悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(後編))
■11/9(旅の8日目):鳥取県若桜町 ⇒ 岡山県真庭市「八束自然牧場公園」
【この日の旅のあらまし】 若桜(わかさ)からR29で、バイクのハヤブサの聖地の若桜鉄道の「隼駅(はやぶさえき)」に行き、その近くの「やずミニSL博物館」では精密なSL模型を見て回った。日本海側のR9は走らず、中央分水嶺でもある鳥取県と岡山県の県境を2度も超える山間のR482で西へ。途中で「三朝温泉(みささおんせん)」の「たまわりの湯」に浸かった後は、大山(だいせん)の手前の道の駅「蒜山高原(ひるぜんこうげん)」近くの「自然牧場公園」内で車中泊。【走行距離:123km】
【忘れられない出来事】 「やずミニSL博物館」の館長とのSLについての会話が尽きることはなく、久し振りのSL談義が楽しかった。
【旅の内容】 道の駅「若桜(わかさ)桜ん坊(鳥取県若桜町)」で車中泊した昨夜、布団に入ってからは雨脚が強くなり、「ジル」の屋根に雨粒が当たる音が耳に付いたが、先ほど訪れた若桜駅内の「わかさカフェ retro」のオレンジ色の電灯を思い出したところで、眠気の方が勝り、フェイドアウトして深い眠りに落ちた。これは、私の幼少の頃の自宅の子供部屋の電灯がそうだったのか、その頃に刷り込まれた記憶と今日の心地良い疲労が作用して、寝付きの良さになったようだ。
外から何やら、2人の男性の話し声が聞こえた。静寂の中の会話だったので、大きな声に聞こえたのかもしれないが、6時に目が覚めてしまった。ちょっと早いが起きることにした。
サブバッテリーのDC電源(12V)をAC電源(100V)に変換する「インバーター」のスイッチを入れて、テレビのスイッチを入れた。
NHKのニュースを見ていると天気予報が始まり、このエリアは、朝の内は小雨のようだが、次第に上がりそうな内容だった。
湯を沸かして、ドリップコーヒーを淹れて、肉まんとカレーまんをレンジでチンして、ちょっと冷たいバナナも食べながら、コーヒーを飲み干した。2杯目はインスタントになったが、今日の活動のためのエネルギーを補給した。
昨夜、若桜駅に来ていた観光案内所の人から教わった若桜の街並みを、若桜駅を起点に散策することにした。
道の駅は終着駅の若桜駅の裏側にあるので、歩くと少し遠いため、「ジル」でぐるりと回り、駅前まで移動して、そこの駐車場に停めた。その走行中、「ジル」のフロントガラスに雨粒がほんの少し当たるくらいの小雨になっていた。
駅を背にして「駅前通り」を見渡した。先ほどまでの雨でしっぽりと濡れた山間の街には、まだ人っ子ひとりいない時間帯だった。新聞配達や店に商品を卸す大人たちの姿も見掛けなかった。
「駅前通り」の先に見える山々にはまだ雨雲が掛っていたが、スマホの「雨雲レーダー」で確認したところ、ギリギリだが、雨に降られずに散策ができると判断し、傘は持たず、デジカメを持って歩き始めた。
この「雨雲レーダー」の情報は日常でも旅でも、重宝する情報だ。
観光案内所は閉まっていたが「若桜駅前にぎわいプラザ」と書かれており、これが正式名称だったようで、その先の左側には、軽でも多分入れないほどの狭い路地があり、路地の右側は幾つもの蔵の裏面が続いていた。
この「駅前通り」はもうひとつ先で、広い道の「仮屋通り」に出るが、その道沿いに建ち並ぶ商店の蔵の端が、この路地まで伸びているのだろう。そのびっしりと建ち並ぶ蔵の裏面の風景から、この路地は「蔵通り」と呼ばれるようになったと分かった。
「蔵通り」の左側は白壁・瓦屋根の塀が続き、その内側には幾つもの寺が並んでいた。多分、宗派が違うのだろう。
静かで落ち着いた雰囲気の「蔵通り」を暫く歩き進むとT字路に突き当り、そこを右に折れると商店の多い「仮屋通り」に出た。そこからは駅に戻ることにして、商店街をぶらぶらと散策した。
若桜では、これまでに三度も大火があったとのことだが、立ち並ぶ家々の殆どは隣家との隙間はなく、確かに、一旦火事が起きれば、すぐに延焼してしまいそうだ。それでも、多くの古い家が残っていた。
低い軒の木製のガラス引き戸の内側には暖簾が下がっていて、商売はまだ始まっていない。そんな佇まいの多くの店舗が散見され、そのひとつに「昭和おもちゃ館」があった。
まだ開店していなかったが、ガラス引き戸越しに中を覗くと、商品も含めた店舗内はノスタルジックな雰囲気が漂っていた。昭和生まれの私にとっては、「昭和の○○○」には目がなく、すぐに入店してしまう。多分、その雰囲気の中で、幼少の頃のことを懐かしく思い出したいようだ。
その店の隣にはひな壇のような棚があり、丸みのある少し細長い小さな石に目や口、そして前掛けを描き、両手を合わせて何かを祈っているような手作りの「いやし地蔵」が並んでいて、自然にほっこりとしてしまい、デジカメで写真を撮った。
歩きながら、気になることが二つあった。
ひとつは、通りに面した家並みの統一感が希薄なことだった。もし昭和っぽい外観に揃っているならばと思った瞬間、美濃の古い町並みを思い出したが、ここ若桜の街がさらに統一感があれば、さらに多くの観光客が訪れるのだろう。
もうひとつは、通りに面した古い家が公民館になっているようで、その前が、家庭ゴミの集荷場になっていたことだ。そのため、それらが回収される時刻までは、昭和の雰囲気のこの通りの写真を撮ることを躊躇ってしまう。せめて集荷場の外観だけでもなんとかならないのかと思った。
「仮屋通り」から「駅前通り」へと右に折れた交差点から、赤色の屋根の木造の若桜駅が見えた。国の登録有形文化財のその佇まいは、田舎の町に良く似合っていた。
駅まで戻ってきてから、入口の引き戸を開けると、コーヒーショップでは、もう客のためにコーヒーを淹れたのか、駅舎内は良い香りで満ちていた。
入場料を払ってから駅構内に入った。終着駅の奥の構内は広く、タンクSLのC12とディーゼル機関車の2台の車両の外、転車台、車両の格納倉庫、腕木式信号機、水タンク塔などの鉄道の遺産が並んでいた。
このC12は動態保存されているとのことだが、石炭と水ではなく、圧縮空気で動くとのこと。どのような音をたてて走行するのか興味があったが、今日は運転日ではなく、その音や走る姿を見ることができなかったのは残念だった。
私の好みのSLは、同じタンクSLのC11だが、初めて見たC12は、C11よりひと回り小さく見えた。
C12はC11より全長が短く、従輪の数が少なく、ボイラーの直径も小さい。加えて、C12には煙突の両側にデフがないことが視覚的に車両を小さく感じさせているようで、C11より小さくてかわいいというよりは、痩せて貧相な感じがした。
このデフとは、正式には「除煙板(じょえんばん)」と言い、走行時に車両前方からの空気の流れを上向きに導くことで、煙突から排出される煤煙(ばいえん)を上へ流し、運転室からの前方視界を改善する機能を持つ。
そのC12を間近に見ながら写真を撮り、少し離れた場所からも写真を撮り、「撮り鉄」の私は至極、満足した時間だった。
写真を撮り終えた頃、下りの2番列車になるディーゼルカーがホームに入って来た。それはバイクのハヤブサのラッピングカーだった。