悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(後編))
■11/14(旅の13日目):島根県出雲市多伎町 ⇒ 島根県浜田市(道の駅「夕日パーク浜田」)
【この日の旅のあらまし】 道の駅「キララ多伎」を出発してから、鳴き砂で有名な「琴ヶ浜」に立ち寄り、石見銀山の銀の積出港として栄えた「温泉津温泉(ゆのつおんせん)」の鄙びた湯に浸かった。温泉津の観光案内所で会話したライダーから勧められた「有福温泉(ありふくおんせん)」を訪ね、道の駅「夕日パーク浜田」で車中泊。【走行距離:104km】
【忘れられない出来事】 銀の積出港として栄えた往時の面影が色濃く残る湯の町「温泉津温泉」の鄙びた温泉「元湯泉薬湯(もとゆせんやくとう)」の湯に浸かったが、その中の「熱い湯」に入るも、熱すぎて10秒も浸かることができなかったこと。
【旅の内容】 朝までぐっすりと熟睡した。昨日は、そんなに長い距離を走らなかったが、最後に、車中泊場所を2ヶ所もパスして、この道の駅「キララ多伎」には遅くに着いたことで、精神的に疲れていたからだろう。
バンクベッドのダイネット側は遮光カーテンを閉めていて、両サイドの二つの小窓はシェードを使っているので、朝の光は差し込まない。その小窓に手を伸ばしてシェードを開けると、朝の光がまぶしく、満車に近い駐車場の景色が広がっていた。私の後に到着したクルマの数が多かったためだ。ここは人気のある道の駅のようだ。
エントランスから外に出て、海が見える駅舎の東側に行くと、海岸段丘の上から、順光に照らされた広い日本海が果てしなく見えた。目を北東側に移すと、昨日訪れた日御碕が見え、ちょこんと日御碕灯台の上部が見えているような気がした。午後には、太陽光が当たり、それが白く見えてくるのだろう。ここからの景色を見続けるならば、近視が矯正されるはずだ。
眼下には白い砂浜が広がっていて、夏は多くの海水浴客が集まる海岸なのだろう。
そして東側には2基の風力発電機が建っており、今は飛んでいなかったが、かつて、海風が海岸段丘に衝突し発生した上昇気流に乗って飛んでいたパラグライダーが発電機のペラに接触するのではないかと、ひやひやしながら見ていたシーンを思い出した。
気持ちの良い景色で胸が一杯になったので、次は朝食で腹を満たす番だ。
先ずは湯を沸かしてインスタントコーヒーを作り、「肉まん」と「カレーまん」をレンジでチンして、レタスにマヨネーズを付けて、テレビを見ながら、十分過ぎるほどの朝食を平らげた。
この旅の朝食で食べている「肉まん」と「カレーまん」がなかなか良く、私の定番のホットサンドに続く朝食のメニューになりそうな気がしてきた。そうなると、これまでひとり横綱だった番付が東西の2横綱になった気がした。
道の駅を出発する前、熊本ナンバーのハイエースがあり、その男性に声を掛けたところ、会話が始まった。学生時代に6年間も熊本にいたことで、熊本ナンバーには親近感が湧いてしまった。
彼は奥さんとふたり、そして3匹の犬も一緒に来ているという。熊本を出てからここまで、一日で500km以上走って、たどり着いたとのことだった。今日は出雲大社を参拝してから山口まで戻る計画で、そこには予約した旅館があるという。長い距離を連日走る彼はまだ社会人なのだろう。忙しく頑張って、日本を支えてください。
昨夜、建設中の道の駅「ごいせ仁摩」から夜のR9を走って、この道の駅まで来たが、その道中は道路だけを見る運転になってしまい、さらには対向車のライトで道の先が見えない瞬間もあり、夜の運転はやはり危ない。今後は、そうならないようにと誓った。
今、その道を戻り始めた。往路と復路では見える景色は違うが、昼間の景色が見える運転は楽しいものだ。
道の駅で入手したパンフレットに、鳴き砂の「琴ヶ浜」が紹介されていて、その音を聞きたくなり、「琴ヶ浜」に向かうことにした。
ナビで案内されたルートを走り、山陰本線の下を潜るトンネルを抜けると「琴ヶ浜」の駐車場にたどり着くはずだったが、そのトンネルの高さが「ジル」の3m超の車高より低い2.2mで、トンネルを潜り抜けることができなかった。
ナビの初期設定の際に「普通車」でなく「大型車」を選択すべきだったのかと思いながら、そうすると、ジルの5mの全長より長い「大型車」として認識されてしまい、その結果、「ジル」が本来走れる道がナビの対象から外れてしまう可能性が出てくるはずで、どうしたものかと思いながらも、そのままの設定を維持しながら、「ジル」をバックさせた。
そして、マップを見ながら、適切な迂回ルートを走り始めたにもかかわらず、その先に、二つ目の厄介なことが待っていた。それは、対向車が来るとすれ違うことができない幅の道で、左右の家の軒先が「ジル」に当たってしまいそうなほどの狭さだった。古い漁村内の道はどこも、なぜ狭いのかとぼやきながらも慎重に運転した。先ほどのナビの設定を「大型車」に変更していたら、そもそも、この迂回ルートはナビの対象から外れてしまうような道だった。
漁村の中の道は古くから、広く造る必要はなかったようで、多分、リヤカーの幅が基準となり、そのすれ違いができる道の幅のままの地割で現代に至っているからだろうと、勝手な仮説を思い浮かべながら走った。
「日本一 大鳴き砂 琴ヶ浜」の標識が見えて、その先の駐車場にたどり着いた。先ほどのトンネルからは、それほど長い距離ではなかったが、気持ち的にかなり遠く、長い時間の経過を感じた。
そして、白い砂の砂浜に下りた。待ちに待った瞬間に巡り合うのだろうと期待し、波打ち際に近い乾いた砂でよく鳴るとのことだったので、そのあたりまで行って、手で砂を押してみたが、「キュッキュッ」の音は明瞭に聞こえなかった。何か鳴ってはいるようだが、強い風と大きな波の音でかき消されてしまい、よく聞き取れなかった。近くにいた若いカップルや中年夫婦に訊いたところ、私と同じように、よく聞き取れないとのことだった。
この日の夜、ネットで鳴き砂を検索したところ、八戸市で開催された「2007年全国鳴砂サミット」で、「鳴き砂」と「鳴り砂」の二つの表記を「鳴砂」に統一し、読みは「なきすな」と「なりすな」の二種類を地域での呼び方に応じて使うことに決めたとのこと。さらに、全国には40を超える「鳴砂」の場所があるとのことで、その中には過去に訪れた砂浜もあり、そこが「鳴砂の浜」だったとは気が付かなかった。
R9に戻り西に進み、温泉津(ゆのつ)に向かった。
「温泉津温泉」の案内標識に従って右折し、山陰本線と並走した先にはJR温泉津駅が見えてきた。この駅名は難読駅名として知られているという。その駅前には「温泉津温泉」と書かれた高さ4mほどの和式灯台が建っていて、その先には、道の上に「いらっしゃいませ 湯野津温泉」と書かれたアーチ看板が「ジル」を迎えてくれた。
その場所からレトロな雰囲気の町並みが始まり、ゆっくりと走った先のT字路を右折して道なりに進むと、道の真横の船着き場に係留されている多くの漁船が見えた。その写真を撮りながら思ったのは、船の様子から多分、一本釣り漁の船で、ここはその基地なのかもしれないと。そもそも温泉津湾はリアス式海岸の深い入り江で、天然の良港だ。