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繰り返す世代

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 というものが減ってくることになったのだが、
「城に関しては、かなり厳しかった」
 ということのようで、藩主の中には、
「せっかくあった天守を、幕府から睨まれたくないという理由で、壊してしまう」
 ということが結構あったという。
 中には、天守代用ということで、
「御三階櫓」
 というものにすることで、
「幕府の追及を逃れる」
 という方法を取ったところもあった。
「それだけ、当時は、粛清というものに、大名は敏感だった」
 ということである。
 なんといっても、
「三河時代からの譜代大名」
 と言われる、幕臣でもあった大名を取り潰したり、中には、
「将軍家とかかわりのある」
 という大大名にも、因縁を吹っ掛けて取り潰すということまでやってのけているということなのだから、
「幕府というものと、大名との間にどれだけの大きな確執があったのか」
 ということである。
 大名というものは、中央から委任されて統治させられているというわけではないので、本来であれば、
「結構な力を保有できる」
 ということになるのだろうが、それを幕府が抑えるには、結構な力を、、幕府が持つ必要があり、
 それができないのであれば、
「藩の力をそぐ」
 ということしかないわけである。
 そのために、いろいろな対策が練られた。
「天下普請」
 ということで、幕府の工事を、各大名が賄うというのもその一つである。
 または、
「参勤交代」
 ということで、
「半年や一年、藩主が江戸に通ってくる」
 というものである。
 だから、その分、大名行列であったり、藩主が江戸にいる間の費用など、目的としては。
「天下普請」
 と同じで、
「藩に金を使わせて、謀反を起こせないようにする」
 という方法であった。
 本来であれば、
「封建主義」
 なのだから、
「御恩と奉公」
 ということで、
「土地を守ってくれるかわりに、幕府に奉公する」
 というのが当然なのだが、これでは、ある意味、
「恐怖政治」
 と呼ばれるものであった。
 あくまでも、
「幕府を守るため」
 つまりは、
「徳川家の繁栄だけ」
 といってもいいかも知れない。
 特に、江戸時代中期からは、社会問題として、
「幕府の財政圧迫」
 というものが深刻になってきた。
 各藩の方も、それ以前の
「天下普請」
 であったり、
「参勤交代」
 などによって、金を使わされているのだから、幕府ところの話ではなく、
「自分たちの尻に火がついている」
 といってもいいだろう。
 いろいろな対策を取ったが、結局、うまくいかず、時代は、幕末の、
「開国」
 というものから、
「尊皇攘夷」
 さらには、
「倒幕」
 というものにシフトしていくのである。
 そして、幕府がなくなり、今度は封建制度から、外国の政策を取り入れた、
「立憲君主国」
 というものに変わっていくことになる。
 その政策の中の一環として、
「廃城令」
 というものがあった。
 これは、
「軍の施設として利用できるところ以外は、廃城とする」
 ということで、
「そもそも、封建制度時代の古臭いものはいらない」
 ということである。
 特に、
「城というのは、封建制度を代表するもので、新しい政府になったのだから、廃城とするのは当たり前のこと」
 といってもいいだろう。
 そして、今度は、
「立憲君主国」
 という。
「大日本帝国」
 が、戦争に突き進んだことで、最終的に、城は、
「物理的な崩壊」
 というものを迎えることになる。
 それが、
「本土空襲」
 というもので、
「絨毯爆撃」
 と言われる、
「兵士でなくても、一般市民に対して、しかも、病院、学校など関係なく爆撃を行う」
 ということで、お城も例外ではなく、
「空襲によって、崩壊した」
 という大都市にあった城は数知れないといってもいいだろう。
「名古屋」
「岡山」
「大垣」
 などの、有名な城は、大都市への大空襲により、崩壊してしまったのである。
 つまりは、
「江戸時代初期の、一国一城令」
 あるいは、
「明治初期の廃城令」
 そして、
「大東亜戦争末期における。本土大空襲」
 というものによって、
「三度にわたる城の崩壊」
 というものがあったのだ。
 だから、今実際に、
「現存している」
 と呼ばれる城は、
「姫路城」
「松本城」
「彦根城」
 などを代表として、
「十二城」
 だけであった。
 この、
「現存」
 というのも、
「江戸時代以前に作られてから、一度も崩壊したり、建て直しのなかったお城」
 という条件になるのである。
 だから、実際に、
「途中で建て替えられた城」
 というのも、その中には混ざっている。
「松本城」
 であったり、
「宇和島城」
 などがその代表で、しかも、
「どちらも、築城時期とはまったく違った形の天守になっている」
 というのが、面白いところである。
 実際に、
「お城の歴史」
 というのを勉強していると面白いというものだが、今の公園を見ていて、
「ここが、昔はお城の一部だったなんて」
 と最初から理解できている人がどれだけいるだろう。
 確かに、道を挟んで反対側には、
「城址公園」
 というものが広がっていて、
「花見の名所」
 ということになっている。
 そもそも、城址公園というのは、
「花見の名所」
 と呼ばれているところが多い。
 やはり、今も昔も、
「花見というのは、年中行事としては、かなりの地位を秘めていた」
 といってもいいのではないだろうか?
 城址公園の横に広がっている、大きな池を有する公園は、
「市民の憩い」
 とともに、
「観光の名所」
 さらに、
「デートスポット」
 としても、忘れられない存在だといってもいいだろう。
 そんな公園を毎日のように歩いている人は、結構多いが、中には、
「たまに歩く」
 という人もいる。
 それでも、初めて歩いたという人も、これもたまにいるのだろうが、そういう人に限って、
「普段なら、誰も気にもしないようなものを見つける」
 ということがあって、しかるべきなのだろう。
「興味津々ということなのか」
 それとも、
「気づかないことに気づく神」
 というもののいたずらなのか、
「えてして、不思議なことだ」
 と言われる中で、
「あるある」
 とも言われることであろう。
 ただ、そんな、
「興味津々」
 という意識を、本人は表に出しているわけでもなければ、意識しているわけでもないようだ。
 だから、
「本人の予期もしていなかったことを、いきなり発見したりする」
 ということになるのだ。
 それも、
「見たくもない」
 というものを発見してしまったりするわけで、
「うれしくもなんともない」
 というわけだ。
 それが、
「それを見たために、トラウマになってしまう」
 というほどの衝撃的なものであれば、本当に、
「見るんじゃなかった」
 と思い、見てしまった自分の運命を恨んだりするくらいである。
 その日の朝は、実際に、
「何か嫌なものを見る」
 という感覚だったといえるだろう。

                 朝の散歩

 朝から、いやな予感というのはあった。
作品名:繰り返す世代 作家名:森本晃次