悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(後編))
■この旅の「山陰(前編)」のあらまし
自宅のある静岡県西部から福岡県までは、高速(東名・名神・山陽自動車道・中国自動車道・関門橋)は走らず、それらにほぼ並走する下道(国道1号線(R1)・R2・関門トンネル)も走らず、私の「キャンピングカーの旅」は、最初から悠々日和(きまま)に、悠々日和(のんびり)としたものだった。
静岡県の隣の愛知県からは西へ行かず、北上して岐阜県へ。そして峠を越えて福井県へ。若狭湾の色々な場所を巡った後は、京都府の丹後半島をぐるりと回ってからは兵庫県、そして鳥取砂丘を体験した後は鳥取市南部の山間の町の若桜(わかさ)まで走った。走行距離は899km。そこまでが「前編」だ。
以上の内容では、あまりにもラフ過ぎるため、若桜までの6泊7日の「キャンピングカーの旅」を振り返ってみよう。
【初日】 静岡県西部の自宅を出発してからは、ひたすらR1を走り、愛知県豊橋市で待望のラーメンを食べた。そこまでは外出のような気分だったが、この久し振りのラーメンの味で、この「キャンピングカーの旅」が始まったような気がした。名古屋市内では、幾度となく渋滞にはまりながらも北上を続け、県境を越えて岐阜県に入り、夕暮れ時に到着した道の駅「美濃にわか茶屋(岐阜県美濃市)」で車中泊。
【2日目】 朝食を食べた後、もう1杯淹れたコーヒーのカップを持ったまま、車中泊した道の駅の周辺の散策を始めた。長良川に架かる車道を渡り対岸へ、暫く歩いた後は、国指定重要文化財の吊り橋の「美濃橋」でこちら側に戻ってきた。その下流の「川湊(かわみなと)に建つ灯台」を見上げ、土手から見下ろした川の中の「鮎を獲る仕掛け」のしくみを地元の人に教えてもらった。
美濃の「うだつの上がる古い町並み」を散策し、プチ登山した「小倉山城跡(おぐらやまじょうあと)」から長良川の流れを展望した。
美濃を後にして、郡上八幡から幾度となく行ったことのある「めいほうスキー場」を訪ね、雪のないゲレンデの周囲の紅葉を眺めた後、この旅で最初の温泉に浸かった。
その後は、郡上八幡まで戻り、長良川沿いに再び北上し、白鳥(しろとり)から西に進み、県境の油坂峠をトンネルで抜けて福井県に入り、二つの恐竜のモニュメントのある道の駅「九頭竜(福井県大野市)」で車中泊。
【3日目】 朝から道の駅周辺を散策した後は少し戻って「九頭竜湖」の紅葉を愛でた。「荒島岳」の麓を走った後は「越前大野城」を訪れ、滅亡した朝倉氏の「一乗谷」にも立ち寄り、福井市内ではJR福井駅前の「動く恐竜」を横目で見て、「福井大学のキャンパス」を眺めてからは、敦賀湾越に敦賀半島が見える道の駅「河野(福井県南越前町)」で車中泊。
【4日目】 「越前海岸」の真横のR305を走った後は、北海道の苫小牧(とまこまい)に向かうフェリーの「ターミナル」に立ち寄り、北海道までの船旅に憧れ、若狭湾内の東端の敦賀湾奥の「気比の松原」を訪れ、そこから敦賀半島の先端まで走り、「立石岬灯台」まではプチ登山になった。
半島を走りながら見えたのは「敦賀原発」、「高速増殖炉もんじゅ」、そして「美浜原発」。この半島から始まるのは、かつて15基もあった原発から呼ばれた「原発銀座」で、美しい砂浜の中に忽然に現れる異様な姿に違和感を覚えた。
「三方五湖」では、その上空をパラモーターでフライトしたことを思い出しながら、最も南の「三方湖」の畔をのんびりと走り、小浜に向かった。
そこは、朝ドラの「ちりとてちん」のロケ現場のひとつで、小浜湾の見える温泉に浸かり、他のキャンピングカーの人に誘われ、その隣で車中泊。その夫婦との会話で夜は盛り上がった。
【5日目】 小浜港近くの「お魚センター」と「フィッシャーマンズワーフ」に立ち寄り、「津島名水」で飲み水を補充した後は、若狭湾の西部エリアに向かった。
やがて京都府に入り、最初に訪れたのは「舞鶴引揚記念館」、太平洋戦争後の海外からの引き揚げ者を最後まで迎えた港で、その歴史を学んだ。「舞鶴東港」は海上自衛隊の基地、その隣のレンガ倉庫にも立ち寄った。次の「舞鶴西港」は海上保安庁の基地兼貿易港で、関西地区の重要な港湾のひとつだ。
妻が行きたがっている「天橋立」はパスして、その時まで残しておくことにした。丹後半島の若狭湾側を北上して、広い駐車場のある道の駅「舟屋の里 伊根(京都府伊根町)」で車中泊。
【6日目】 駐車場を出て、少し先に道の駅「舟屋の里 伊根」を発見、泊った場所はどこだったのかと思いながら、駅舎の裏手の展望台から伊根の舟屋群を見下ろした。そして伊根湾まで下り、舟屋群の雰囲気を味わった。
丹後半島の北端の「経ヶ岬灯台」まではプチ登山のような道で、戻ってからは「ジル」を停めた駐車場内の多くのカメラマンと一緒にハヤブサを見上げた。
京都府内の最後に訪れたのは「琴引浜」、泣き砂を実際に体験したかったが、そのために1,000円の駐車料金はちょっと高い。琴引浜の維持管理に費用が掛かるのは分かるが・・・、写真だけを撮って立ち去った。
川の両側の畔に広がる「城崎温泉街」を散策し、その「7つの外湯(立ち寄り湯)」のひとつに浸かった。そして、暮れなずむ中で到着したのは道の駅「あまるべ(兵庫県香美町)」、その駅舎内の展示情報などから、強風に煽られた回送列車の客車7両が転落した事故がきっかけとなり、新しい鉄橋が建設された経緯をじっくりと学ぶことができた。
【7日目】 「余部鉄橋」に登り、転落事故の現場で当時のことを思い浮かべ、身震いした。その後は日本一の「鳥取砂丘」を訪れた。細かな砂が舞う歩きづらい砂丘を登り「馬の背」にたどり着くと、そのご褒美かと思える美しい日本海を眺めることができた。
鳥取市内では、この旅で初めてのコインランドリーに立ち寄った。その待ち時間に、道の駅で入手した観光パンフレットに載っていた動態保存SLのC12に魅かれ、鳥取市の南側の山間の町の若桜(わかさ)に向かってしまい、道の駅「若桜(鳥取県若桜町)」で車中泊。
これ以降は、以下の「西日本の旅(山陰)」の「後編」になる。