心の奥底の願い
「そろそろ出陣の支度の時間だ・・・愚痴を言ってすまなかったな、クライアン」
懐中時計を仕舞いながら立ち上がると、ゆっくりと些か重たげな足取りで部屋の出口へと向かう。理由の分かっているクライアンは、親友のその背中を押すかの様に声をかけた。
「クレアはお前の幸せを望んで居ると思うぞ」
「・・・!」
クライアンの言葉に驚き振り返るフォレスト。ドアノブにかけられた手が止まる。
「お前はお前の好きなように生きろ」
やんわりと微笑むクライアン。その言葉にフォレストは知らずに過去に囚われていた事に気付いた。破顔して見せるとフォレストは何も言わずに部屋を出ていった。
***
魔族の国からは遠く離れたアクラス国の一室。上級騎士に充てがわれる王宮の一角にある私室の窓辺では、エスナが天空に広がる満天の星空を見上げながら戦いを前に物思いにふけっていた。
セイとの挙式までもう一月もないというこの時期にエスナは戦いに出る。当然皆にも反対された。本来ならば支度や準備に追われ戦いに出ている時間など無いというのにだ。これが最後だから、と反対していたセイに幾度も幾度も頼み込んだ。そうして漸くルイスを傍に必ず付けることを条件に許しを得られたのである。
皆が皆、挙式を控えたエスナへの心配を胸に抱いたままの戦いになるであろう。エスナは満天の星空に浮かぶ美しい月を見上げた。自分が我儘を言っている事は分かっている。それでも、自分にはしなければならない事がある。
「・・・ふう・・・」
と、エスナが小さくため息を吐いたその時、部屋の扉が叩かれた。
「はい」
座ったままエスナは顔だけを扉の方へと向けて返事をする。
「あと半刻程で出立のお時間となります」
「分かりました・・・」
時刻を伝えに来てくれた騎士に扉越しにお礼を言う。そのエスナの顔には複雑な笑みが浮かんでいた。
どんな戦いになるかは分からない。エスナは立ち上がり支度の確認を終えると再び窓辺に立つ。
「ごめんなさい、セイ・・・」
そう言いながら窓辺から離れるエスナの手。触れていた窓辺にはセイから贈られた婚約指輪が置かれていた。
――そして・・・始まる戦い。
エスナはルイスを傍に従えながら唯一人の魔族を探していた。そしてエスナは見つけていた。遥か上空に月を背にして戦いを見守るように浮いている魔族。フォレストだった。エスナはどうやってルイスを巻いて、フォレストの所まで行こうかと考えあぐねていた。その様子がルイスには落ち着かなく見えたのか、「少しお下がりください」と、エスナの前へと少し出て守るように立った。ルイスの目が自分より前に向けられている。今がそのチャンスだと思ったエスナは、月を背にするフォレスト目掛けて飛び上がった。
「エスナ様ーっ!!」
ルイスが気付いた時にはもう遅かった。
微かに聞こえるルイスの声。戦う仲間達の合間を縫い上昇していくエスナにルイスはなかなか追い掛けて来れない様だった。その事を確認したエスナは、剣を空間から取り出すとフォレストの前に立ちはだかっていた。
「四天王フォレスト・・・」
エスナはフォレストに剣の切っ先を向ける。
「全てを終わらせに来たの・・・」
エスナは結婚を前に揺らぐ心の整理の為に戦いに出る事を望んだ。セイの婚約者でもなくフォレストへの恋心を抱いたエスナでもなく、ただ一人の女性として聖騎士団として戦うのである。その為に指輪を外してきた。
「そうか・・・」
ただその一言だけを発すると、軽く瞳を伏せフォレストは空間から剣を引き抜いた。そしてフォレストもまた、エスナへと剣の切っ先を向ける。
それが合図だった。エスナは剣を構えたままフォレストへ。フォレストも剣を構えたままエスナへと向かう。
お互いスピードを緩める事はしなかった。互いの剣が互いの体を貫いたその時だった。
「何故だ!何故だエスナっ!!」
フォレストは苦しげにエスナの耳元で叫んだ。肩越しから見える彼女の背中からは鮮血に濡れた自分の剣が見えている。だが、フォレストには痛みも出血もない。エスナの剣は直前でほんの僅かに引かれ、剣筋はフォレストの腹部を反れ脇にすら刺さる事無くずれていた。
「私には選べなかった・・・だから貴方の手にかかることを決めたの・・・」
エスナの腹部に刺さる剣。温かな血が少しずつ失われていく。
「ごめんなさい・・・フォレスト・・・」
はっ、と、苦しげに息を吐くとエスナは力無く地上へと落ちていった。フォレストの手にはエスナの血に染まった剣が残る。一秒たりとも迷う事なくフォレストはエスナを追って落下を始めた。その様を見ていた者は、天の民も魔族も相打ちにしか見えなかっただろう。だが、流石に戦いの最中に追い掛けて来れる者は居ない。
「エスナ・・・エスナ・・・!」
手に入りかけたエスナという幸せ。手を伸ばしながらフォレストは下降していくが、彼女には届きそうで届かない。
諦めなかったフォレストはほんの一瞬手を捕まえた。だが、意識の無いエスナに掴み返す力は無く、するりと幸せと共に離れ行く手。森が大分近い。フォレストにはもうこれ以上の事は出来なかった。
諦めかけたその時、森の木の上に見慣れた人物が現れた。
「クライアン!」
エスナが森に激突する直前に、クライアンはエスナを両腕でしっかりと抱き止めていた。
「もう少し落下速度が早かったら俺の肩は脱臼していたな」
結果的にフォレストが一度エスナを捕まえた事が、落下速度を落とす事になったのだろう。クライアンはそう言いほんの一瞬おどけてみせたが、エスナの様子は楽観出来るものでは無い事は抱き止めた時から気付いていた。
「少し先に隠れるのに丁度良い洞窟があるから、そこで出来る限りの応急手当をしよう。このまま医者を探していたら間違いなく手遅れになるぞ」
意識の無い血だらけのエスナの姿にフォレストの頭の中は真っ白になっていた。クライアンはそんなフォレストを急かし、見つけていた洞窟へと身を潜める。
「ここなら見つかりにくいだろう」
クライアンはエスナを抱えたまま、洞窟の入口に立つと周囲に人の気配が無いのを確認した。岩で出来た洞窟内は静かでひんやりとしている。奥へと進んで少し入り組んだ先でクライアンはエスナをゆっくりと横たえた。手早くクライアンは角灯を用意すると、応急処置をする為に色々な物を空間から出した。
「フォレスト、お前は少し休んで落ち着いておけ」
クライアンはフォレストを少し離れた所に座らせるとエスナと向かい合った。彼女の顔に血の気は無い。医術の心得のあるクライアンはエスナの傷の確認から始めた。
明け方、クライアンはエスナの応急手当てを終え、フォレストを傍に呼び寄せる。
「彼女の状態は・・・?」
フォレストの質問にクライアンは答えに困ったように眉間に皺を寄せた。ここで嘘を伝えても意味が無い。クライアンはエスナの今の状態を簡潔に伝えた。
「俺が出来る事はした。これで目が覚めなかった時は覚悟してくれ」
頭では覚悟していたつもりだが、改めて言葉で聞くと堪える。フォレストは頷きながらエスナの横に座ると彼女の前髪を掻き上げた。