表裏の可能性
だから、元が何であっても、証明する式が同じであれば、それを証明したということにはならない。
ということだ。
もう一つの考え方として、
「答えが一つだけ1になる」
ということが存在するというのだ。
それは、
「0割る0」
というもので、
「割る数と割られる数が同じであれば、答えは1になる」
という公式からの理屈だからである、
しかし、これを証明しようとすると、
「1にゼロを掛けることになり、結局は、答えは0であるが、この場合のみ、証明できる」
といってもいいのではないだろうか?
つまりは、
「0÷0」
以外では、
「ゼロで割るという証明をすることはできない」
ということになるのだろう。
このことを数学では、
「ゼロ除算」
という言われ方をしている。
そして、このような方法を、コンピュータにさせようとすると、理屈に合う計算ができないということで、
「処理が止まってしまう」
ということになるのだ。
だから、数式を処理するプログラムを動かす中で、ほとんどの言語では、
「除算例外」
ということで、処理を中断させたりする手法が施されることが多い。
そのために、プログラマーとすれが、その対処法を、自分たちで考える必要がある、
たいていの場合は、
「ゼロで除算しなければいけない場合、割られる数が、0になった場合、そこに、1を代入する」
ということで、除算例外を防ぐというやり方をするものであった。
そういう意味で、
「タイムマシン」
であったり、
「ロボット工学」
などの、なかなか、理屈で解決できない問題があるわりに、比較的スムーズに開発された、
「パソコンをはじめとするコンピュータ」
というものであっても、いまだに、
「除算例外」
のような解決できないということもある。
もっとも、除算例外という考え方は、
「太古の昔」
からあったというもので、それが、
「表裏の世界」
であったり、
「無限の問題」
さらには、
「限りなくゼロに近い」
という問題と、どこかで結びついているといってもいいのではないだろうか?
数学において、
「表裏の証明が、数学にとって必要であり、それが、ひいては、ロボット工学であったり、タイムマシン開発などというものの開発に関わってくる」
ということになるであろう。
それを考えると、
「表裏というものが無限に存在している」
と考えると、その中に、
「証明できないものというのが、この、除算例外以外にもたくさんあるのではないか?」
と考えられるのであった、
大団円
中には、
「片方は分かっているが、もう片方は、表裏であるということは分かっているが、どのようなものなのかというのが、想像でしかない」
というものもある、
それが、
「この世とあの世」
というものであり、さらに、あの世に関しては。
「天国と地獄」
というものがあるということである。
これは、
「あの世」
というものに限りがあった場合、天国と地獄という二つに分けらあれるを考えられる。
つまりは、
「最大値であるところの、分割元が、無限ということであれば、その先に続く分割も、無限でしかない」
と考えると、
「無限というものは、そもそも、存在しないのではないか?」
という発想になるのだが、そうなると、
「ずっと整数で割っていった時、限りなくゼロに近いが、絶対にゼロにならない」
ということから、
「無限というものは存在する」
ともいえるだろう。
そうなると、どちらが正しいのか?」
ということで、
「こちらも、解がない」
といえるのだろうか?
しかし、
「逆に無限というものが存在している」
ということになれば、
「解がない」
ということも矛盾しているかのように見えることで、その証明は、
「表裏にあり」
と考えられ、そこに、
「ウソと誠」
という発想が引っかかってくるのではないか?
と考えられるのであった。
そんな
「ウソと誠」
というハザマで、
「天国と地獄」
というのを見たという人がいるかも知れない。
「人間というのは、必ず誰か復讐したい人がいる」
ということを考えたりする。
その一つとして、
「仮想敵」
という発想があるが、
「誰かを仮想敵というものにすることで、生きる気概を持つことができる」
という人がいる。
国家だって、基本的に、どこかに仮想敵というものを持たなければ、それは、国防という意味で、軍を構えるのであれば、仮想敵というものを必ず持たないと、士気が保てないということになるのではないだろうか?
そのために、時と場合によって、
「敵でもないのに、敵だ」
ということで仮想敵として、君臨することもあるだろう。
世界がそれで成り立っていると考えると、その考えは、どこまでが、
「人間社会なのか?」
と考えてしまう。
だから、
「実際には、復讐を考える相手でもないのに、士気を高めるという意味で、
「仮想敵を持たなければいけない」
ということで、
「それが嘘をつく」
ということになり、その戒めのために、
「オオカミ少年のような話」
というものが出来上がったのかも知れない。
それが、
「表裏の関係」
ということであり、それが、
「自分にとっての必要悪である」
と考えると、
「表裏の関係」
というものが、
「数学の発想」
というものを生み、そして、それが、
「ウソと誠につながる」
ということで、最後には、
「必要悪」
という問題につながってくる。
「今回は、小説ではない考えだけをつぶやいた」
という話になってしまったが、
「歴史」
というもの、
「次元の考え方」
そして、
「表裏の関係」
それらをいかに話としてつなげることができるかということであれば、それらの話というのが、
「SF風の話ができる」
ということになるのだろう。
( 完 )
64