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後架の蜘蛛

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だが、不幸中の幸いとでも云おうか、佑月の父は聡明とは違うやも知れぬが、しかしそれなりの、一定の常識を弁えられる知性はあった。佑月を作ったのは一晩の関係が十月十日までに延ばされただけに過ぎぬであろうとは思うが、それでも前述した佑月の肚違いの弟、即ち再婚した時には、所謂ちゃんとした家庭を築くことに成功したのであった。また、その父の母、佑月の内祖母の一家は大成した人間ばかりで、例えば大叔父が大手銀行役員であったり、いとこ伯母が大手出版社編集長であったり、その父がどこぞの副社長であったりと、所謂エリートの家系なのであった。また、佑月の内祖父は不動産を勃興し、零細でありながらもそれなりの小金持ちの地位にはついておるのだ、そして佑月の父はそれを引き継ぎ、紆余曲折がありながらも、二階建ての庭付きの己が家を立てる事すら成功したのだ。幾ら二十代半ばまでの放蕩、その最大の汚点と云える所業を犯し、その一族では確と落ちこぼれの部類であるとは云い条、その血筋は確かなようであるのだ。それだから佑月は己をどうしてもこの一家の者だと認めたく、片や引き取られた母方を拒絶しているのである。
事実、幼年期より梅子の矛盾に呆然とすることもあったくらいであった。癇癪を起した美恵や梅子を、小学生ながら蔑視すらしていた。だが哀しいかな——嫌日家の所以は沖縄人たる美恵からも来ていたのだ。その二人に洗脳されてしまえば、どこまでも常識に則ったことを言う川島家連中の云う事なぞ訊く耳を持たぬであろう。ましてや梅子は息子を海外暮らしさせたい人間であった。日本の大学なぞに行かせるわけがなく、実際高校二年生自分韓国系アメリカ人と婚約すらしていた。
それは後に破棄となった。佑月は一度その男と会っており、その時には完全に猫を被っていたらしくその地金には気づけぬ始末であったが、しかしそれより数カ月後怒鳴られるようになったり理不尽にされるようになったりと話を聞かされ、ではさっさと別れたらどうだろうと提案するも、「彼は私がいないとダメなの」との一点張りで、勿論だが佑月としても母の恋愛事情なぞ知りたくもなければ興味もない所であった故放置していた。が、それからも男に酷な事をされ続け受け止め続けてきていた梅子であったのだったから、やはり血は争えぬなと、あの忌々しい美恵の遺伝子が確と受け継がれておるなとも身震いしたほどであったがそれはさておき、結句その男と別れぬまま同棲直前まで漕ぎつける顛末にまでなると、その段にてようやっとその彼の住まうバミューダ行きのチケットを破り割くも、その時分では当に仕事も辞め長年住んでいたアパートも取っ払っており、そして数カ月の間だけと佑月は美恵との生活を再度余儀なくされる羽目にも陥っておったのだったから、この母親の男の見る目の無さには甚だ呆れるより他なかった。それがまだ男を知らぬ年頃の女であるならばまだしも、四十路を目前にした中年女のメンヘラなぞ見たくもないだろう。で、結局梅子は何を思ったのか友達の住まう愛媛へと飛び立ち、そこで数週間過ごした後に佑月らの住まう東京へと帰ってくる、痛々しい四十路の恋の逃避行を成し遂げたのであった。
それでもう海外は懲り懲りだろうと高を括っていた佑月であったが、土台梅子は外国人になりたいとの夢があったそうで、結婚がダメならとその件の半年後には単身渡海したのであった。
哀しいかな、どこまでも母親を、祖母を蔑視していたとはいえ、佑月は既に洗脳済みであったのである。結局梅子に唆され海外へ行き、あろうことか危うく永住権確保まで取ろうとしたのである。その全ては梅子による意思と雖も、それには気づけぬのであった。土台、やりたいこともなかった佑月を無理くり海外へ連れてゆき「あんたなら絶対流されて海外に住むって云うと思った!」なぞと嬉々として云う梅子であったから、それが今思えば恐ろしくて堪らない。あの母親は自ら洗脳したと言い切ったのである。
だが、梅子の操り人形だったとしてもその顛末を辿ったのは所詮佑月の意志薄弱さの成せる業ではあろうが、しかし佑月は梅子より七度打擲された四歳時分よりその行動意思は手中に納められていたのであろう。
その堰を止めたのは、幸か不幸かかの流行病の流行であった。成人式の自分に一時帰国と称して帰ってきていた佑月であるから、彼は己がニートの類であろうとも平然としておれたのである。どうで己は用件が済めば海外へ戻る身で、この姿は仮初であるのだと云わんばかりであったのである。——そうして彼は今を迎えるのだ。

——リビングに立ち尽くした佑月は、その瞬時に頭に湧いて来た——平生より脳裏に浮かぶその愚考に酷く悩まされてきた。——何か、己のこの有様が恰も一子相伝の成せる業とでも言いたげな、せんの一家特有の呪いなぞと云った、ふざけた、全く確証のない与太話を自ら打ち立て、自らそれを信じ込み、自らこの家は呪われていると云った、中世の魔女狩りがよろしく、彼の脳内で始められるのである。
それがどんなに自縄自縛の態であるにしも、かといって彼はそのまま手を拱いているわけでもなかった。
(——そうだ、俺はこの家を出て行く。俺の人生はこれからなんだ)
だが、その後架の四隅にはもう一匹蜘蛛がいた。上で死んでいる蜘蛛よりも二回りほど小さかった。便所の右後ろ辺に小さく蜘蛛の巣を張り、それもまた、健気にも来るはずのない得物を待っていたのだった──。




作品名:後架の蜘蛛 作家名:茂野柿