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静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(後編))

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 灯台から遊歩道に出ると、このあたりのイラストマップがあり、それをデジカメで撮って、それを見ながら「夕日展望台」と「鳥見台」を回って、車道に出た。この道は「日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)」につながっていて、歩いて向かうことにした。その少し先に食堂があり、海鮮中心のメニューで、多くの客で溢れていた。多分、有名な食堂なのだろう。
 そこから先は、道幅はぐっと狭くなるようで、4輪は9~17時の間は通行止めの標識が立っていた。実は先ほど、「ジル」で向かおうと考えたものの、結局、歩くことにしたが、それが正解だった。この標識が無くても、道幅の狭さから、車幅2mの「ジル」で走るのはかなり難しかったのかもしれない。
 幅の狭い道を下りながら、この先に本当に神社があるのかと訝しみながら歩いていると、坂の下の方から歩いてきた人がいたので、すれ違いざまに訊いたところ、間もなく神社はありますよと教えてくれた。
 それからすぐに小さな漁港が見えて、その海側には経島(ふみしま)があった。先ほど見たこの付近のイラストのマップには、ウミネコの繁殖地と書かれていて、そのとおり、数えきれないほど多くのウミネコが飛んでいた。
 その先には、狭い土地に軒を連ねるほど多くの家がぎっしりと立ち並ぶ漁村があり、その反対側には檜皮葺(ひわだぶき)の屋根、赤い柱、白壁の長い塀が見えた。「日御碕神社」だ。そこの通用口から境内に入った。

 初めて訪れる神社を、正面からではなく通用口から入ったことを反省しながら境内を逆行し、向かった先は、赤く威風堂々とした「楼門」で、内から外に出て、手水舎で身を清め、もう一度「楼門」をくぐった。
 正面の下の宮は「日沈宮(ひしずみのみや)」、上の宮を「神の宮」、この上下の2社を総称し「日御碕神社(日御碕大神宮)」と呼ばれている。この両社に手を合わせ、いつものように旅の安全と家族の幸せを祈願した。
 その後、境内で、ひとりの若い男性から声を掛けられた。先ほど、出雲大社にいましたよね、と。どうも、三脚を立ててセルフタイマーで自撮りしていたのが印象的だったとのことだった。

 空腹を感じた。海鮮中心の食堂はまだまだ満席だったため入店するのを諦めて「ジル」に戻った。
 湯を沸かして注いで作ったカップ麺は海鮮ではなかったが、その分、鯖の缶詰を開けた。麺と缶詰のセットはいつものパターンだが、やはり海鮮ラーメンを食べている雰囲気からは遠かった。そして、ロードマップをめくりながら、今からの行き先を考えた。

 日本海沿いに西に進もうと思ったが、どこで見たのか、何で知ったのかは憶えていないが、かわいい山容の三瓶山(さんべさん)を見たくなり、日本海からわずか10数kmほど内陸に入った場所にあることから、ちょっと寄ってみようか的な感じで行くことにした。R184で向かえば、途中にある岩峰で有名な立久恵峡(たちくえきょう)も眺められるため、それにも期待した。

 島根半島の西の端の海岸沿いの県道を再び走っていると「稲佐の浜」の横まで一気に南下してしまった。そういえば、灯台からの帰路、岬めぐり的な風景をじっくりと見ることを決めていたにもかかわらず、すっかり忘れていた。多分、灯台からの展望が良過ぎて印象深かったせいだからだろう。

 そして「稲佐の浜」にも寄らず、さらに南下した。その理由は、出雲大社の「神楽殿」の日本最大級の大注連縄を見るために、いつかもう一度、出雲大社を参拝することに決めたため、その時に、この「稲佐の浜」も訪れることにしたためだ。
 実は、「出雲大社」には、ご利益のある「お清めの砂」を持ち帰る習慣があるとのこと。そのためには先ず、「稲佐の浜」の砂を「出雲大社」に持っていき、それと交換するのが正しい作法だということから次回は、「稲佐の浜」そして「出雲大社」の順序で参拝することにした。

 「稲佐の浜」の南側の長浜海岸に河口を持つ神戸川(かんどがわ)の右岸を走るR184を上って行くと、次第に左右の山が近付いてきた。進行方向に岩峰が見え始めると、上下2車線のR184は二つに分離し、それぞれが一方通行の少し狭く感じる道幅の道に変わった。
 そのあたりから、川の左岸にある山には迫力のある岩峰や奇岩が並び始め、紅葉の時期から少し外れてはいるが、素晴らしい絶景が続いた。そこが立久恵峡なのだろう。
 「ジル」を停められる駐車場はなかったため走りながらになったが、その景色を見ていると、ある景色を思い出した。
 それは、福岡県の私の実家からはさほど遠くない名所で、家族でよく行ったことのある大分県中津市にある「耶馬渓(やばけい)」の最も知れ渡った景勝地の「一目八景(ひとめはっけい)」の景色だった。耶馬渓は大分県と福岡県の県境の山国川(やまくにがわ)が深く浸食してつくりだした奇岩の渓谷だが、立久恵峡の方が大きなスケールだった。
 ところが耶馬渓は、群馬県の妙義山、小豆島の寒霞渓とともに「日本三大奇勝」のひとつなのだが、立久恵峡との入替戦があれば、負けてしまいそうな気がした。
 なお、大分県中津市は旧紙幣1万円札の福澤諭吉の出身地で、彼の旧居が観光地になっている。定かな記憶ではないのだが、小学校の社会科見学で訪れた気がする。

 神戸川沿いのR184は次第に山間の道になり、その先にダムが見えてきた。そのダムを見渡すことができそうな展望広場があり、そこに立ち寄ると、このダムの名称は「志津見(しつみ)ダム」だと知った。
 ダム堤体の上部の天端(てんば)は、一般的には道路や歩道になっているが、このダムのそこは、ダム湖が溢れると天端を越えて流れ落ちるようになっているようで、初めて見る構造だった。
 この日の夜、このダムのことが気になっていたのでネットで調べたところ、日本初の「連続サイフォン式取水設備」があるという。それは、連続的に配置された逆V字管の頂部に空気を出し入れすることで放流・止水ができる新しいタイプで、従来のゲートのような鋼鉄製ゲートや開閉装置は必要としない。その結果、初期投資を抑えられ、さらにはランニングコストも安価になるとのことだった。高いコスパのダムだ。

 このダムの上流は、人造湖の「志津見湖(しつみこ)」が広がり、その横を走り抜けると、やがて「三瓶山(さんべさん)」への案内標識があり、そこを右折した。その標識以外にも別の案内標識があり、「三瓶山」の先には「石見銀山(いわみぎんざん)」あることを知った。

 三瓶山は、その南東方面から南麓を回り始めた。暫くの間は森の中の道のため、三瓶山の山容は見えず、早く開けた場所に出ないかと思いながら走っていると、いきなり、草原が広がり、その先が三瓶山に続いていた。
 草原には「大山隠岐国立公園 三瓶山 西の原(にしのはら)」と書かれた野立て看板があり、その駐車場に入った。