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例えば、親父の弟で婿養子になって苗字が変わった志門おじさん。その息子で、顔を合わせたらいつでも音楽のことを教えてくれた達也アニキ。妹の琴音は英二と同い年で、特に仲が良かった。そして、母の姉で鍋料理のように大勢が箸でつつく食事は絶対に参加しなかった、貝塚朋子。通称『貝おばさん』。母は若いころから美人で鳴らしたらしいが、その姉が貝おばさんだというのは、今になっても信じがたい。貝おばさんは自己主張が強くて、性格すら真逆だった。その遺伝子すらダンプカー並に前へ出て行くタイプで、双子の娘は、下手くそな粘土細工のような見た目の朋子を型に抜いて、壁に投げつけたような顔をしている。
貝おばさんが混ざると最後、最初は和やかに始まっても、最後は必ず険悪になった。なぜなら、母の実家は『クレーン車』から身を起こした成金ではなく、人々がちょんまげを結わえていたころから続く由緒ある家らしく、笠岡家のような成金チンピラ一家とは水と油だったからだ。ただ、由緒だけあっても家族経営の事業は火の車で、それを親父が助けて以来、力関係は逆転していたらしい。
他には、笠岡建材の昔からの取引先で、トラック用架装の営業マンをやっていた近藤さんや、会計士の光岡さん。親父の仕事仲間の勝富さんは狩りが趣味で、狩猟シーズンになるとスーパーに並ばないような肉を持って来てくれた。そんな感じで、この家には血縁者から他人まで色んな人間が出入りしていた。
今は、会計士の光岡さんとメールでやり取りする以外は、本当に静かだ。唯一の例外は真奈で、五年前に結婚したとき、これで実家に寄り付く人間はいなくなったと思って安心したが、真奈はしょっちゅう実家に来る。先週も晩飯を食いに来て、おれの分も少しだけつまみ食いした挙句、こう言っていた。
『ご飯作るん、どんどん上手になってからに。ひとりでなんでもできるようになったら、あかんねんって。ごちそうさま』
褒められているのか貶されているのか微妙な線だったが、身ひとつでに何でもできるようになったら婚期が遠のくという意味だったらしい。実際、勤め先でも老後資金の心配だとか、四十代の体の衰えだとか、色んな話が耳に入ってくる。特におれは浮ついた話もないから、そういう面でも事務員さんから心配されている。
しかしどちらかというと、心配なのは本格的にガタが来ている家の方だ。
日産バネットと、その隣に二台の廃車が眠る車庫は、屋根からの水漏れが酷い。そして、子どものころビー玉がふらつきながら転がるのを楽しんでいた廊下も、目で見えるぐらいに傾いていて、さすがに笑いながらビー玉を転がす勇気はない。
お金と体力については、笠岡家の人間である以上は何も心配していない。
家のことが気になるのは、どれもお金で解決できないからだ。
水漏れに気づいたのは、おれが小学三年生のときだった。正月に帰省していた志門おじさんが、コンクリートの微かな変色に気づいたおれを『目がいい』と褒めてくれたことを覚えている。
平衡感覚が鈍くてすぐに気分が悪くなる真奈は、歪んだ廊下を嫌がった。そこがビー玉の遊び場でもあるということを教えたら、苦手意識はすぐになくなって、真奈は廊下にへばりついて遊ぶようになった。そんな思い出がある廊下がまっすぐに戻るのは、できれば見たくない。
車庫に置いてあるクライスラーインペリアルは、英二が二十歳のときに自分のお金で買った車だ。古いアメ車で整備が大変だろうと思っていたら、案の定半年で不動になった。何を考えているのか分からなくなってきたのはその辺りからで、左ハンドルの図体だけがでかい置物は、理解できない弟の頭の中そのものに見える。
おれは笠岡家の実家と、祖父の代から続く資産を引き継いだ。そこから、母と英二に生活費を振り込んでいる。どの道、おれが稼いだ金ではない。真奈は『腕一本で生きてくから大丈夫』と言って、仕送りに頼ることはなかった。腕一本というそのフレーズは、祖父から来ている。それは、親父が一番嫌っていた言葉でもあった。
『腕一本で食うてけちゅうてな。腕ってお前、そらクレーンのブームのことやとは思わんわ』
親父は笠岡建材には深入りせずに勝富さんと不動産業をやっていて、祖父と折り合いが悪かった。尊敬はしている様子だったが、祖父は安定した尊敬を集めるには、相当厄介な性格だったらしい。
『ほな、二本やったらあかんのかい。それは卑怯やってか? どないやねん』
親父がそう言って誰かの頭を叩くとき、その先には大抵、志門おじさんの頭頂部があった。祖父の、猫のように掴みどころのない性格を反面教師にしたのか、親父はなんでも理詰めで、揚げ足取りや言いがかりの天才だった。志門おじさんにしても血の繋がった弟だが、婿入りしてからは下の名前で呼ばず、大人の親戚同士が集まる場では必ず『志門くん』と呼んだ。そして志門おじさんは、木魚のようにぽくぽくと、しょっちゅう叩かれていた。その度に周りの空気は少しだけ重くなっていたが、誰も親父に文句は言えないから、公然の暴行イベントとして受け入れられていた。それでも親父は、達也のアニキや琴音が傍にいるときは志門おじさんのことを持ち上げていたから、そこはなんとなく線引きがあったのかもしれない。
志門おじさんが株に全財産を溶かして首を吊ったのは、おれが高校生になって、達也アニキとも疎遠になっていたときだった。そのとき親父が電話で初めて『浩平』と呼んでいたのを、今でも覚えている。達也アニキは大学を無事卒業したらしいが、そこからの消息は知らない。琴音は高校に上がるのと同時に変な男とくっつき、そいつが調合していた変な薬にハマって嗜好ががらりと変わった。今は体のあちこちにピアスを空けて、タトゥーアーティストをやっている。全て、事情通の親父から聞いた話。
親父が話題に出さずに消えていった人間は、幸せにやっているのだと信じたい。
思い出は色々とあるが、それが良くても悪くても、同じ蓋の下にあるからいい方だけ取り出すということはできない。なんとなく安心なのは、おれが子ども時代に見てきた人間達のほとんどは、今は接点がないということ。親戚のようだった勝富さんですら、七年前に海外で事業を出ち上げて移住したきり、音信不通だ。
そんな中、真奈だけが残ったのはある意味、必然とも言える。おれと真奈は特に、仲が良かった。おれは、頻繁にやってくる真奈の近況を聞くのが好きだ。夫婦共に仕事人間で子どもはいないが、真奈はそろそろ欲しいらしい。
『なんかなー、マンネリしてきますわな。ミッツ―も相変わらずうるさいし』
先週、真奈はそう言って動かない洗濯機を眺めていた。ミッツ―というのは夫の姉、加藤美月のことだ。加藤真奈になってすぐに、義姉としての存在感が増したのだという。姑ではなく、義姉。なかなか珍しい気もするが、真奈の夫である加藤聡は、姉に頭が上がらない変種のチョウチンアンコウみたいな男らしい。交際時点で何度か会ったこともあるし、飯も一緒に食べに行ったが、全然見抜けなかった。そこはおれの失点だ。
『ミッツ―、普通にご飯作りに来るからな。家事は先輩か知らんけど、わたしと三歳しか違わんねんで』



