昭和からの因果応報
「まさか殺人事件に発展するとは?」
ということを思いながらも、
「ただでは済まない」
という意味で、
「事件の発生」
というものを予知できていたのだ。
そもそもが、
「事件を未然に防ぐ」
ということを、実際にできないということを自らで悟った刑部は、署長との話の中で、
「俺が殺される時は、潔く死にたい」
ということを言っていた。
署長も、
「俺がこんな立場でなかったら、俺はお前の意思を継いでやるのにな」
ということを言っていた。
「いや、いいんだ。俺が死んだとしても、犬死にはしないでくれよ。特に、事件を未然に防ぐということができないのだから、俺が、どうあっても、犬死になるくらいだったら、俺を殺そうとしている連がどうなるか、俺は見ることはできないので、お前に見てもらうしかないんだ」
ということであった。
そういう意味では、
「刑部は自殺をした」
といってもいいだろう。
実は刑部がここまで覚悟したということの理由として、彼は今まで生きてきた中で、
「許されない罪悪を犯した」
と思っている。
警察沙汰にもなっていないし、昭和の時代であれば、
「それくらいは当たり前のこと」
ということで、
「時代に埋もれた」
といってもいいだろう。
しかし、それも、
「若かりし頃のこと」
ということで、
「決して許されることではない」
とは言えないだろう。
しかし、
「俺はこの年になって覚悟が簡単にできるようになった」
といって、
「もし、俺が殺されるとすれば、それは、親の因果が子に報いたということになるわけで、それこそ、因果応報ということになる」
というと、
「そこに運命のようなものが感じられる」
ということで、
「この世において、巡りめぐってくる、一種の輪廻転生だ」
といってもいいだろう。
実際に、その因果が、老人になってから報いがやってきたのだ。
それが、
「老人の精神疾患」
というものであった。
「老人になって、痴呆症というわけではなく、さらに重い、双極性障害」
というものであった。
しかも、前述のような、
「合併症」
のようなものが付きまとっていることで、へたをすれば、
「自分の意思ではどうにもならない」
というところまで来ていたようだ、
だから、どこか、
「捨て鉢」
と言われるようなところがあったのだが、それでも、
「ある瞬間には、正気に戻る」
という時があった。
しかも、その時は、
「人生の中の集大成」
というべき、
「感情に逆らわない意思」
というものを持つことができ、それが、老人の今回の事件を、
「本人の意思」
というものに導かせたのかも知れない。
普段は、
「痴呆症かも知れない」
という程度にごまかしていたが、実際に、まわりも、コロッと騙された。
さぞや、本人が正気であれば、
「これほど愉快なことはない」
といって、心からの大笑いをしたことだろう。
それを思えば。
「この人生の集大成において、結局、人生が最後まで空回りしたことになるかも知れない」
と感じた刑部老人に対し、
「まあいいさ。お前の骨が俺が拾ってやる」
とばかりに、
「署長と、刑部老人とでは、かなり年が離れているはずなのに、お互いに、タメ口をきいている」
それだけ、二人の間の友情というのは、
「他の人にはないもの」
といってもよく、本人たちは、
「これが昭和だ」
と思ったことだろう。
そして、事件は、その後、とんとん拍子に解決し、結局、息子が自殺をしたのだが、その時に、老人を殺そうと企んでいたが、実行できなかった人間までも、巻き込んだ」
ということは警察は知らなかった。
実際には、
「町はずれの森の中に埋めたのだが、そこは、いずれ再開発予定となっているので、その死体が発見され、荼毘に付される」
ということは分かっていた。
それが、10年経った、ちょうど今ということになるのであった。ちょうど、昭和から続く中においての、中間地点。
「そこまで刑部老人が考えてのことだったかどうか、署長にも分からなかったのだ」
( 完 )
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