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後架の蜘蛛

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これに辟易、または唖然とせぬ人間がいるであろうか。しかもその件の自己憐憫の顛末は、よしそれを慰めてやろうと談論風発、その過去の心傷を癒さんと助言を呈する佑月に辟易し、もういいと云ってテレビを見始め、焼酎を呷り出すものであり、そして折角こっちが云々かんぬんと佑月が苦言を呈すれば、「あんたには分からんでしょうね!」と金切り声をあげて、己の艱難辛苦のトラジティを締めくくるのである。
これに佑月は最早鼻で笑ってやりたいくらいの惨めさを覚え、しかしはたと、これが己の血に四分一も流れておるのかと気づくと、冷や汗が止まらぬ次第にも相成る。——浦尻家の南国出身故の伝法たる凶行やガサツさには頭を抱えるものがあり、またひどく知能も低いもので、恐らく父方の遺伝のおかげが勉強は出来ぬがプライドの高い彼には、その空気感と云うか、場末な浦尻家にはついてゆけぬのであったから、これに美恵には「あんたは父方の血ね」と云われ、それにはむべなるかなと云った塩梅の佑月ではあったが、しかしさてそれがいざ父方の家、川島家での新年会の折、何かしらのCMで映った沖縄に対し佑月の父はそれを指さし——佑月にそれを見やるよう促すと、「お前の血筋じゃん」と言い放ったのである。これは佑月を孤独にさせるを意味した。つまり、どちらの家の人とも似ず、どちらの家からも向こうの血だと言わしめさせたのである。
(お前の血筋だ…育ちは浦尻だが、血は、この知能はお前譲りだ…)
と、左様に悪意のない悪を叩きつけられた佑月は、それでも尚知性のある父を尊敬するのであった。
が、それも虚しく、浦尻家の呪いのようなものやもしれぬが、先述した通り佑月も佑月で往時手酷く暴力乃至精神的苦痛、肉体的苦痛を隔てており、その祖母の心傷は分からなくもないものであるが、己の過去を誰かに醜態を曝す形で披瀝することは惨めと見下し気丈に振舞うのが彼の美徳であったから、その祖母の、恰も己のみが人生のどん底にいるかのような、視野の狭い幼児が如くの自己憐憫には虫唾が走る思いなのである。
(なあにが来世で頑張るだ。てめえの来世はせいぜい虫けらに決まってらあ)
——或いは、酒のない時の美恵は、朝晩と日に二度あげる勤行を二時間も三時間も只管に「なむなむ」と繰り返す、全くに訳の分からぬ奇行を行うのである。哀しい事にそれは全くに煩わしさを感じぬようになっている佑月であるから(老人の常で、早暁からそれが行われ、一度は隣佑からクレームが入ったくらいである)、ある意味では洗脳が完了しているとも言えよう。
で、仏間の四辺には信者の幹部が持ってきたという公布の紙が貼られていることが常で、それを見やると信者としての心の在り方等書いてあるのだが、その中で特に佑月の肝を冷やした——平生であれば顰蹙する程度で済むはずが、仮にも洗脳済みの佑月をドン引きまでさせたのが、「勤行を上げない人ほどおかしくなる。勤行をすれば安泰が訪れる」なぞとの一文が書かれた張り紙であった。宗教一家に生まれたにも拘らず(若しくは、生まれたからやもしれぬが)全く左様な妄信的奇行や信仰心と云うものを幼時より持ち合わせていなかった佑月は、その宗教の経典すら知らぬまま二十年と経ててきているが、生家である為にその張り紙が往年より貼られていたことは知っておった故、見たときには全くとんでもない家に生まれてきてしまったと恐怖すら覚える始末であった。
(やべえ、この家やべえ。早く出て行かなきゃ)
——そう思い早数年が経っている。

美恵は平生、そのリビングに煎餅布団を敷いて寝る。上質な羽毛布団、敷布団を幾つも保有しその大半を「来客用」と称するが、黒い小さき珍客は訪れるも、人の客は終ぞここ十年現れた試しがない。己の寝る所は——掛布団、敷布団は、毎夜焼酎をやりながらお菓子をつまむ為に、その布団が綺麗であった記憶がない上、偶に干したりはするものの、往年よりの汗やその酒肴が布団に滲みついており、襤褸のひと切れが如くになっている。
だから佑月は「もう客なんて来ないんだから綺麗なの使えばいいじゃん」と云うも、「この前息子たちが来たばかりじゃない、またすぐ来るわよ」と返され、「それ十年前だよ」と佑月は返すも、「いいや。もっと最近だった」と美恵のどこまでも譲らぬ、視野の狭く馬鹿な脳みそでもって返し、而して「あぁ、あんたいい布団使ってるから疲れないでしょ。あたしなんてずっとこれだから肩も腰も痛くて痛くて」なぞと、もうどこまでもみっともなく不幸自慢大会(佑月にとっては喧嘩の端緒でしかないが)をふっかけてくるのであるから、その髪の薄くなった後頭部を思い切りぶん殴りたい欲求を抑え、緘黙を決めこむのである。
一度はそれで口論が勃発し、平生仮令憤然としても声を荒げぬ佑月に声を荒らげさせるほどの事をさせる美恵であるのだから、無視して違う事を考えるのが最も平和的解決策なのであるが、やはり美恵程の馬鹿はどこまでも自分本位にしか出来ておらぬ、人の心を察する能力のみならず全ての能力が平均人並み未満、障がい者並みのものでしかないのだから、この佑月の内心、海底噴火の如しの憤懣を抑えている優しさに託けて、お得意のお話を展開してくるのだ。その内容もひどくどうしようもない、どこまでも益体のない話ばかりで、それがどうしたの一言で済んでしまうのだから——と、これ実こそ陥穽で、「だから?」と一言でも返してしまえば向こうのもの、それを元手に無限に言を繋いでくるのであるから、全く迷惑極まりない、そのかまちょぶりが高じての全くに狷介な老婆なのである。
而して酔余の愚痴の末、テレビを点けっぱなしで雑魚寝してしまうのが常であった。——そのみっともなさたるや、赤子返りした幼女が如くで、一度彼がその祖母を見た際には、左腕は力こぶを作るようにして、左手の親指をしゃぶっていて、それが実に気味の悪いものであった。臍の上あたりまで布団を被っているのが、往時——佑月の腹違いの弟の生まれたばかりの頃を思い起こさせられたものであったが、それが何か昼寝している童子かのような風貌をも想起されてしまうのであったから、しかし言わずもがなそこにいるは八十を目前にした老婆ただ一人、往年の化粧の濃さが原因で顔には斑点のシミが大小無数にあり、また年相応の皺もここ数年で目立つようになっていて、つまりそこには老人の見た目をした可愛げのない赤ん坊というものが佑月の脳裏に無差別に浮き上がってきていたのである。結句、彼女の心は幼時より成長できぬまま、七十余年も過ごしてきてしまったのだと思うと、こんな惨めになってまで生きているのが不思議に思えてくる。剰え自分の降伏を他人に依処し、自らの孫の成長の為と目するもその内実孫の成長を奪い去っていたのである。而して年功序列において己が尊敬されるに足るとつけあがっているのであるから、斯様な瓦全者なぞ如何にして尊敬出来ようか、全くに尊大ではあるまいか。──佑月は老婆親切という四字熟語を見た時、まさしくこの老婆に当て嵌まると思った。一見すると優しそうに見えて、実こそただ孫の人生を奪い去る、己の人生が為に寄生する害虫。
作品名:後架の蜘蛛 作家名:茂野柿