後架の蜘蛛
──群青のスーツを身に纏い、ダークレッドのネクタイを巻いている、エリートサラリーマンたる己。片手にビジネス用の鞄、もう一方では携帯を持ち、英語かどこかの言語で取引をし、ビルとビルの間を闊歩するデキる男たる己。——それが本然の己であるとの妄想をするのである。
(こんなの、本当の俺じゃねえ……俺が本気出せば、きっと…)
そうして鏡を見続けるのである。——鏡を見ていれば、何か変わるはずだと——いや、己が己の本然たる己に変わってくれるであろうとの期待を以て見続けるのである。——やはり、ここでも佑月はどこまでも他責の権化と化しているのだ。
(目の前の自分よ‼ 変わってくれ‼)
——どこまでも、果てしなく他力本願なのである。
だが哀しいかな、佑月はやはりどこまでもその「本然たる己」とは程遠い所に位している、所詮は職無しの引きこもり、底辺高卒の二十歳であることは捻じ曲げようのない現実で、それに加えて学歴は当然、職歴もなく、捻出できる程の知恵も貯金もないのであったから、向後の人生に希望を見いだすのはどうでも無謀に思えてくる。——それだからこその現実逃避、それだからこその他責なのである、妄想なのである。
だが、佑月の神経衰弱を尚と弱らしめるものは、待ち受けているであろう己が未来だけではない。彼は心を鑢におろされているような感覚で以て、心労辛苦果てることのない「現在」を歩み続けさせられているのである。
その最たるが、団地に住まうが故の弊害——騒音である。
土台、四歳時分に母親に打擲された折より母の事を悪魔か何かと思うようになった弊害でもあるのだが、その悪魔が帰ってくる音——即ち階段を登る音、施錠する音、鉄扉を開ける音、鉄扉が勢いよく閉まる音は、幼時の佑月の心奥深くにトラウマという種を植え付けた。
また、鍵っ子であったことも相俟って、児童館に通わなくなった小学校三年生時分より、一人で家にいることも多くなった彼にとっては、誰かが家に帰ってくることは固より、家に祖母か母かのどちらかでもが居ることもストレスの一つだった。それは梅子と美恵の不仲も因していたが、それにより双方佑月を介して会話するようになったり、また互いに佑月を都合の良い掃き溜め口と思っていたのであろう、佑月が慮って家庭内を崩さぬようにと取り繕っていたのが災い、二人の、二人による、二人への愚痴を、佑月は受け止めなければならなかったりと、彼の堆く積もるストレスはこの狭き環境と彼女たちによって出来たものと言っても過言ではない。
幸いにも梅子が数年前──佑月が高校二年生時分に出て行ってくれたおかげで、今でこそ家に独りでいる時間が多くなり、それでやっと佑月は伸び伸びと——できる訳もなく、団地住まいとは、大きな音は元より、隣佑の話し声も時折聞こえてくるものなのであるから、依然として心労辛苦の絶えぬ日々を送らざるを得なかった。——殊に、誰かの階段の上がる音が往年の事を思い起こさせるばかりではなく、誰かの施錠する音が——隣に住まう貝原一家が施錠する音は鮮明に聞こえてくるが為に、佑月の往年のトラウマはいっかな寛解しそうにもなかった。
既に母が出て行ってから五年もの月日が流れており、そろそろそれにも慣れてきている節もなくもなかったが、それはしかし反応するにひねり出す気力も当に枯れ果てている、いわばサンドバッグ状態に過ぎなかった。彼が救われるにはまずこの家から出るより他はないが、そのためには仕事を探さねばならぬのであろうが、その仕事探しも神経衰弱により家の外に出ることは叶わず、だがその神経衰弱を治すには家を出なければならぬという、地獄のような負の無限ループに陥っているのだった。
それだけではない。何の因果か、類は友を呼ぶでも云おうか、思い返せばこの団地に住まう人等は、なんて云おうか、少しくオカシイ——それもちょっと障碍者風にオカシイ人たちが多数住んでいるのである。
隣に住まう貝原一家は大所帯で、典型的な貧乏一家であった。五人兄妹で、長女が佑月と同い年であったが、家が汚く、往年は年百年中悪臭が漂っていた。また、佑月の幼き日の記憶では、貝原家の誰にも煤けたような汚れが見えない日は一日とてなかった。その長女は学校で「貝原菌」なぞと云われて虐められていたこともあった。また、これは又聞きしたに過ぎぬ話であるが、音楽の授業中、リコーダーからゴキブリが這い出てきたとも云う。給食のパンを持ち帰ろうとロッカーに詰め込んだまま、それが数カ月して腐ったものが大量に出てくるようなことも度々あった。眼はクリクリして大きく、正直この家の生まれでなければ美人ではあっただろう。だが、天は二物を与えず、その一物すら霞ませるような仕打ちでもって、貝原家の長女はある時から不登校になって以来、社会復帰もままならぬ日々を送っているらしい。
だが、そこまでは同情できても、貝原家の団地の鉄扉が開かれれば悪臭が漂うからに、佑月の中では嫌悪の方が勝った。かつて貝原家のベランダにはゴミというゴミが何か山のように積み上がってあり、往年は窓を開ける事は殆ど叶わなかった。団地特有の壁の薄さ、それから大家族をまとめ上げねばならないその難しさ、その二つが相俟ると、佑月たち含む近隣住民を迷惑させる怒鳴り声の止まらぬ毎日もまた、浦尻家の窓を開けられぬ事由の一つと相成った。
また、小学生の無邪気さが時に人をいじめ殺すように、小学年の佑月はまるでこの貝原家長女を嫌っていて、だがその嫌っている人物が隣に住んでいるものだったから、小学生の間、終ぞ誰一人として友人を家に呼んだことはなかった。──土台友達が多いような人間でもなかったが、距離感が今尚よく分からぬ父が置いていったゲーム機が親友と云わんばかりの有様に陥り、それが尚と彼を引き籠らせたのみならず、梅子が専門学校へ通いながら水回りで仕事をし始めていたのも相俟って、勉学はこの頃よりドロップアウトする塩梅でもあった。
そして、偶然——と云っても家が隣なのだから必然とも云えようが、貝原長女と行きや帰りが被ってみようものなら、自己防衛本能から鼻骨が自ら折れ曲がり悪臭を防ごうとするかのような悪臭が貝原家の鉄扉から横溢するのである。今でこそこの悪臭は収まっているが(と言っても、佑月の嗅覚はこの為にひどく鈍感になってしまっていて、実は悪臭がしているのやも分からぬが)、当時はこの貝原宅にもしや赤子の死体があるのではないかと本気で疑われる程だった。
と、左様な一家の出であるからに、貝原長女のみならず、他の兄妹たちも学校で虐められるのはある意味では当然であったろう。これが都市部などの学校であればいじめは問題視されるが──いや確かに問題視はされていたが、こうした地方都市の住宅街にある学校でのいじめは日常茶飯事のようなもので、担任が怒鳴っても尚貝原へのいじめは続いた。