小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Squib

INDEX|6ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 

 上戸はそう言うと、何も警戒することなく鍵のリングを指にかけてくるくる回しながら出て行った。熊田は姫浦がまだ解放する気がないということに気づいて、仕切り直すように姿勢を正した。
「まだ、聞きたいことがありそうですね」
「解放場所は駅です。なので、車を使って逃げる必要はありませんでした」
 姫浦はそう言うと、熊田の反応を観察した。途方に暮れているように見える。今までに人探しで何度もこんな顔を見たことがあった。消えた息子や娘を探してくれと懇願する親の顔。あれと同じ悲痛さが、熊田の顔には浮かんでいた。
「あいつは、そんな風に逃げ出す奴じゃない。おれはそこを見込んでました。不器用で方向も間違えるけど、基本的に真面目なんです」
 熊田はそう言うと、ずっと喉の奥から突いてくる本音に苦しくなったように、シャツのボタンをひとつ開けた。
「でも、今回ばかりは逃げてほしかった。おれは立場上、もう助けられない」
 姫浦は聞き役に徹することを決めて、相槌の代わりに小さくうなずいて先を促した。上戸を解放したが、銃を持って戻って来る確率はどれぐらいあるだろうか。一度振り返った姫浦の心配とは無関係に、熊田はさっきよりも深く頭を下げた。
「車と相方の手の分は、必ず補填します。ご迷惑をかけました」
 姫浦は小さくうなずくと、ポケットの中で出番を待つM632に意識を向けたまま、言った。
「この言葉の意味は分かりますか? あと少しで、新作が完成だった」
 熊田は、語尾を耳で捉えるのとほぼ同時に顔色を変えた。
「それは、あいつが言ってたんですか?」
 姫浦がうなずくと、熊田は落ち着きを失くした心臓を落ち着かせるように、胸へ手を当てた。姫浦はその様子をじっと見つめながら、言った。
「新作ができると、どうなるんですか?」
「構成員が全員集まって、試食会が開かれます。そんな機会は、自分が現役のときは一度もなかった」
 熊田は抑えた声で言うと、眉間を押さえた。
「繰り返しになりますが……、あいつは本当に真面目な奴なんです。なんで売人稼業をやっていたのか、今でもよく分からない。二年前、言ってたんです。自分が製造を仕切れば、新作を作れるって」
「そして、それがもうすぐ実現するところだったと」
 姫浦が補足すると、熊田はうなずいたがすぐに険しい顔で俯いた。
「ただそれは、おれが現役じゃないと意味がないんです。全員があのホテルに揃ったとしても、捕まえられない。知ってるかもしれませんが、おれは半年前にクビになってます」
 姫浦は周囲の音に気を配りながら、熊田が話す事情を頭に積み上げた。須藤は、外の世界から切り離されて助けが来ない状況になっても、仕事を続けていた。相当な決意がないと、できないことだ。そもそも鎖の抜き方は知っていたから、逃げ出そうと思えばいつだって出ていけただろう。沈黙が流れていることに気づいた熊田は、話し過ぎたことを後悔するように目を伏せると、言った。
「上の人間に面を取られたら、あいつは本格的に組織から抜けられなくなる。だから、今が逃がす最後のチャンスだったのかもしれません」
 姫浦は、熊田と別れて地下駐車場から上がり、シビックの助手席で待っている上戸の周りを観察してから、運転席に乗り込んだ。エンジンをかけたとき、上戸は口角を上げた。
「おれを撃とうとしてたな。お前は右利きだろ」
 姫浦はオーディオの再生ボタンを押して、途中から流れ出したストゥージズの『1970』に紛れるように笑った。
「どちらでも撃てます」
 アルテッツァに乗り換えて、上戸を自宅から二駅離れた場所で降ろし、姫浦はオーディオの時計を見つめた。午後三時。須藤を脱出させてから、十二時間が経った。スマートフォンを取り出して稲場の番号にかけると、待ち構えていたように通話が始まった。姫浦は一度咳ばらいをすると、言った。
「支払い意思は確認できましたので、そのまま帰ってもらいました」
「了解」
 稲場は、依頼人の自宅や車に少なくとも二人以上の監視をつける。これから支払いまで、熊田は一挙一動を見守られるのだろう。
「監視チームに伝えておいてほしいのですが、熊田は銃を携帯しています」
「分かった。今どこだ?」
「上戸の最寄り駅から、二駅離れたところにいます」
「こっちに戻るなら、メシでも行くか?」
 姫浦は、駅ビルにかかる消費者金融の大きな看板をしばらく見上げた後、息を整えてから言った。
「行きません」
 稲場は呆れたように笑った。
「もうちょっと、やんわり断れよな」
「一週間ほど休暇をいただきたいです」
 姫浦が勢いに任せて言うと、稲場はしばらく間を空けてから、言った。
「いいよ、ゆっくり休め」
「今回の件は、須藤の無事を確認できた時点で完了なんですよね?」
「契約上、もう完了してるよ。あの手の連中との付き合いは、二度とごめんだね」
「車はどうしますか?」
「アルテッツァは、吉松のとこまで持って行け。じゃあ、お疲れさま」
 稲場はそう言うと、通話を終えた。姫浦は駅前の薬局で頭痛薬を買うと、すでに始まりつつある頭痛を押さえるために一錠を口の中へ放り込んだ。二十四時間以上起きていると、かならず右の側頭部がじんわりと痛み出す。薬が効き始めるよりも先に頭が澄み渡っていき、姫浦はアルテッツァのクラッチを踏み込んだ。
 まずは吉松にこの車を返し、代わりをあてがってもらう必要がある。
  
 素性の知れない女がふっと現れて『熊田からの依頼』と言い、自分を逃がした。あの手品のような夜から、三日が過ぎた。
 須藤は、再び足に巻きついた鎖を見つめた。今までと違うのは、自分の意思でこの鎖を巻いたということ。上戸と名乗った男は車の運転が上手く、かなりの距離を短時間で走り切った。話好きな男でずっと世間話をしていたが、こちらは道を覚えるのに必死だった。最終的に駅前で解放されたが、自力では到底戻れないぐらいの遠さだったから、その時点で車を借りるのは必然だった。二年ぶりに車を運転して記憶の通りに元の道を辿り、見張りの交替前に戻れたのは、ほとんど奇跡だ。いつも外でサボっている見張りの男は藤谷という名前で、今晩も同じように外へパイプ椅子を置き、一服している。仕事に対して一番不真面目な男だが、不思議と気が合った。須藤は外の一階へ続く階段をちらりと見て、動きがないことを確認してから、テーブルの上にアルミ皿を並べていった。世間話をするなら今がいい機会だし、新作の完成記念に煙草を一本分けてくれたっていいぐらいだ。仮眠明けの今は、特に。頭もぼやけているし、目が覚めたばかりの体はあちこち軋んでいて、泥の中で動いているように重い。
 須藤は天井を見上げた。数十分前に仮眠から覚めたとき、車が数台到着する音が聞こえた。今から新作の試食会が開かれる。会場はこの製造ブースの真上にある宴会場跡で、集まっているのは組織を仕切る五人組の浜井、吉川、浅田、小安、天堂と、護衛が常駐している四人を含めて計七人。見張りの藤谷と自分を入れれば、十四人が敷地内にいることになる。かなりの大所帯だ。
作品名:Squib 作家名:オオサカタロウ