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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Dreg

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 親父が無理なら、おかんに相談してみるのもひとつだが、だいたい近くに親父がいるから、ひとりでいるところをつかまえて、しかも長時間話し込むのは難しい。
 手詰まりだ。おれは深呼吸をして頭を切り替えると、言った。
「今日はケショウさんどないしてんの?」
「居残りしてると思う」
「ほな、ひとりでここ通るんちゃうんか?」
 おれはそう言って、メッキ工場のトタンを浮かせると、横にずらせた。英二は目を丸くして、おれの顔を見上げた。
「入っていいん?」
「知らん。でも、隙間は空いてるな」
 おれがそう言って口角を上げると、英二はようやく笑顔を取り戻して、好奇心に燃える目で中を見渡した。
「兄ちゃん、よくここでたむろしてんの?」
「内緒やぞ」
 おれはそう言うと、英二を工場の中へ入れて入口のトタンを半分だけ塞いだ。外からは死角になる位置で、壁の隙間からは外の様子が見える。
「英二、ケショウさんが歩いてきたら、周りに誰もおらんか確認して、おらんかったらおれの方を向け。できるか?」
「分かった」
 英二はゲームが始まったことを理解して、壁の隙間に顔を近づけた。夕日が半分ぐらい街に被って空が青っぽくなってきたとき、歩幅の小さな足音が聞こえてきた。門限がないにしても、そろそろおかんが心配し始める時間帯だ。おれは地面に転がっている塗料缶を拾い上げると、右手に持った。英二はまだ壁の隙間から目を凝らせていて、その足音が目の前を横切るぐらいになったとき、おれの方を向いた。おれは塗料缶を振りかぶって、裏からトタンに思い切り投げつけた。爆弾みたいな音が鳴り、同時にケショウさんの絶叫がトタン越しに響き渡った。おれは英二と一緒に壁の隙間から様子を窺った。間違いなく菅生有希で、真後ろに尻餅をついたままランドセルが背中につっかえて起き上がれず、亀のようにジタバタしていた。体を反転させるということを思いつくまで、三十秒ぐらいはあったと思う。体中が砂まみれになったケショウさんは、涙目のままダッシュで駆け出していった。おれは英二の方を向いて、言った。
「学校で偉そうにしてても、こんなもんですわ」
 英二はずっと何かを呟いていて、壁の隙間からまだ目を離していなかった。おれは本格的に日が暮れてきたことに気づいて、その背中をぽんと叩いた。
「もうおらんやろ、行くぞ」
 英二は中々動かなかった。トタンをずらしているとき、呪文のように唱えている言葉を一回だけ聞き取れた。英二は、さっきまでケショウさんがいた場所に向かって『殺したる』と呟いていた。おれは笑った。亀のようなケショウさんの姿を目に焼き付けておけば、殺す必要もない。力関係は少しだけ変わっただろう。
 家に帰って、英二はこそこそと部屋に入り、こそこそと晩飯を食って、風呂上がりに真奈と鉢合わせていた。何か話しているのが聞こえたが、トイレから出たところだったおれは居間へ直行して、テレビの続きに戻った。旅行土産を持ってきた志門おじさんが、缶ビール片手に扇風機の風に当たりながら目を細めていて、その向かいで親父が鍛高譚をロックでちびちび飲んでいた。おかんは台所にいて、そこに歯ブラシを持った真奈が走り寄っていくのが見えた。小学二年生になるが、足は相変わらず遅い。はいはいをしていたころの方が、まだ見せかけの勢いがあった。
「お母さん、絆創膏ほしい」
 真奈が言って、おかんが屈みこんだ。
「どうしたん、怪我したの?」
 おれは嫌な予感がして振り返った。さっき鉢合わせしたとき、英二はまだ長袖を着ていなかった気がする。真奈が言った。
「わたしちゃう、英ちゃん。腕のとこ、怪我してんねん」
 親父がテレビから目を離して、短い首をぐるりと回した。笠岡家の男連中は、基本的に怪我を負わせることはあっても、負わせられることはない。
「英二! 怪我したんか?」
 親父が声を張り、湯気を纏った英二が青い顔をして歩いてくると、親父の前に座った。親父は腕に残るみみずばれの跡を見て、顔をしかめた。缶ビールをテーブルの上に置いた志門おじさんが首を伸ばして、申し訳なさそうな表情で言った。
「それは……、定規かなんかが当たった痕かな?」
 おれは感心した。さすがは、元いじめられっ子だ。怪我の痕で、何で叩かれたのか凶器まで特定できるらしい。今だけは、黙っていてほしかったが。親父は英二の傷をじっと見つめたまま、呟くように言った。
「せやろな。志門くんも、ようやられとったやつやな。なんやこれ、誰にやられたんや」
 親父には、嘘がつけない。聞いてきたのがおかんなら、適当に例の四人組だと言っておけばいいが、親父は必ず行動を取る。去年商店街で起きた万引き騒ぎのときも、疑われたおれが名指しした相手に、言い訳も許さず頭突きを入れた。それは本当にそいつが犯人だったから良かったが、勝手に犯人扱いした相手がどんな目に遭うかは分かっているから、そこは正直でなければならない。
「菅生……」
「菅生って誰? 洋一、知っとるか?」
 親父の目がこちらを向いた。菅生のことを知らないわけがない。そこの子どもが女子で、英二と同じクラスだということも。親父は、おれたち三人のクラス名簿を全て暗記している。そして、不動産業をやっているから親についても情報通だ。おれは深呼吸をしてから言った。
「知ってる。ケショウさんや」
「志門くん、菅生ケショウって、誰や?」
 親父が全く関係のない志門おじさんに顔を向けたとき、『始まる』ことを理解した。志門おじさんが口を開くよりも先に、親父はその頭を真横に叩いた。
「家族の話してんの! 外しといてくれませんか!」
 志門おじさんが慌てて立ち上がったとき、親父はさらに顔をしかめた。
「おい、レストランちゃうぞ」
 この手の『ツッコミ』は聞いたことがない。志門おじさんはいつでも逃げ出せるような腰の引け方で、時代劇で家臣が殿の機嫌を窺うみたいな角度になった。親父はグラスを持ったままの手で缶ビールを指した。
「それ、下げとけってか?」
 志門おじさんが感電したみたいな動きで缶ビールを取り上げて出て行き、親父は英二の方に向き直った。
「英二、そういうことがあったら真っ先に言うてこんかいな」
 その口調にはびっくりするほど棘がなくて、優しいとすら感じる。しかし、それは言葉だけだ。おれは、英二の腕を見下ろす親父の目を見ていた。英二自身は目を合わせることもできずに俯いているから、気づいていないだろう。親父は、泣き寝入りをする人間に対して敬意を払わない。今この場だけなのか、これからもずっとなのかは分からないが、少なくとも今の親父にとっては、英二は笠岡という同じ苗字を持つだけの存在だ。
 トラブルが起きたときの決まり。それは、自分以外の誰かが死ぬほど嫌な目に遭うということ。親父は、おれたちには絶対に手を上げない。その代わり、目の前で志門おじさんを筆頭とする身代わりがボコボコにされることで、本人は責任を取らせてはもらえないようにできている。だから罪悪感というか、後味の悪さはひときわ酷い。まだ頭に一発拳骨を食らったほうが、あっさりと納得できる。
作品名:Dreg 作家名:オオサカタロウ