心の奥底の願い
クライアンは微笑むと空を見渡した。
「じき完全に日が暮れる。昨日の今日だがまた戦いが始まるかもしれない。今のうちに行け」
その言葉に少々長話が過ぎたなと、苦笑しながらエスナを抱き上げた。
「色々と世話になった」
永い時を共に過ごしたとは思えない程簡単な挨拶だった。フォレストの言葉にクライアンは更にあっさりとしていて、微笑み軽く手を上げただけだった。
「エスナちょっといいか?」
エスナが少々悲しげにクライアンを見ていたら、急に名前を呼ばれて驚いた。
「え?あ、はい」
フォレストに抱かれているエスナに近付くと、いきなり銀糸の髪を束ねていた蒼いリボンを解いた。さらさらと流れる美しい銀糸の髪に見惚れていると、クライアンは何時の間にかエスナの右手首に巻き付け始めたのである。綺麗に飾りのように巻きつけてくれると、端をリボン結びにして仕上げてくれた。
「こいつを頼むよ」
そう言いながらエスナの手首に巻き付けたリボンを包むように、彼女の手を握った。エスナはしっかりと頷いてみせる。
「おまえそれは・・・」
驚いたのはフォレストである。クライアンが使っていたリボンは亡き妹の遺品であり形見であるリボン。しかも、クレアの髪飾りのコレクションの中で、一番のお気に入りだったリボンだった。言葉を続けようとするフォレストに何も言うなと微笑みを向けて、「お守りだ」と言いながらエスナから離れる。
「気をつけてな・・・」
飛び立つ二人の背中にクライアンは少しの寂しさを含んだ言葉を投げ掛けた。
***
現在アクラスは大変な騒ぎへとなっている。あの後魔族はフォレストを失った事により、態勢を大きく崩し立て直しの為に数時間後には一旦退いた。次に現れるとしても数日はかかるだろうと、出陣していた聖騎士達はエスナを直ぐ様探しにかかった。未だ手掛かりは見つからず、エスナがフォレストと刺し違えてから二日目の朝に至る。
アクラスの城内の一室にセイは居た。そこは王族とごく一部の者しか立ち入れない城の一角の自分専用の執務室。セイは執務机の上に小さな女性物の指輪を置いて眺めていた。それはエスナの部屋の窓辺に置かれていた婚約指輪であった。
戦いの晩、エスナの護衛を頼んだパートナーのルイスは真っ青な顔で、エスナとフォレストが刺し違えて落下したと報告に来た。処罰をと責任を感じているルイスには本当に悪い事をしてしまったと思う。何が起こるか分からないのが戦いである。それを覚悟した上でエスナを戦いに出すことを許可したのは自分だからと、ルイスには責任は何も無く護衛してくれた事を感謝していると伝えた。休憩をというセイの言葉は聞かず、ルイスはその足でエスナの捜索に再び出ていった。
エスナの安否を心配し報告を待つ事になったセイは、自然とエスナの私室に足を向けていた。そこで、窓辺に置かれた婚約指輪を見つけたのである。セイとて馬鹿ではない。胸につっかえていた息を吐き出すように、長く長く息を吐く。セイは左手につけていたエスナに贈った婚約指輪と対の指輪をゆっくりと外すと、執務机の上に置いたエスナの指輪の横に並べて置いた。
セイは立ち上がると窓辺に寄り掛かり外を眺めた。見た目はとても気持ちの良い朝の様だ。―と、その時部屋をノックする音が響いた。
「どうぞ」
返事を返すと心配気な面持ちの姉―メリアが入ってきた。メリアもまた聖騎士団に所属している為、セイと同じ聖騎士団の制服を着ている。
姉の来訪にセイは姿勢を正して執務机の横に立った。
「セイ・・・」
メリアから見たセイは遠目から見ても憔悴しきっているように見えた。恐らく部下達の前では見せない姿であろう。親しい者にしか見せない姿。予想を超えた弟の様子にメリアは悲しげに弟を見遣った。
「姉上・・・何か進展でも・・・?」
カツ・・・カツ・・・と悲しげに聞こえる靴音をさせ、メリアはゆっくりと弟の傍に来た。セイの質問に何か伝えたい事があるのだろうが、なかなか言い出せないらしく困ったように暫し俯いていた。
下ろしていた手にぎゅっとメリアは力を入れて、伝えるべき事を伝えようと自分を奮い立たせた。セイの顔を見上げて眉根に微かな皺を寄せながら口を開いた。
「エスナの剣と、彼女の血と思われる血痕が見つかったそうよ・・・」
セイは言葉も無く青ざめた顔で額に手をつくと執務机に寄りかかった。倒れてしまうのではないかとメリアは、慌ててセイを支える様に手を差し出した。
「顔色が悪いわ・・・大丈夫?」
「大丈夫です」
頷きながらセイは額から手を放し自力で立つと、大丈夫と姉に頷いてみせた。そして、一番気になる事を聞いた。
「姉上、エスナは・・・?」
メリアはふるりと頭を振った。
「見つからないらしいわ」
セイに報告しに来た事以外の情報は届いては居ない。部下からの報告でメリアは不思議に思っていた事があるが、まだ捜索が終わっていない今口にしていいものかと考えあぐねていたその時。偶然にも視線を向けた先はセイの執務机の上だった。
「え・・・?」
並べて置かれた大きさの違う一対の指輪。セイがエスナに贈る婚約指輪の仕上がりを見て欲しいと、一番最初に見せてもらったからどんな指輪か覚えている。間違いなく置かれた指輪はエスナの物だった。隣に並ぶ指輪はエスナの指輪を頼んだ細工師に勧められ作ったというセイの分の同じデザインの対にあたる指輪。
「どうしてっ!!」
メリアの視線に気付き、セイは慌てた。
「あなた達あんなに仲が良かったじゃないっ!!」
セイはさっと指輪を手に取ると、机の引き出しに仕舞った。二人の結婚を楽しみにしていたメリアは、戦場に出るエスナが指輪を置いていったという信じ難い事態にへたりと力が抜けたように座り込んでいた。ショックにその頬を涙が伝う。
―が、同時にメリアの頭の中で少しずつ少しずつ不思議に思っていた事への謎が解けて行く。幸せな結婚を目前に戦いに出ることを譲らなかったエスナ。彼女の出る先には必ずといっていい程、フォレストの部隊が現れていた。そして、最後と約束していた戦いに出るのに置いていかれた婚約指輪。フォレストがエスナと刺し違えて落下していったというのに、フォレストを探しているという魔族の動きは全くない。
「・・・そんな・・・」
不思議と思っていた事もそうとなればぴたりと当てはまる。あり得ない事ではない。メリアが涙を拭っていると、セイが手を差し出して立たせてくれた。
「姉上、指輪は廊下で拾ったんです」
セイは困ったようにほんの少し微笑んで見せた。
「最近エスナが少し痩せて指輪がゆるくなったと言っていましたから」
メリアにはセイの笑顔が痛かった。姉だからこそ分かる弟の笑顔の下の泣き顔。セイは徐々に変化していくエスナの気持ちに気付いていたのだろう。そして残された指輪に確信を得て、セイは足掻く事無く自分の指輪も外した。
「捜索はどうするの?急にやめさせる事はできないわ」
エスナを心配して探している皆が捜索打ち切り等納得はしない。セイもそれは悩んでいた事なのだが、それ以上にエスナが戻って来る事は無いという事を察したメリアにセイは少々驚いた。流石勘の良い女性である。