三すくみの正体
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年8月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。
プロローグ
あれはいつ頃からだっただろうか? 朝の通勤ラッシュの時間などで、電車の最後部には、
「女性専用車両」
などというものが設置させるようになり、その車両には、
「男性は乗ってはいけない」
と言われたものだった。
時間の流れというのは面白いもので、以前、電車の最後部では、最初は、
「禁煙車両」
と言われていて、少しすると、今度は、
「喫煙車両」
と言われるようになった。
というのも、昔は、電車の中ではたばこというのは自由に吸えたものだった。
これは、
「電車の中」
に限ったことではなく、
「会社の事務所や、会議室。学校の職員室でも、吸えたものだった」
ということだ。
だから、
「どうしても、吸ってはいけないということで、学校の教室や、病院の病室などを、特別に、禁煙」
としていた。
それだけ、昔は、
「煙草を吸う」
ということは当たり前ということであり、吸わない人間の権利など、まったくなかったのである。
しかし、そのうちに、禁煙車から、
「嫌煙権」
というものを求める運動が出てきて、さらには、
「副流煙」
ということで、
「煙草を吸っている人間よりも、吸わないが、喫煙者の近くにいて、その煙を吸う方が、
「がんになりやすい」
などという研究結果が出たことから、
「嫌煙権」
というものが、真剣に叫ばれるようになったのだ。
なんといっても、会議室や会社の事務所。さらには、交通公共機関などの、公共の場所で、喫煙ができるのだ。
「禁煙者だけが、迷惑を受けないように」
などということができるはずもない。
最初こそ、
「禁煙スペース」
であったり、
「禁煙車両」
というものが出てきて。
「禁煙者にも、少しは配慮しよう」
という程度のものだったが、次第に、
「それだけでは不十分」
ということで、逆に、
「喫煙者だけをあつめる」
という、
「喫煙ルーム」
ができたのだ。
今度は、
「基本は禁煙者であり、喫煙者が、特別に煙草の吸える場所を提供してもらえる」
ということで、完全に立場が逆になってきたのだ。
嫌煙権というものが叫ばれだしたのが、いつ頃になるのかははっきりと分からないが、実際に、運動が実を結ぶことになってきたのが、ちょうど、昭和末期くらいだっただろう。
そこから、
「禁煙車両」
などというものが出てきたのが、平成初期くらいで、実際に、
「公共の交通機関」
つまりは、
「電車内」
はおろか、
「駅構内までが、すべて禁煙」
と言われるようになるまでに、昭和の末期から、約四半世紀が掛かったといってもいいだろう。
それでも、一部の喫茶店であったり、飲み屋、パチンコ屋などでは、
「喫煙が当たり前」
ということで、せめて、
「禁煙ルームがあるところもある」
という程度で、
「なんと時代遅れなのか?」
と思われていたが、それからやっと10年が経って、
「基本的に、どこでも禁煙」
ということになり、
「パチンコ屋」
「飲み屋」
でも、全面禁煙ということになった。
ただ、
「法律で定められた一定の基準をクリアした喫煙ブースを設ければ、そこで、喫煙してもいい」
ということにはなったようだ。
パチンコ屋」
などの規模の大きな店ではできるが、個人経営でやっている飲み屋では、そこまでの経費を掛けることはできないだろう。
あるとすれば、
「チェーン店の飲み屋」
くらいで、それも、
「喫煙ブースがない」
というところも多いことだろう。
昭和から、平成、そして、令和に掛けて、
「40年近く経って、やっと、禁煙車の権利が認められるようになった」
ということであろう。
実際に、喫煙者が、爆発的に減った。
それまで、煙草を扱っていたところも、扱わなくなり、買える場所も少なくなってきた。要するに、煙草というのは、
「百害あって一利なし」
といってもいいだろう。
「タバコというものが、いかにひどいものか?」
昔の社会を知っている人、そして、変わってきた世の中を知っている人には分かっていると思うが、今のたばこは、一箱で、
「安いランチが食べられる」
というくらいの値段である。
ランチもかなり高くなってきているので、それでも、煙草の値段の上がりようは異常といってもいい。
世間で、これだけ肩身の狭い思いをしなければいけない状態で、しかも、値段が爆発的に上がってきているのであるから、
「煙草を辞める」
という人が増えるのも、当たり前ということであろう。
そんなたばこを吸っている人が少なくなってくると、時代は、別に流れてきた。
特に、世紀末くらいに問題となったのが、
「男女雇用均等法」
という問題で、
「男女平等」
という発想であった。
特に、
「バブル経済」
というものから、
「バブルの崩壊」
という、激動の時代を経ることにより、社会が大いに変化してきた。
それまで、会社というものは、
「終身雇用」
「年功序列」
というのが当たり前ということであった。
だから、実力のある人が、
「出世しようとしても、なかなかできない」
ということで、
「海外のように、実力主義」
というものを求めるようなことが、バブル崩壊以前にはあったものだ。
要するに、
「自由でありたい」
という考えである。
それは、あくまでも、
「バブル崩壊」
という、
「非常事態」
となるまでの考えであり、
「バブル崩壊からは、そんなことは言っていられなくなった」
ということである。
つまり、
「社員の優秀さ」
というものを度返しして、
「会社が生き残るには、社員を一定数減らすしかない」
という状況になったり、
「大きな企業に買い取ってもらう」
つまりは、
「吸収合併」
などという方法を取らなければ、
「生き残っていけない」
ということであった。
そうなると、
「実力があろうがなかろうが、人の削減をしないと、赤字が増えていくだけだ」
ということで、
「早期退職者を募る」
という方法で、
プロローグ
あれはいつ頃からだっただろうか? 朝の通勤ラッシュの時間などで、電車の最後部には、
「女性専用車両」
などというものが設置させるようになり、その車両には、
「男性は乗ってはいけない」
と言われたものだった。
時間の流れというのは面白いもので、以前、電車の最後部では、最初は、
「禁煙車両」
と言われていて、少しすると、今度は、
「喫煙車両」
と言われるようになった。
というのも、昔は、電車の中ではたばこというのは自由に吸えたものだった。
これは、
「電車の中」
に限ったことではなく、
「会社の事務所や、会議室。学校の職員室でも、吸えたものだった」
ということだ。
だから、
「どうしても、吸ってはいけないということで、学校の教室や、病院の病室などを、特別に、禁煙」
としていた。
それだけ、昔は、
「煙草を吸う」
ということは当たり前ということであり、吸わない人間の権利など、まったくなかったのである。
しかし、そのうちに、禁煙車から、
「嫌煙権」
というものを求める運動が出てきて、さらには、
「副流煙」
ということで、
「煙草を吸っている人間よりも、吸わないが、喫煙者の近くにいて、その煙を吸う方が、
「がんになりやすい」
などという研究結果が出たことから、
「嫌煙権」
というものが、真剣に叫ばれるようになったのだ。
なんといっても、会議室や会社の事務所。さらには、交通公共機関などの、公共の場所で、喫煙ができるのだ。
「禁煙者だけが、迷惑を受けないように」
などということができるはずもない。
最初こそ、
「禁煙スペース」
であったり、
「禁煙車両」
というものが出てきて。
「禁煙者にも、少しは配慮しよう」
という程度のものだったが、次第に、
「それだけでは不十分」
ということで、逆に、
「喫煙者だけをあつめる」
という、
「喫煙ルーム」
ができたのだ。
今度は、
「基本は禁煙者であり、喫煙者が、特別に煙草の吸える場所を提供してもらえる」
ということで、完全に立場が逆になってきたのだ。
嫌煙権というものが叫ばれだしたのが、いつ頃になるのかははっきりと分からないが、実際に、運動が実を結ぶことになってきたのが、ちょうど、昭和末期くらいだっただろう。
そこから、
「禁煙車両」
などというものが出てきたのが、平成初期くらいで、実際に、
「公共の交通機関」
つまりは、
「電車内」
はおろか、
「駅構内までが、すべて禁煙」
と言われるようになるまでに、昭和の末期から、約四半世紀が掛かったといってもいいだろう。
それでも、一部の喫茶店であったり、飲み屋、パチンコ屋などでは、
「喫煙が当たり前」
ということで、せめて、
「禁煙ルームがあるところもある」
という程度で、
「なんと時代遅れなのか?」
と思われていたが、それからやっと10年が経って、
「基本的に、どこでも禁煙」
ということになり、
「パチンコ屋」
「飲み屋」
でも、全面禁煙ということになった。
ただ、
「法律で定められた一定の基準をクリアした喫煙ブースを設ければ、そこで、喫煙してもいい」
ということにはなったようだ。
パチンコ屋」
などの規模の大きな店ではできるが、個人経営でやっている飲み屋では、そこまでの経費を掛けることはできないだろう。
あるとすれば、
「チェーン店の飲み屋」
くらいで、それも、
「喫煙ブースがない」
というところも多いことだろう。
昭和から、平成、そして、令和に掛けて、
「40年近く経って、やっと、禁煙車の権利が認められるようになった」
ということであろう。
実際に、喫煙者が、爆発的に減った。
それまで、煙草を扱っていたところも、扱わなくなり、買える場所も少なくなってきた。要するに、煙草というのは、
「百害あって一利なし」
といってもいいだろう。
「タバコというものが、いかにひどいものか?」
昔の社会を知っている人、そして、変わってきた世の中を知っている人には分かっていると思うが、今のたばこは、一箱で、
「安いランチが食べられる」
というくらいの値段である。
ランチもかなり高くなってきているので、それでも、煙草の値段の上がりようは異常といってもいい。
世間で、これだけ肩身の狭い思いをしなければいけない状態で、しかも、値段が爆発的に上がってきているのであるから、
「煙草を辞める」
という人が増えるのも、当たり前ということであろう。
そんなたばこを吸っている人が少なくなってくると、時代は、別に流れてきた。
特に、世紀末くらいに問題となったのが、
「男女雇用均等法」
という問題で、
「男女平等」
という発想であった。
特に、
「バブル経済」
というものから、
「バブルの崩壊」
という、激動の時代を経ることにより、社会が大いに変化してきた。
それまで、会社というものは、
「終身雇用」
「年功序列」
というのが当たり前ということであった。
だから、実力のある人が、
「出世しようとしても、なかなかできない」
ということで、
「海外のように、実力主義」
というものを求めるようなことが、バブル崩壊以前にはあったものだ。
要するに、
「自由でありたい」
という考えである。
それは、あくまでも、
「バブル崩壊」
という、
「非常事態」
となるまでの考えであり、
「バブル崩壊からは、そんなことは言っていられなくなった」
ということである。
つまり、
「社員の優秀さ」
というものを度返しして、
「会社が生き残るには、社員を一定数減らすしかない」
という状況になったり、
「大きな企業に買い取ってもらう」
つまりは、
「吸収合併」
などという方法を取らなければ、
「生き残っていけない」
ということであった。
そうなると、
「実力があろうがなかろうが、人の削減をしないと、赤字が増えていくだけだ」
ということで、
「早期退職者を募る」
という方法で、



