京都七景【第十九章】
そのうち、だんだん今はこの作品を読んでいるんだとか、先生(俺)はもう全部読んだのかとか聞かれることが少しずつ増えてきた。質問もまた、少し専門的になって来たりもした。
そうした2年が過ぎようとする頃に、いよいよ問題の日がやってきた。それは、さっき話した、野上が俺のところにやって来た日のことだ。なんとかスレスレで若王子の家に着き、どうにか無事に家庭教師を終えたあと一息入れていると、千草さんがちょっといたずらっぽい目を輝かせてこんなことを言った。
「あのな、うち、もう少しで、ジャン・クリストフ、読み終わるねん。すごいやろ?」
そう言われて、俺は確かに驚いた。例のリストにある小説の中でも、大長編の『ジャン・クリストフ』を、これから読み始めるのでなく、もう読み終わるのだという。
「いやあ、そいつはすごい! 高校生で読み終えたと言う人に、俺も今まで出会ったことがないよ。俺だって、第1巻を、読んでは忘れ、忘れては読んで、いまだ第2巻目に手が届かず、というところだもの。だから、それはもう快挙というしかない。えらい!」
「うふふふ」千草さんはうれしそうな顔をした。俺は、『ジャン・クリストフ』の件で思いついたことがあって、さらに話を付け加えた。
「じゃ、もしよかったら、読み終えたあとで、同じロマン・ロランの『ベートヴェンの生涯』を読むことをお勧めするよ。ジャン・クリストフはベートーヴェンの生涯にインスピレーションを受けて書かれたものなんだ。ベートーヴェンの生涯に重ねて、「苦悩を突き抜けて歓喜に至る」ジャンクリストフの物語をロマン・ロランは作った。だから二つを対比して読むと、より深いところまで理解できると思う。
それから、今日、実にタイムリーなことに、下宿のすぐ近くにロマン・ロラン研究所というものを見つけてね。その研究所は、京都精華短大の先生で、ロマン・ロランのもう一つの大作『魅せられたる魂』の翻訳者『宮本正清』という人が主催をしている。そこで、どんな研究が行われているかは窺い知れないが、ロマン・ロランの件で何か質問したいことがあれば訪ねてみるのもいいかもしれないね」と、その日の収穫を話してみた。
千草さんは、「ふうん」と一言だけ言ったまま、興味を持ったかどうかは面に表さず、「おおきに。ほな、また来週。さいなら」と言い残して、自分の部屋に戻ってしまった。
さて、それからほぼ二月(ふたつき)が過ぎた土曜日の午後、相変わらず『大銀』へ昼食に行く日々を繰り返していた俺が、食べ終えて、ロマン・ロラン研究所の前を通りかかると、見慣れたセーラー服を着た女子高生が研究所の数寄屋門の前に佇んでいる後ろ姿が、目に入った。どうも知っている人のように思えるが、髪型が決定的に違っている。ボーイッシュな髪型で、その後ろ姿はすらりとして格好が良く、まるで、セーラー服を着たモデルのようでもある。
モデルは、インターホンを押しても返事がないので諦めたらしい。帰ろうとして振り向きざまに、少し高みにある石段から見下ろしたその視線が、ちょうど見上げた俺の視線と出会った。
「あら、先生やないの?」
「な、なんだ、千草さんだったのか? びっくりしたな。どうしてこんなところにいるんだい? それに、その髪型はどうしたの? どこかのスタイルのいいモデルさんみたいじゃないか。振り向いた姿が、まるで築地明石町かと思ったよ」
「なんやの、その『ツキジアカシチョウ』て?」
「日本画家、鏑木清方(かぶらぎきよかた)の代表的美人画だよ。だから、さてはこれから、ロマン・ロラン研究所で撮影会かなんかがあって、研究所の宣伝ポスターでも作るのかと推測したわけさ」
「まさか、そんなわけあらしまへんやろ、ヘボ探偵やな。なあ先生、もう忘れやしたの? うち、先生のアドバイスに従うて来ましてんで」
「ああ、そうか。そうだよね。そうだった。これは失礼、申しわけない。それじゃ、例のジャン・クリストフの件で何か聞きに来たんだね?」
「いや、今日は、ジャン・クリストフとは、ちょこっとちがうことなんやけど」
そう言いながら千草さんは事情を説明してくれた。
ところがあいにく、その説明が立ち話には重すぎる内容だし、ひどく時間もかかりそうだったので、そこから徒歩5分くらいの場所にある喫茶店ワールド・コーヒーにひとまず腰を落ち着け、改めてじっくり聞かせてもらうことにした。
「わあ、コーヒおごってくれはるの? うれしいな、おおきに」千草さんはよろこんで賛成してくれた。
ここからは、俺がかいつまんで話そう。
「千草さんは、ジャン・クリストフ(新潮文庫で全4巻、新庄嘉章訳だ)の第3巻目の終わり頃に差しかかったとき、文中のある突発事件に関する、ジャン・クリストフとアルノー夫人の対話に、まるで神の啓示でも受けたかのように(もちろん、千草さんはクリスチャンではない。が、やはりカトリック校に通っているせいか、感極まるとこんな喩えをよくすることがある。念のため)目を見開かれる思いがしたそうだ。
その対話は『女友達』という章の章末にある。で、事件とは、どんなものだったのか。
パリでの日常生活のある日、旧友のオリヴィエ(詩人、批評家)が、クリストフ(音楽家)のアパルトマンに、自分の妻が子供を置いて情夫と家を出てしまった、どうか助けてほしいと相談に来た。クリストフはそれを、同じアパルトマンに住む友人、アルノー夫人(大学教授アルノー氏の妻)に話し、両者はその妻の行動について激しい意見を闘わせた。
その時のアルノー夫人の意見に、千草さんはすっかり共鳴し、平素、品行方正で模範的な夫人の、男女両性に関するラディカルな(根源的な)考えに喝采を送ったという。
さらに、そのアルノー夫人の意見は強風となって、これまで千草さんの中にもやもやとわだかまっていた霧を吹き払い、千草さんのこれから立ち向かうべき道をくっきり映し出しているようにも思われた。そうして心は自ずと静まり、清々しい気分になったとのことである。
では、アルノー夫人はどんな意見を述べたのか。分かりやすくするために、俺がアルノー夫人の意見をクリストフとの対話形式にして述べさせてもらおう。なあに、記憶に心配はいらない。千草さんの言う第3巻のその箇所は、喫茶店で話をしながら、何度も繰り返し読まされたから、今ではすっかり暗唱できるほどさ。まあ、聞いていてくれ。
クリストフ そんな女は裏切り者なのだから、忘れるか、さもなければ殺してしまえばいい。
アルノー夫人 そんなふうに言うものではない。あなたにはわからないのだ。あの女の人はお気の毒だと思う。あの人もやはり苦しんだのだ。私には察しがつく。
クリストフ あなたのように立派で正しい生活をしている人が、どうしてあんな女の察しがつくのか?
作品名:京都七景【第十九章】 作家名:折口学