Squib
須藤はアルミ製の皿に仕上がった薬剤を広げると、少し引いて眺めた。ザラメ糖のように不規則な形をしている。目立つようにピンクの添加剤を混ぜたから、角が丸まってだらしない金平糖のようにも見える。二年間の成果。中身はありきたりな麻薬だが、新作は新作だ。
十分ほど待っていると、階段を下りてくる足音が聞こえてきて、ダークグレーのスーツを着込んだ護衛二人が現れた。片方は見たことのない顔だったが、もうひとりは名前が三谷だということだけ知っている。三谷はアルミ皿に目を向けながら言った。
「準備はできてるか?」
「はい、どうぞ」
須藤が体を退けると、三谷は須藤の足に巻かれた鎖を哀れむように一瞥してからアルミ皿を持ち、もうひとりの護衛と一緒に宴会場へ戻っていった。真新しいレシピではないが、それで構わない。流通させることが目的ではないからだ。そんなことは、自分が許さない。
須藤は静かになった製造ブースで、薬剤のラベルが貼られた段ボール箱をどけた。どの薬品同士が『混ぜるな危険』かという知識は、麻薬を作っていれば自然と身につく。身につかなかった人間は製造ブースごと吹き飛んで粉々になっているから、淘汰された結果こういった事情に詳しい人間だけが残る。そういう風にできている。
須藤はコンクリートの壁に寄せられたタンクを見つめた。全てを終わらせる『新作』。ひとつだけ開放された配線を結べば最後、地上の宴会場ごと吹き飛ばす爆発が起きる。ずっと煙草を分けてくれていた藤谷も、屋外にいたら瓦礫の下敷きになるだろう。ここに用意されているのは、それぐらいに強力な爆薬だ。
もちろん、爆心地にいる自分は助からない。
どの道、熊田に延長してもらった命だ。目的を果たせるなら、喜んで差し出す。何も成し遂げられなかった人間が、組織の全員を吹き飛ばして解体する。天国の門をくぐるときにその辺をうまくプレゼンできれば、端の方なら居ることを許されるかもしれない。須藤は青色のワイヤーを手繰り寄せた。露出した先端を端子に結び付けて、メインスイッチをONの位置に合わせれば、それで終わる。端子の中へ線を通して手で丸めると、須藤はスイッチに触れた。三十五年の締めくくりには、なかなかの花火だ。
まとめてくたばれ。
そう呟くと、須藤はスイッチをONの位置に合わせた。
しばらく待った後、動作テストのときに必ず鳴っていた鈍い通電音が聞こえなかったことに、須藤は気づいた。中で配線が切れている。
「くそっ」
思わず呟き、須藤はタンクの裏を覗き込んだ。制御基板自体がもぎ取られている。ポケットからピンを取り出すと、須藤は鎖の鍵を外した。こんなことができるのは、普段から製造ブースに出入りしている藤谷しか考えられない。スパナを手に取って外の一階へ続く階段を駆け上がりながら、須藤は新たな覚悟を決めた。何人殺せるかは分からないが、まずはあいつだ。蜂の巣になって殺されるとしても、ひとつぐらい爪跡は残してやる。
藤谷はパイプ椅子に座っていた。須藤は背後からつかつかと近寄って、言った。
「おい、こっち向け」
無視されたことで頭へ血が上り、須藤は前に回り込んだ。
「聞いてんのかよ」
藤谷は真上を向いていた。その首にはタイラップがきつく巻き付けられていて、窒息死していることが分かった。舌が新しい居場所を探すように口からだらりと垂れて、その両目は半分近く飛び出していた。須藤は思わず尻餅をつくと、転げ落ちるように階段を下りて、製造ブースへ戻った。ほぼ同時に、一階で叫び声が上がった。
浜井は、二年間自分の身辺警護をしてきた護衛の三谷が目の前でがくりと倒れるのを見て、アルミ皿からひと粒取り上げていた新作を取り落した。何の音もしなかったが、たった今目の前で三谷が死んだ。
浅田の隣にいた護衛が銃を抜くよりも早く、その頭が真横にがくんと跳ねて、浅田は返り血を浴びて椅子から転げ落ちた。三人目の護衛がシグP228を抜いて構えたとき、浜井はテーブルの下に潜り込みながら叫んだ。
「おい、伏せろ!」
棒立ちで暗闇にP228を向けた護衛は、最初の二人と全く同じ位置に銃弾を受けて仰向けに倒れ、テーブルにぶつかった衝撃でアルミ皿が跳ね飛ばされて地面にひっくり返った。残りの護衛四人は銃を抜き終えて、三人の死を教訓に地面に伏せたが、ひとりが体を反転させると、『会場』を照らす白熱電球を撃って割り、真っ暗闇に戻した。
吉川と小安は真っ先にテーブルの下へ伏せていたが、宴会場の構造上、上から狙うのは不可能だろうと当たりをつけていた。小安は体を丸めている吉川をつつくと、言った。
「相手は一階ですよ」
「見えるか?」
小安は吉川の質問に答えを返すべく、伏せたまま暗闇へ目を向けた。少なくともこの位置関係なら、弾は飛んでこないはずだ。浜井と浅田も同じようにしていて、こういうときに突拍子もない行動を取る天堂だけが、ピアノ台の後ろに屈みこんでいる。一番先に撃たれるのは、天堂かもしれない。小安はそう考えて、暗さに慣れてきた目をあちこちへ動かした。がらんどうになった敷地の真ん中に置かれたローレルの廃車。その近くに白煙が漂っている。それを吉川に伝えようとしたとき、ローレルのはるか後方から新しい白煙が上がり、45口径のホローポイント弾は小安の左目を貫いた。立て続けに吉川の胴体に数発がめり込み、テーブルの下も危険だと気づいた浅田が体を起こしかけたとき、その首に二発が着弾した。護衛の内二人が伏せたまま当てずっぽうに撃ち返し始めて、銃口からの光がフラッシュのように暗闇を切り取る中、浜井は天堂に手で合図を出した。
「逃げるぞ、今だ」
天堂がピアノ台から足を踏み出したとき、その体に数発分の穴が一瞬で空き、浜井はその隙に宴会場から飛び出した。撃ち返すことなく浜井の盾になっていた護衛が二人追随し、一番近い客室に飛び込んだ浜井は、自分を守るために後方を警戒している護衛たちに言った。
「よくやった」
天堂には申し訳なかったが、囮としては十分な機能を果たした。残りの護衛二人は宴会場に取り残されたが、見えない相手に撃ち続けるような間抜けだし、あれは浅田が連れてきた連中だ。今自分を守っている護衛二人は、岡崎と城田。三谷と同じベテランだから、その動きはひと味違う。無駄に撃つこともないし、必ず一歩先を読んでいる。岡崎が慣れた仕草でブローニングハイパワーを片手に廊下へ出て、左右を見回した。グロック17を持つ城田は、岡崎の合図を受けて浜井の背中を押すように廊下へ出ると、岡崎とは反対側を警戒し始めた。二人に前後を挟まれた浜井は、常に携帯しているCZ83を右手に持ち、ようやく息を落ち着けた。相手が誰にせよ大人数ではないし、敷地の中にいることは間違いない。死角になるように廊下を抜ければ、このまま逃げられるはずだ。
浅田に雇われたのは、三ヶ月前。高給に釣られて応募したが、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。宴会場には、護衛三人と構成員四人の死体が転がっている。平井はグロック19の弾倉を入れ替えて、隣に伏せている芦尾の横顔に呼びかけた。
「おい、動くぞ」
「無茶言うな、頭を上げられるか?」
「撃ちながらだよ」



