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京都七景【第十九章】

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  アルノー夫人 あなたは良い方だが男だ。あなたたちは自分以外のものにまるで理解がない。自分のそばにいる女を自分の流儀でしか愛さない。それで女のことをよく理解していると思い込んでいる。私たちを最も愛してくれる男たちが、私たちをどう見ているかを知るのが、私たちにどれほど苦痛を与えるものか、知ってほしい。私は時折、「そんな仕方で愛さないでほしい。そんな愛しかたをされるくらいなら他のどんなことでもまだマシだ」と叫び出したくなる。私もまたそういう苦しみを知っている。
  クリストフ  あなたがあの女と同じことをするとはどうしても信じられない。
  アルノー夫人 私ももう少しで同じ過ちを犯しそうになった。今から2年前、私は悲しみに身を蝕まれるような気持ちでいた。私はなんの役にも立たない女だと。誰も私のことなどかまってはくれない。誰も私など必要としていない。夫でさえ私なしにやっていけるだろう。私は何ものでもないもののために生きてきたのだ。私はこの生活から逃げ出そうとした。その時クリストフにお別れを言いに行った。その時のクリストフの一言が私には救いになって、家出をやめることにした。
  クリストフ  では、今は幸福なのか?
  アルノー夫人 そうだ、この世で人が幸福になりうる程度には。でも、こんなことを話すべきではなかった。ただ、あなたに、このうえなく愛し合っている夫婦にも互いにひどく苦しめ合うことがあるのを教えてあげたかったのだ。
  クリストフ  では人はそれぞれ一人で生活すべきなのか?
  アルノー夫人 それはちがう、女の場合、この社会は一人で生きていけるようにできてはいない。女が一人で生活するのはやむを得ずそうしている。女が貧しいと男は結婚の手を差し延べない。女は孤独な生活を運命づけられ、そこからは何の利益も得られない。また、逆に、男のように独立の生活を楽しんでいると、たとえどんなに無邪気にそれを楽しんでいようと、きっと悪口を言われる。女には全てが禁じられているのだ。特に地方で中学の先生をして働きながら生活をしようと努力している知的な女は嫌われる。中でもブルジョワ階級の人たちは、こうした女たちとの交際を嫌い、彼女たちに疑い深い軽蔑の念を抱いている。だから、若くてやさしい魂の持ち主である若い女の先生たちは、潤いのない職業と非人間的孤独の中でやる気を失ってしまう。そうして、そういう魂を一番理解していないのが、その学校の女校長ときている。
  こうした生活は、宗教的・道徳的な特殊な感情に支えられていないと、それは地獄になる。そういう感情に支えられていない女たちが慈善事業をする場合はどんなことになるだろうか。無駄話をしたり、いちゃついたりしながら、他人の悲惨をおもちゃにするだろう。そんな慈善事業は、まじめな魂を持った女にとって、なんといやな後味を残すことだろう。
  もし真面目な魂を持つ女が、それにうんざりして本気で人を救おうとその悲惨の真っ只中に飛び込んだとしたらどうだろうか。きっとその悲惨の中に溺れてしまうに違いない。それでも彼女は闘って一人でも救おうとするだろうが、一緒に溺れてしまうのだ。たとえその一人を助けられたにせよ、今度は彼女自身を誰が助けてくれるのか。誰も助けてはくれない。時には石を投げつけられることもあるのだ。
  ある立派な婦人が、子どもを産んだばかりの不幸な娼婦たちを自分の家に引き取ったことがある。貧民共済会が引き取ることを拒んだからだ。婦人は、彼女たちに母性的感情を呼び覚まし、正直に働かせて、家庭や生活をやり直させてやろうとしたが、彼女が全力を尽くしても足りなかった。他人の苦しみを引き受けたこの人を世間はどう言ったのか? 意地の悪い彼らは、彼女がこの仕事で金をもらったとか、保護した女たちを使って金をもうけたというような非難までした。結局、彼女は街を去らなければならなくなった。
  独立している婦人たちが、今日の保守的で無慈悲な社会を相手に闘わねばならないその闘いが、どんなに残酷なものか、あなたに想像がつくのか?
  クリストフ  それは女だけの運命ではない。僕たち男も同じ条件の中にいる。僕はまたその避難所を知っている。
  アルノー夫人 それは何か?
  クリストフ  芸術だ。
  アルノー夫人 芸術? 芸術以外、何一つ持っていないときに、芸術が何の役に立つのか? この世で他の一切を忘れさせるのは、かわいい子どもしかいない。
  クリストフ  子どもがいても、それで十分とはいえない。
  アルノー夫人 それはそうだ、いつも十分とはいえない。だから女はあまり幸福なものではない。女であることは、男であることよりずっとずっと難しいことだ。女にはいくつも魂があって、同時にそれらを満足させることはできないから、一方で幸福だと思っても、もう一方で後悔する(ここを俺なりに解釈すると、たとえば、妻の役割と母の役割を同時に満たすことはできないという意味かもしれん)。男は一つの魂しか持っておらず、精神的な情熱や活動に没頭することができるから、自分ではそうと気づかず、利己的になって、女たちにひどく悪いことをしている。
  クリストフ  では男たちはどうすればいいのか?
  アルノー夫人 善良な人間になることだ。そうして、お互いに愛し合うことだ。女は男の兄弟であって、男が餌食とするものではないことを感じようとすることだ。双方で、自分たちの思い上がりを捨て、どちらも自分のことを少し少なく考え、相手のことを少し多く考えようとすることだ。

 これがアルノー夫人の意見の要約かな。ま、ちょっと違っているところもあるかもしれないが、本筋はこの通りだと思う。でも、疑問がある場合は、直接本文に当たることをお勧めする。
 それでだ、この意見には千草さんも深く身につまされる思いがした。というのは、ここに書いてあるすべてが、どれも自分の家庭に当てはまることのように思えたからだ。
 父(らしきもの)は、本来の家庭以外に、勝手に別の家庭(千草さんの家庭のこと)を作り、どちらの家庭にも自分の利己的な態度を貫いている。その行動が、程度の差こそあれ、両方の女を傷つけ泣かせていることに気づこうともしない。逆に、自分はよくやっていると母の前で自満することさえあるそうだ。
 中でも千草さんの母こそ、アルノー夫人の言う孤独な生活を運命づけられた女に、よく当てはまるものはないようだ。実質的片親の家庭で、なんとか普通の家庭にひけを取らぬよう孤軍奮闘して生活費を稼ぎ、娘には優れた学歴をつけさせるため、私立名門女子学園に通わせ、家庭教師までつけている。そのうえ、悩みを抱えた、かつての同僚の相談や資金援助までしている。それを世間では嫉妬して、芸者の子に学歴が何の役に立つのか。とか、同僚をうまく助けて上がりの上前を撥ねている、とか、何の根拠もないのに避難するものまで出てくる。しかもそれが、普段分別があるとされる同僚の女だったりするから、始末に負えない。
 千草さんは、これらのことを思い浮かべて顔が蒼白になるほどの怒りを覚えた。そして決心した。
作品名:京都七景【第十九章】 作家名:折口学