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京都七景【第十九章】

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「では、俺が千草さんに好意を抱いていることを感じさせるような言動とかも?」

「いっこもあらへん」

 この言葉に俺は心底ほっとしたが、それはそれでがっかりした。少しは俺の好意を感じているものと淡い期待をかけていたが、一つも感じていないとは、返す返すも、残念だった。

「じゃあ、どうしてあんなことを言ったの?」

 千草さんは言いにくそうに下を向いて、
「それはな、先生のこと好きになってしまいそうやからや」と言って、おれを二度凍りつかせた。一瞬ごとに、なんという運命の転変か。俺は、これまでの人生でこんなにびっくりしたことはなかった。
 千草さんはその理由をおもむろに話し出した。それを俺がまとめるのも、恥ずかしくてかなりためらわれるが、言わないと話が終わらないから、勇気を出して最後まで言おう。大略、こんな話だった。
 実は、千草さんにとって家庭教師としての俺の第一印象は、怖さと厳しさが入り混じった最悪のものだったそうだ。
 俺も、女性ばかりが住むその家で、ひとりだけ男の自分が、可愛い一人娘に勉強を教える以上、心中はどうあれ、決して誤解や粗相を招くことがあってはならないと、きつく自分を戒めていたから、自然と仕草に緊張が走り、外見が学校の生活指導部長のような、かなりの強面(こわもて)になっていたことは、まずまちがいない。その緊張をときほぐしてくれたのが、千草さんの母親だった。
 母親は、ことあるごとに俺の心を引き立ててくれようとした。どうしてそんなに、俺に親切にするのか、俺にも千草さんにもわからなかった。
 初めは、千草さんも、母親のそういう態度に反感を持って、お母さんは先生に甘いから、と私の前でも言い放っていた。そう言われた時、俺は母親に、「あまり俺にお気遣いなく」とお願いしたものだ。
 そんな時は後で、母親は千草さんにこんなことを言っていたのだそうだ。あんたにはまだわからないだろうが、職業柄、私には男を見る目が、あんたよりはできている。それからすれば、あの先生には他の人にない豪放磊落で人の頼りになるところがある。それに、喜怒哀楽がはっきりしている。それは、感情をすぐ顔に出してしまうという欠点もあるけれど、逆に、決して嘘のつけない正直な人であることも示している。だから、陰険なことが嫌いで、なんでも正面からぶつかって行こうとする正攻法タイプの人だと思う。そういう人は自分の責任で物事を進めて行くから、失敗から学ぶ姿勢さえあれば、きっと人に寛容で優しくなれるはずだ。
 堀井先生は、見た目はああいう自由気ままな人で誤解を受けやすいけれど、けっこう苦労人らしいので、時間をかけて真価が見えてくるタイプの人だと思う。だから、長くつき合ってこそ、その真価が現れると私は信じている。ちょっと見だけでは堀井先生の良さはわからない。それを知るためには早計な判断をせず、じっくり自分の目でみて、時間をかけて判断するのが大切だ、と。
 千草さんは、まさかそんなわけがあるはずはないと思っていたが、1年2年と教えを受けているうちに、俺の謙虚な姿勢(自分で言うか)と熱心な教え方によって俺の真価が(気恥ずかしいな)徐々に現れて来たからか、身構える姿勢は取り除かれ、心が開かれる機会もふえて、どうやら俺の存在にもそれなりの敬意を払ってくれるようになった。
 ここで、注釈を入れると、それから俺の地位は、気の置けない学生から、知り合いのお兄さん、幼い頃に遊んだ仲良しのいとこ、頼りになる兄さん、くらいまで順調に進展して来たが、当然ながら、それからあとは、そこに停滞してしまった。さすがに俺も、この辺が限度かなとやや諦めて、俺の淡い恋心をひとまず封印することにした。
 それが今回のこの言である。俺はうれしいやら悲しいやら、心が右往左往してどう対処していいのか、ついに判断がつかなくなり、苦し紛れにこうたずねるしか他に言葉が見つからなかった。

「それってどういうこと?」

 千草さんは、少し困った顔をしながら、考え考え、懸命に答えてくれた。その健気さに俺はますます千草さんが好きになった。
 答えはこんなふうだった。
 自分は母親の意見に素直に従って、それなら、先生の来るたびごとに、実地で観察してみるのが一番いいやり方だろうと心密かに決心し、いよいよ俺の行動を怠らず観察し始めて見ると、なるほど先生は、母の言った通り、正直で心のひろい人だということがわかって来て、俺に好意を寄せるようになった、という。
 そうして一旦好意を感じ出すと、不思議なことに、先生のアドバイスや心遣いの一つ一つが身に染みて心に迫り、まるで自分のためだけにしてくれたことように思われて、内心うれしくなった。
 そのうれしさを頼りに、疑問や悩みを相談すると、先生は、どんなにつまらなそうな問題でも全部の問題に、たとえ解決はつかなくても、できる限り、可能な答えを用意しようとしてくれるので、答えそのものより、先生の誠実な態度に感心して、さらに俺の好感度は増したそうだ。
 そういうときには、ふと、こういう人と送る人生もなかなか捨てがたいのではないかと想像することもあり、そうなると、理由もなく急に顔がかっとほてって心臓がどきどきしたりして困るようになった。
 まさか、これが人を好きになるということだろうか? いや、いや、そんなはずがない。そんなのは思い過ごしだ。だいたい今までそんなことを考えたこともなかったではないか、と打ち消してはみたが、先生の来る日がだんだん待ち遠しくなったり、教わる時間を少し伸ばしてもう少し話を聞きたいと思ったり、逆に、来ない日には何か物足りないような気分になったりするようになった。
 まさか自分が、そんな気持ちになるとは思っても見なかったので、これはまずい、と思った。自分には固く決意した二つの目標があり、それが今、自分の心と激しく対立しつつあったからだ。
 自分は、何をおいても、女性の地位向上のために闘うことと、男なんかに頼らなくてもちゃんと生きていける人生を歩むことを一生の目的とするべく、ついこの間自分に誓ったばかりではないか。それが、恋の自覚がないとはいえ、ちょっとしたことで自分が男に心動かされるようでは、先が思いやられる、もっと強靭な心をもたなくては女子一生の仕事を成就できるわけがない。なんとしても、この気持ちがこれ以上発展して取り返しがつかなくなる前に、先手を打って、火消しを図っておかなくてはならない。
 まずは、自分の気持ちを抑えるのが先決だが、恋には相手の気持ちという不確定な要素がある。それは、いろいろな局面に割り込んできて、互いに影響を与えて向かう方向を予想できなくしたりするから、とにかく厄介である。だから、もし先生が私に恋心などを抱いているようなことがあれば、できる限り早期に、それを諦めてもらわなければならない。
千草さんは、心にそんな考えを常に抱きながら、相手を諦めさせる好機がいつ訪れても決して逃すまいという覚悟で最近の日々を過ごしていたのだという。
作品名:京都七景【第十九章】 作家名:折口学