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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Dreg

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 おれはそう言うと、チルドに入っているビールを二本取り出した。銘柄はサッポロ黒で、これも親父が飲んでいたのと地続きだ。ミッツ―の良妻チェックとは、真奈が受けているハラスメントのようなもので、おれの冷蔵庫を真奈がチェックするのと似たような感じだが、嫌味もあれば悪意もある。最初は聡くん宛てに来ていたが、真奈が『家のことで文句があるならわたしに言え』と言ったら、毎日のように真奈宛てにメッセージが届くようになった。しかし、そんなミッツ―にも優先度を下げられない趣味があって、それは登山だ。ちょっと足元が狂ったら普通に命を落とす山でも、ソロで登るらしい。真奈の口から聞くミッツ―の登山話は、悪役が世界征服をしているような邪悪な感じがあるが、本人からすれば入山届を出して山に登っているだけで、危険ではあるがいい趣味だと思う。真奈はミッツ―の登山話に対して耳を塞ぐ権利がないらしく、土産話や次の計画を事細かに聞かされている。それは当然、真奈からおれの耳にも入るから、おれたちは、山に登らない以外はミッツ―の登山仲間のようになっている。
「それだけ?」
 真奈が眉をひょいと上げて、おれが両手に持ったビールに目線を落とした。おれは一本を渡すと、自分の手元に残った一本を片手で開栓した。
「さすがに山登っとる間は、下界のことは忘れとるやろ。それに乾杯」
「一回、頂上からメッセージ来たけどな。下界を見下ろしとったんか。何様やあいつは」
 そう言った真奈と缶同士を突き合わせて、おれはビールを飲み干した。真奈は負けじと缶を傾けて少しむせると、おれに軽く肘打ちをした。
「真似したらロクなことない」
「おれの真似したら、親父の真似してるんと同じことやぞ」
「ちゃうわ。全然ちゃう。真似してんの?」
「してないけど、勝手に似てくるんや」
 おれが言うと、真奈は声を上げて笑った。真奈は昔から、親父にはあまり懐かなかった。おれと英二に対してはよく話しかけてきたが、それ以外の男連中はどこか警戒していて、おれからすればその方が安心だった。本能的に危険な存在を見分けていたとすれば、その直感は大したものだ。
「お父さん、三十五のときってそんなんやったん?」
「いや、もっと荒っぽかったよ。おれはそうならんようにはしてる。でもな、ある程度は似てくるんや」
 おれはそう言って、冷蔵庫のドアを閉めた。鍋の準備を始めるのは午後六時ごろで、時間は余っている。真奈は大抵、懐かしい自室で漫画を読んで過ごす。おれが定期的に埃を払っているのは、その部屋だけだ。とんとんと階段を上がっていく足音を見送って、おれは裏から出ると沼の前に戻った。夕日を浴びたハートランドはぬるくなっているが、気温が低いからあまり気にならない。
 親父が三十五歳だったとき、真奈は三歳。記憶にはどう刻まれているのだろう。親父は親父なりに、三歳の娘に気に入られようとして色々と本を読んだり、頑張っていたように思える。しかし、真奈の記憶はそういうのをすっ飛ばして数年後、つまりおれが中学二年生で、親父が四十歳を過ぎた辺りからスタートしている。だから、印象はだいぶ異なる。そのころにちょうど起きていた、英二のいじめ問題。
 親父がそれを知ったのは、真奈の言葉がきっかけだった。

  
− 二〇〇四年 二十一年前 夏 − 

 左腕に、みみず腫れの痕が残っている。でもさすがに、夏休み直前のこの季節に長袖もおかしい。おれは困って、錆びた自販機にもたれかかったまま、英二に言った。
「やり返したれや」
 英二は、妙にこだわりが強い。おれからすると、まずそれをやめてほしい。ついこないだ、達也のアニキが言っていたのだ。こだわりなんてものは、力が強い人間に許される贅沢品だと。その言葉には重みがあって、一生かかっても追いつける気がしない。志門おじさんの家の人間はみんなちょっと澄ましていて、妹の琴美も物静かなのに愛想がいいし、本当に不思議な一家だ。おれは、軋み始めた自販機の筐体から体を離すと、英二の細い肩を小突いた。
「やり返さんのかいな」
「そこまでやられてない」
「女やから、やり返さんのか」
 言われたら嫌なことだろうが、今は言わないと気が済まない。今までさんざん目を瞑ってきたおれだって、これが親父にバレたらまずい。お前は可愛い弟がこんな目に遭っているのに放っていたのかと、どうしようもないやつだと烙印を押されるに違いない。
「それは関係ない」
 英二が絞り出すように言った。その丸まった背中は、効果抜群だ。じっと見ていたら最後、兄としては放っておけなくなる。何回も繰り返し起きていることなんだから、何か手は考えないといけないのは確かだ。
 問題は、相手がただ『女』ということではなく、それが菅生有希だということだ。菅生家は、母親がいない。父親は絵に描いたような『悪い父親』で、体を壊すまでは水道工事をやっていたらしい。ひょろりとした陰険な目つきの男で、車の運転も荒っぽい。不登校すれすれの娘は打って変わって、その外見だけであちこちからもてはやされている。周りの女子からすればそれが気に入らないらしく、菅生有希には女友達はほとんどいない。やっかみもあってか、あだ名は苗字のスガオを文字ってケショウさんだ。よく考えるなと感心する。そして、そんな可哀想なケショウさんには、匿ってくれる男子グループがいる。若松、吉井、馬淵、野田の四人。少なくとも、この四人に関しては大人しくなった。出くわすたびに足を引っかけたり、ランドセルを掴んで電柱に叩きつけたりしてきたからだ。それでもいじめが止まらず不思議に思っていたところに、黒幕の存在が浮かび上がってきた。それがケショウさんだ。四人の王子様が日和っても、ケショウさんは全くひるまない。こいつを止めるのは難しくて、いい方法が浮かばない。
 おれは親父から、女に暴力を振るうなと言われて育てられてきた。それは英二も同じだ。実際、ほとんどの大人はどこか可愛げのあるケショウさんに勝てない。打ち負かした相手がいるとすれば、最初に仲間外れにした女子グループぐらいだ。おれは冗談めかして言った。
「いっそ、お前もケショウさんって呼んだったら? ほんで、女子の仲間になれや」
「そんな人間と同類にされたくない」
「ほんなら、何と一緒にされたいねんお前。サンドバッグか?」
 下校時間はとっくに過ぎていて、夕日は沈みかけている。中学校と小学校の通学路は、今おれたちがいる廃業したメッキ工場の裏でしか交差しない。錆びた自販機はかろうじて現役だが、ここで時間を潰すのも限界がある。それに、おれが説教をするのもおかしな話だ。英二の兄なんだから、本来はおれが守ってやらなければならない。相手は小学生なのだから、脅せば済む話ではある。真っ黒な詰襟を着込んだ大柄なおれは、小学生から見たら巨人で、おそらく大人よりも怖い存在だ。ただ、それが通用するのは基本的に、男だけだ。英二のクラスの担任は、おれを受け持っていたこともある岡本で、おれが小学生だったときにもいじめらしきものはあったが、何の役にも立たなかった。そんな奴が数年余分に教師をやったところで、急に心を入れ替えるわけがない。
作品名:Dreg 作家名:オオサカタロウ