後架の蜘蛛
かつて美恵が言っていた竜司についての事、合点が行く。——この美恵は竜司を殺した張本人なのだ。その竜司の辛さと云ったら、佑月にはとても他人事のようには思えなかった。実際、他人ではなく、その余殃により各世代の贄にされる長男として生まれてきてしまっているのであるから、それも相俟って、佑月は美恵の事が恨めしくて仕方がなかった。——世代を超えた復讐である。顔すらも知らぬ会ったことのない伯父の為の復讐であり、また、自分の為の復讐を心に誓ったのだ。——その復讐の最たることこそ、子を成さないこと他ならない。
竜司の実母は放蕩盛りのアマだったそうで、竜司が十八の折に単身会いに行った際、「あれと二度と会いに行くな。あれは母親じゃない」と次兄たる弟に言っていた程厭悪していたらしかった。また、義母たる美恵に関しては当初こそ嫌いではなかったのだろうが、しかしこの美恵の大人になり切れぬ性格を以てすれば、母としてではなく純子に人として嫌うのもさもありなんと云った塩梅であったろう。また、それに比してか、或いは唯一の肉親でもあったからか、父親が大好きであったそうで、故に——何が端緒であったかは知らぬが、かの言を美恵に発したのだろう。——佑月には痛い程その気持ちが分かった。
と云うのは、この一家の長兄は母に恵まれぬ運命の渦中にでもいるのだろうか、実こそ佑月も母の梅子とは確執があり、つい先日勘当を言い渡してやったばかりなのであった。
事の発端は二歳時に離婚した頃よりあるであろう。梅子は前述の如く、また母子家庭の常だろうか、余程母が賢くない限り子は怠惰の縁に追いやられてしまうのであるが、佑月もそれに然り——或いはもっとひどい所におり、と云うのも梅子は嫌日家であったのだ。——それ次兄の伯父曰く、「海外へ行った父の背中を追い続けている」と云う。故に、いつまでも父の虚像を追い求めることを己の生き甲斐、依処とし、あろうことかそれを佑月にまで押し付けたのである。それ故、佑月は英語を話せ、ある時まで日本の全てを嫌っていた。それだから彼は高校卒業後海外へ行ったのである。これは、全ては梅子の依処の為であった。梅子による梅子の梅子の為の人生を、佑月は送らされていたのであった。——とりもなおさず、全ては彼の生まれた時から、梅子の元で育ってしまったことがこの凋落の原因だったのだ。美恵と梅子の三人暮らしが、その佑月の全てを奪い去ったのだ。
美恵は老婆親切により佑月を骨抜きにし、梅子は彼に英語以外の教育を一切施さなかった。どころか、彼女は全て自分の生き甲斐に精力を使い、佑月は二の次三の次であった。自分に依存してほしい美恵はここをつき、帰りが遅い梅子の内実は遊びに行っている故と佑月に嘘をつき、この頃より佑月は梅子に対する信頼度が下がっていった(が、思えばもとより、四歳時に理不尽に七度打擲されたあの時より、佑月は母に思うものがあった)。
だが、それが大人になり、その美恵の針小棒大に語る癖により己をも親族に下手を言われていると気づいた時、梅子も左様にして言われていたのだろうとハッとした。そして、この、どこまでも自分本位に出来ている、根が幼女のままで止まっている美恵は、竜司を実父から引き剥がすだけでは留まらず、梅子にも嫌われ、佑月にも嫌われ、それでも尚己が家庭をも欲せんとするあまりに矛盾を犯し、それにも気づかぬ、精神が四歳で止まったまま育ってしまった哀れな子供なのだと悟ったのだった。自縄自縛の態でいることに気づかぬ老婆なのであり、一時の快楽に溺れ、それが七十余年と隔ててきた、完全なる瓦全者なのだ。それだから、その事実を拭い隠さんと来世で頑張るなぞと嘯くのだ。いや、この嘯きこそ、己が人生で何もなし得てこなかったことの裏付けであろう。
哀れだ、哀れなり美恵、我が祖母ながら哀れである。——佑月は思った。
だが、その殃を孫の代にまで垂れ流すとなれば話は変わってくる。老婆親切の本質は道連れである。後先の長くない、自分の人生の意味を見出せぬ哀れな老婆が、将来照り輝く若者の人生の邪魔をするのだ。どころか、孫の世話と云うのが全ての生きる価値となり、孫のありとあらゆることをこなすことにより、死んでからその孫を不幸にするのだ。それを気づかぬ故の老婆親切、有難迷惑。よくせき、獲物の捉え方を教えぬ獅子なのだ。この獅子こそ、その獅子こそ、獅子身中の虫であるのだ。豈図らんや、彼女はその自己憐憫をして間接的に命を奪う虫なのだ。——そうだ、そんな奴なぞ獅子なぞではない、虫である。己を獅子と勘違いしておる、どこまでも魯鈍な虫なのである。虎は獅子になれぬが、それ相応の強さがある。だが、虫は虫である、どこまで行こうと、仮令蟷螂拳なぞと呼ばれ、その強さの象徴が如くにされる虫がいたとて、虫なのである。
また、梅子にしてみても、あの母親と云うのは、往時佑月には口酸っぱく「あんたが生きているのはあたしのおかげ」と云うような奴であったから、仮令それが美恵により教育の賜物であったとしても、その罪は最早共同のものであろう。思えば佑月は梅子の描く「理想の息子」とやらを長年演じてきたに過ぎず、その由、四歳時——カナダでの生活の折、佑月が梅子に七度打擲された時より梅子を嫌い、それより心を閉ざしたままなのであろう。——佑月が鞄の中に弁当と一緒に添えられていた牛乳瓶を出し忘れていただけに過ぎぬのに、梅子は七度も打擲したのだ。佑月は本当に、何か鞄が重いと思ったが結句気のせいであろうとし、そのままにしてしまっていたのだったが、四歳である。四歳の童子が、脳みそも成長途中の、赤子から足を一歩抜け出しただけに過ぎぬ四歳児が、本当に分からなかったと云うのを「嘘! 絶対分かってたはずでしょう! 本当は何なの!」と怒鳴りつける母親が梅子なのである。当時二十四歳であったか。それにしても童子であったのである。
かてて加えて、梅子と云う人間は男を徹底的に嫌っておるようで、佑月が産まれたばかりの頃はよく彼に女物の服を着させ、女の子っぽくするよう言われたこともあった。それが、早熟であった佑月は、他の四歳時よりも早く男の特徴が顕現するようになり、それに何か舌打ちするような塩梅で泣く泣く諦めたと云うのが真相であり、事あるごとに「女の子が欲しかった」なぞと呪詛のようにたれるのであったから、佑月はそれが為に妹を欲しがったものであった。