ!」
剣と剣のぶつかる音が響く。フォレストの剣を何とかエスナは剣で受け止められた。だが、次はないだろう。エスナの頬を冷たい汗が流れ落ちる。
「聖騎士団を名乗ってはいても所詮は女。この程度か」
くっくっくっと、フォレストは小刻みに震えるエスナの剣を見て笑った。エスナはその言葉に流石にむっとした様に眉を顰め、フォレストを鋭い目つきで睨み付けた。
「私は貴方に馬鹿にされる覚えはないわ!」
その気の強さの宿った紫水晶の瞳に、美しい金色の瞳が重なる。
「クレア・・・」
・・・まただ。と、フォレストは内心舌打ちしていた。
フォレストは少女の名前を口にすると力を抜き剣を下ろし、エスナから一歩後退し間を空けた。正直どうしたら良いのか分からない。フォレストは見定めるようにエスナを凝視した。このままエスナを殺してしまえばこの胸のもやのような、すっきりしない感情は晴れるのだろうか?
「・・・クレア?」
警戒を解かぬままエスナがフォレストの口にした名を繰り返す。以前にも耳にした覚えのある名前だった。そんな事を言いながらも、エスナの剣はフォレストにむけられたまま動くことは無い。
エスナがクレアの名を口にしたのは、フォレストの逆鱗に触れただけだった。一瞬にして殺気が溢れ出す。
「お前がその名を口にするな!」
キィン!と、凄まじい速さでエスナの剣を剣で弾き飛ばし、地を蹴りエスナの頭上で一回転すると背後に降り立ったかと思うと、その冷たい剣をエスナの首にあてる。余りの素早さに、エスナは息を飲み体を硬直させた。
数秒後、ドスッと離れたところで音がし、エスナの弾かれた剣が地面に突き刺さった。首に押されるだけ食い込む剣に、フォレストの怒りが感じられる。
「そんなに死にたいか女!」
空いているフォレストの左手が、エスナの顔を上向かせる。自然と視線の先には紫水晶の瞳が映る。そこには怯えた顔の自分の顔が映し出されている。と、同時にフォレストの表情に戸惑いが浮かんでいる事に気付いた。
エスナはゆっくりと深呼吸すると、最大限の努力で口の端を上げて見せた。そして、さらに最大限の勇気を振り絞って、震える足を叱咤しながら強気な発言をしてみせた。
「言って欲しくない名前なら口にしない事よ」
・・・が、これも火に油を注いだだけだった。
「その減らず口利けぬようにしてやろうか」
「あっ・・・!」
さらに押し付けられる剣。エスナは無傷では帰れない・・・もしかしたら逃げ出す事も出来ないのではないかと諦め始めてしまう。
今まで押さえつけていた恐怖からくる震えと汗が、一気に溢れ出す。
「どうした女。急に怖くなったか?」
エスナはフォレストを再び睨み付けた。
「ええ、怖いわ」
フォレストの顎にある左手を、空いている手で無理矢理振り払った。
「でも・・・でも・・・」
俯くエスナの瞳からは涙が溢れる。溢れた涙はあちこちに当たり、地面へと落ちていく。エスナは覚悟を決めたように、口元を引き締めると両手を握り締めた。
「私は死ぬわけにはいかないの!!」
押し付けられている喉元の剣を気にする事無く、肘でフォレストの腹部に一撃を打ち込むと、僅かな間にフォレストへと向き直った。エスナの首に赤い線が走る。
「なっ・・・!」
これには流石のフォレストも驚いた。こんな行動に出られるとは微塵も思っておらず、自分がした事とはいえエスナの首もとの状態が気になった。
フォレストへと振り返る勢いに、エスナの肩まで伸びた髪の毛がさらさらと舞う中、傷ついた首からの鮮血が飛ぶ。エスナはフォレストと数歩の距離を取ると、左手で首の傷を押さえた。
「国では待っている人が居る!!」
フォレストを正面から睨みつけるエスナの瞳からは、未だ涙が溢れて流れた。
「お前は・・・変な女だな。初めてだお前のような女は」
フォレストはその涙に何故か目を奪われた。一歩、一歩とエスナとの距離を縮める。エスナは反対に一歩、一歩と後退していく。泉に向かって。
「あっ!」
エスナにもう後はなかった。泉の淵から僅かにはみ出たエスナの足。微かな音をたてて水面へと崩れた土が落ちていく。そして水面に引き寄せられるように倒れかかるエスナの体。それを見ていたフォレストは、思わずエスナの腕を取り引き寄せていた。華奢なエスナの体はフォレストの胸に埋まるように、引かれるままおさまっていた。
「!?」
驚いたのは二人とも同じだった。フォレストは何故こんな助ける様な事をしてしまったのかと考え、エスナはフォレストが助けてくれた事に驚きつつも不思議な安心感を感じていた。
暫しそのまま時は流れ、水のせせらぎの音だけが辺りに響く。先に動いたのはエスナだった。
「あ・・・ありがとう」
例え敵であっても助けてくれた事に変わりは無い。そして、さりげなく出来るだけそっとフォレストの腕の中から離れた。フォレストもまた、エスナに合わせて距離を取る。
「敵に礼を言うとは本当に変わった女だ」
そう言うとフォレストは微かに笑った。そして空間からなにやら小さな物を取り出すと、それをエスナへと放り投げた。反射的にエスナはそれを手に取る。
「傷薬だ。良く効く。傷を洗って塗っておけ女」
フォレストは地を蹴ると軽々と近くの木の幹へと飛び上がった。
「次に逢う時は全力で戦う。容赦はしないからな」
そう言うなり移動魔法を使ったのか、フォレストの姿は掻き消えた。
***
「ふぅ・・・」
エスナは城のテラスで空を見上げながら小さく溜息を吐いた。