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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Squib

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「いや、おれが頼まれたんだから、代打はまずいんじゃないか?」
 上戸は意地を張るように、体を起こした。姫浦はオーディオのボリュームを元に戻して、それ以上の強がりを封じた。プレイリストはまだ続いていて、今はミッシェルガンエレファントの『エレクトリックサーカス』を再生している。
「二人で行きますか?」
「そうしてくれると、助かる」
 上戸が前を向いたまま言い、姫浦は小さくうなずいてから田邊医院に通じる山岳路に入った。田邊は八十九歳になったが、相変わらずフラスコに薄く張ったタリスカーを飲みながら、骨をどうくっつけるかということに頭を悩ませている。そして、ここにも後継者のような存在がいる。二十代半ばの女医で、名前は京野。専門は整形外科だが、人間の関節のことは壊れた看板ぐらいにしか考えていない。二年前から住み込みで働いていて、一日の半分は田邊の話し相手を務めている。
 夜が明けて、オーディオの時計が午前七時五十分を指したとき、姫浦は田邊医院の砂利敷きの車回しにアルテッツァを停めた。軒先の彼岸花を見つめていた京野が振り返り、猫のように切れ上がった口角の隙間から歯をのぞかせながら笑った。姫浦と上戸がアルテッツァから降りると、京野は小柄な体を伸ばして二人の全身を検分し、上戸の手をわざとらしく指差した。
「折れてまっすねー」
「そうだな。そんな気がしてたよ。元に戻してくれ」
 上戸はそう言うと、京野に続いて田邊医院の中へ入っていった。姫浦は後に続き、建てつけの悪い引き戸を閉めた。消毒液の匂いが籠る診察室の向かいにある休憩室から、テレビの音が聞こえる。京野と上戸が診察室に入っていくのを見届けて、姫浦はテレビを見ている田邊に会釈した。
「お邪魔します」
「おー、久しぶりやのお。最近は顔出さんようになったな」
 田邊は座椅子から体を起こすと、皺だらけの顔を歪めて笑った。
「人一倍、お世話になりました。今日は上戸が怪我をしたので、その付き添いです」
 姫浦が言うと、田邊は困ったように眉をハの字に曲げて笑った。その理由を聞きたがっていることに気づいた姫浦は、耳打ちするように言った。
「内輪差で手を轢かれたそうです」
 田邊はテレビの数倍は面白いオチを聞いたように、声を上げて笑った。それはやがて咳き込んでいるような音に変わっていき、お茶をひと口飲んだ田邊は言った。
「図体がでかいのは、ロクなことがあらへんな。物を隠すにはうってつけやが」
 しばらく世間話をした後、手をぐるぐる巻きに固定されて鎮痛剤を反対の手に持った上戸が、診察室から出てくるなり姫浦に言った。
「全治一ヶ月だ」
 姫浦が相槌を打ちかけたとき、後ろから顔を出した京野がしかめ面で訂正した。
「六週だっつうの、一ヶ月半」
 田邊医院から出て、昼前になっていることに気づいた上戸は、数字に眠気を誘われたように大きな欠伸をした。姫浦はスマートフォンを取り出すと、稲場がセッティングした熊田との面会場所を頭に入れた。追加費用は、レクサスと上戸の折れた左手。ひと通り話は伝えてあるから、それでも揉めるなら殺していい。稲場は、地上階が工事中で封鎖されているパーキングビルの地下を指定した。カメラは全て止められている上に音も響かないから、銃を使える条件は揃っているが、それは相手も同じだ。姫浦がポケットの中でずしりと沈むM632に意識を向けると、上戸が言った。
「京ちゃん曰く、絶対安静だってよ」
「そうですか。じゃあ、隣で安静にしててください」
 そう言うと、姫浦はアルテッツァに乗り込んでバックパックを後部座席に置き、上戸が助手席に座るのを待った。組織全体が代替わりしようとしていて、それは自分にとっても縁遠い話ではない。そのとき、監視役を長くやってきた上戸のような男はどこへ行くのだろう。この危ない稼業に身を置きながら絶対安静を求める性格には、居場所がないように思える。
 アルテッツァで二時間走って途中給油し、空き地に停められた白のシビックフェリオRSに乗り換えて、さらに一時間走った。昨日からの走行距離は四百七十キロ。工事中の駐車場が見えてきて、姫浦は左手にできたマメを見つめた後、シフトレバーをニュートラルに入れた。
「地下一階のBブロックで待つように言ってあるそうです」
 上戸がうなずいたとき、姫浦はシビックのサイドブレーキを引いてエンジンを止めると、運転席から降りた。トランクの側を回り込むときにM632を左ポケットへ移し、助手席から掛け声とともに降りてきた上戸の左側を歩き始めた。
 その手が折れている理由については、信用しないほうがいい。怪我をしているからといって、被害者とは限らないのだから。姫浦は少しだけ間合いを取りながら、上戸と並んで歩いた。歩くのは、上戸の手が折れている側。銃はさらにその反対側で、左ポケットの中だ。この位置関係なら、上戸がどのような行動を取ったとしても銃を抜いてその顔を吹き飛ばせる。全体像が見えていない以上、何も信じてはならない。階段を下り、Cブロックから回り込んで待ち合わせ場所に近づくと、ガラクタのように埃を被った消火栓ボックスにもたれかかる男が見えた。ジャケットの裾が少し膨らんでいることからすると、隠し慣れていない拳銃を持っているのは間違いない。そのことに気づいた姫浦は足を止めたが、上戸はすたすたと歩き続けながら声を張った。
「すみません、熊田さんですか?」
 熊田は振り返ると、背後を取られたことを恥じるように小さく頭を下げた。
「そうです。事情は聞いてます」
 姫浦は左手をゆっくりと開き、いつでも銃を抜けるよう呼吸を整えながら周囲を見回した。そもそも車は止まっておらず、コンクリートの柱が等間隔に立っているだけだ。隠れ場所はほとんど存在しない。上戸は姫浦を振り返ると、交渉係を務め上げる覚悟を決めたように、咳ばらいをした。
「あの、ちょうど解放したタイミングで車を持って行かれちゃったんですよ。おれも左手を轢かれて、ちょっと折れてます。いや、ちょっとじゃないか。がっつり折れてます」
 上戸は、着ぐるみのように腫れあがった上から包帯でぐるぐる巻きにされた手を掲げた。熊田は大柄な体を少し曲げて、そのまま頭を下げた。
「申し訳ない。請求してもらって構いませんので」
 その表情には、失望だけではない諦念のようなものが浮かんでいた。姫浦は一歩引いて熊田の声や仕草を観察していたが、上戸が呆気なく終わった交渉に肩をすくめたのと同時に、言った。
「須藤さんは、あなたの名前を出すまでは動きませんでした」
「どんな様子でしたか?」
 熊田が訊き、姫浦は自分が製造ブースで見たままを語って聞かせた。そして最後に、自分の感想を聞かせた。
「爆発物がいくらでも作れる、かなり危険な環境でした」
 上戸が何度もうなずきながら、口を挟んだ。
「製造所とかあの手の設備は、簡単に吹っ飛ぶからなあ。まあ、ということでいいですかね?」
 そのうんざりしたような口調に、熊田はうなずいた。姫浦はシビックの鍵を上戸に投げて渡すと、言った。
「車に戻っておいてもらえますか」
「オッケー」
作品名:Squib 作家名:オオサカタロウ