後架の蜘蛛
洗面所にてただ茫然と己の顔を眺めやる佑月の、そのかまびすしい声らの中に己の幼時に似た声が耳朶に触れると、はたとそこに幼時の己が混じっているのではないかとの恐怖が夙に湧いて来た。——今住まうこの洗面所の外は過去であるような、至極あり得ない感覚を覚えたのである。その時間錯誤は往々にして起こり得た。
その小学校が今の名の小学校となったのは佑月がそこに入学する時分——例の少子高齢化により他なる小学校と併設された時であったから、その歴史はまだそう深いものではない。しかし、それが何故、己があそこにいる、なぞという異様なことを思ったのかと云えば、音が耳朶に触れるより前に時代が流れ進み、たどり着いたのは己が斯様な惨状になった時だと考が不図頭を過った為である。彼はその学校の第一期生なのであった。
かの声と己が幼時の声が響応し、まだ穢れを知らぬ時分であった己が——あの時の何も辛さを知らなかった時の自分の声が、かの騒音の中に僅かに独立する己が幼時の声に似た声により引き摺り出されると、その中に死ぬよりも酷く辛い業苦を味わう者が出るのだとの考えが脳裏を過ったのだ。——何か、自分と同じ命運辿る者があそこに居てもおかしくないのではないかとの、何か、幼時の己があの場に居て、己が向後どんな目に遭うかも知らずに、無邪気に走り回っているのではないかとの考えが、不図湧き出でてきたのである。今まで知らず知らずの内に時を隔ててきていたが、あの声の中に現状の己と同じくした道を辿る者も、若しくは辿った者もおるのだとの佑月の考は、しかしそう遠からぬものではあるだろう。将来、純朴な子供を虐めることの出来る——それを教育だと衷心より信じて愚行を施すことの出来る大人に苛まれる者が、今あの場におるのだろう。事実、それが佑月であった。それだけではない——かてて加えて、愚行を施す側の人間もそこにいるのだと考えれば、往時施された傷跡が——既に躰には残っておらぬ傷跡が疼き出すのだ。
佑月はそう思うと、やはりこの不毛な輪廻の中から一刻も早く抜け出すには自裁するより他ないのではないかという、これまでさんざ考えてきたことが三度頭を過った。
そこに聞き苦しい音が僅かばかりに聞こえるのは、佑月の、煙草により肺から気管から黒ずみ爛れたが為に生ずる喘鳴である。それに微かに混じる呻き声のようなものは、先の気付きにより過去の追体験が為に酷く苦しみ、またぞろ——これでもう何度目か分からぬ、胸を劈くような痛みによるものが、煤けた過去の記憶が髪の毛と絡まった埃のようなものとなって口から這い上がってくるかのような不快感と苦痛とが催されたが為のものである。
暗なりの洗面所は、右の——リビング側の扉は閉めきられているが、反対の後架の扉は開かれており、しかし窓外の曇りは日光を遮り拡散さすようにして、その団地周辺を薄暗く、それでいて目が眩むような、不思議な——矛盾した明るさがあった。それが後架の小窓から差し込むと、暖色の電灯と相俟ってほの暗い明るさが保たれる格好となる。
また、騒音に近しいその小学校の子供らの声を除けば、至極平穏とも云えなくもない、穏やかな昼下がりでもあった。県営グランドの周りの咲き誇る満開の桜の散りゆくも素晴らしい景観を成している。
──と、そろそろ尿意を我慢できぬ塩梅になってきた佑月は、左にある、風呂場の扉と直角に位する後架に入った。
彼が物を食せぬようになってからというものの、彼は代わりに水だけを鱈腹飲むようになった。自分は何も働いておらぬ故、少しでも食費を抑えるという、彼に残された一緒に住む祖母である美恵へのせめてもの救済も兼ねていたものであったが、それが為、当然の如く彼は頻尿となりそこまではまだ良かったが、あまりに頻度が高すぎたのか、後架に行くことが平生と捉えるようになったのか何なのか、小用がなくとも立ち上がるようになってしまい、はたと己は何故立ったのだろうかといった、ある意味では水を鱈腹飲むようになった弊害と云えるものも発症し始めていた始末。
後架の中、左にある小窓からは、佑月ほどの身長だと肩から上は見えてしまう為(彼は平均的な日本人男性とそう変わらぬのだが)、こと、昼間に開けっ放しでもしてしまうと、時折下に見える道々の人らと目が合うなんていう事も起こり得た。それが為に、臭いと暑さを我慢してその小窓を閉め切るか、竿は真っ直ぐにしたまま上体を右に傾け、窓の死角に逃げ込むか——少なくとも視線が合わぬようにするしかないのだが(あと、座ってするという選択肢もなくはないが、この時の佑月には選択肢に入っておらぬようであった)、平日昼中は人の往来も少なく、団地の目の前を通る者らは大抵老男女か宅配人しかおらぬ上、もし下に人の往来があれば耳をそう澄まさなくとも靴を擦る音が自然と聞こえるものであるから、此度のように誰もの靴音も聞こえぬ場合は、彼は何の制約もなくリラックスした状態で溜まったいばりを捻り出すことが出来得る。
便座を上げれば誰かの(と云っても、必然的に祖母のか佑月のかの二択になるのだが)陰毛が縁に沿うようにこびり付いており、また、水垢が大量に、汚水が浸食するように、水たまりの周りも赤くこびり付き、それは錆のようにも見える。三辺の壁は、後架に座った時を正面に、前にはその年使われるカレンダー、後ろには貧乏人の絵画の役割を果たす、幾年か前のカレンダーが飾られており、壁画や絵画のポスターなどで覆い隠してはいるものの、窓側の壁はむき出しのままで、ペンキが剥げ落ち、窓付近から上下に黴が悍ましい程に——煤が壁に付着しているかのように、広範囲に拡がっている。
放尿による安堵感は、当の本人は認めたくはないだろうが、佑月にとり放液以外の唯一のエクスタシーでもあった。ふうと溜息をつき、何が成しに天井を見上げた。
天井も例によって黒ずんでいるが、はたと左角に蜘蛛が死んでいるのが目に入った。長い脚二本のみが糸に巻きつけられており、体を含めた残りの部分は逆さ宙づりになっている。体も足も糸のように細く、佑月の掌より少し小さいくらいの蜘蛛であった。
彼はその蜘蛛を良く知っていた。いつからか、決まって放尿する時に自然と目に入った、左下の——便所用束子の裏に巣を張っていたあの蜘蛛のはずである。時折、跳ねた佑月のいばりを獲物と勘違いし、それに反応を示していたのを、愛おしく、可愛らしく思っていた。後架に蜘蛛は一匹しか確認されておらぬはずである。少なくとも、彼が海外から帰ってきてからの二年間は決まって左隅の、平生の場に巣があった。
——天井の左隅に巣を構えたのはなんとはなしに予想がついていた。