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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(後編))

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■11/13(旅の12日目):島根県出雲市大社町 ⇒ 島根県出雲市多伎町(道の駅「キララ多伎」)


【この日の旅のあらまし】 道の駅「大社ご縁広場」から歩いて「出雲大社」に参拝。「ご縁横丁」でぜんざいを食べた後は、畑電の「出雲大社前」駅の構内で古い電車の写真撮影。そして島根半島の西の端を「ジル」で北上して、「日御碕灯台(ひのみさきとうだい)」に登り、そのまま歩いて「日御碕神社」にも参拝。「三瓶山(さんべさん)」に向かう途中で、岩峰が並ぶ立久恵峡(たちくえきょう)を走り、「三瓶山」の山麓の「西の原」で見た三瓶ファミリーの二つの峰、残りの峰も見たくて、「三瓶山」を一周した。その先の「石見銀山世界遺産センター」を訪ね、銀山で栄えた「大森地区」の街並みを散策。そして、R9を東に戻って、道の駅「キララ多伎(たき)」で車中泊。【走行距離:149km】

【忘れられない出来事】 今日のホットスポットはやはり「出雲大社」で、その参道をしっかりと楽しむことができた。拝殿の注連縄(しめなわ)の大きさに驚いたものの、後で知ったのは、その神楽殿の注連縄の方がさらに大きいことだった。残念。

【旅の内容】 道の駅「大社ご縁広場」の足湯での長湯が効いたのか、昨夜は10時半過ぎに寝てしまい、その分、今朝は5時に目が覚めてしまった。それでも6時間半の睡眠だが、熟睡したので十分だ。
 シェードやカーテンを開けて外を見ると、道の駅の駐車場はほぼ満車の状況で驚いた。夜間に到着したクルマが多かったのだろう。
 今朝も定番のホットサンドだが、卵焼きと缶詰の鰯の蒲焼を挟んでみたところ、味は良いのだが、鰯の臭いがパンに合わないことが分かった。全部平らげたが、この組合せはもうないだろう。
 早い朝食の後は少しゆっくりしながら、昨夜は書けなかった「旅のメモ」を書き始め、調子よく、全てを書き終えた。

 参道の店はまだ営業を開始している時間ではないが、午前8時前に道の駅を出発して、出雲大社に向かって歩き始めた。
 堀川に架かる宇迦橋(うがばし)の付け替え工事が行われていて、現行の橋を渡ったところ、その横に立つ「一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)」の下をくぐることはできなかった。その分、ご利益が減ってしまうのでは? そんなことがふと脳裏に浮かんだ。験を担ぐ(げんをかつぐ)性分ではないが、神社仏閣では自然とそうなってしまうのが不思議だ。

 両側に松が並ぶ参道「神門通り(しんもんどおり)」は昨夜の雨で濡れていて、そこを大社に向かって歩き始めると、通りの最後は少し登り勾配があるのか、松の葉に隠れるように二つ目の鳥居が見えた。
 「神門通り」の前半は一般的な店が並んではいたが、まだ営業されておらず、地元の人のみならず観光客も殆どいなかった。数台の軽トラや軽バンが停まっていて、多分、店に何かを卸しているのだろう。

 周囲の家並みからは浮いて見える洋風な年代物の建物が見えてきた。その正面まで歩くと、「出雲大社前駅」と表示された駅舎だった。独特な雰囲気の一畑電鉄大社線の終着駅だった。参拝した後に訪れることに決めた。
 そのあたりから先は、駅からの人の流れが多くなるためか、観光客や参拝客向けの店が多くなってきたが、まだ営業は始まっていなかった。あと2時間もすれば暖簾が掛けられるのだろう。
 先ほど見えた二つ目の鳥居は「二の鳥居(勢溜(せいだまり)の大鳥居)」で、その横には5mほどの「出雲大社」と書かれた石柱が立っていた。ここが出雲大社の入口のような雰囲気で、それらをデジカメに収め、自撮りもした。
 その鳥居の下に立ち、来た道を振り返ると、「一の鳥居」からこちらに伸びる「神門通り」が美しく、お昼頃は多くの参拝者で賑わう通りなのだろう。後で撮った写真を見ると、「神門通り」の左右には少し高い建物があり、そこには、大きな文字の看板が映っていたのは興醒めで、トリミングして、良い感じの写真に仕上げた。
 この鳥居から先は、珍しい下り勾配の「下り参道」が始まった。その地点から「三の鳥居(松の参道の鳥居)」とその先の「松の参道」まで見通せた。この見通せることがご利益につながるのだろうと勝手に解釈しながら、「一の鳥居」の下を歩けなかった分のご利益を取り戻せた気分になった。

 手水舎で身を清め、「四の鳥居(銅鳥居)」を抜けると、大注連縄(おおしめなわ)が下がった拝殿が見えた。その下に立ち、お賽銭を入れて、旅の安全を祈願した。そして、「拝殿」を左回りに回って、奥の「八足門(やつあしもん)」から「御本殿」にも祈願した。
 「拝殿」をぐるりと回って、「四の鳥居」まで戻ってきて、「拝殿」の大注連縄の見納めにと振り返った時、ふと思ったことがあった。それは、祈願している時に、もし大注連縄が外れでもしたら、そこにいる人たちは命を落として昇天は間違いないだろう。罰が当たったのではなく、運命的な良い昇天だったと思うほかないのか・・・、なんとまあ、不埒なことを思ってしまったものだ。

 実は、40年以上前にバイクで日本一周をやった際に初めて、出雲大社に立ち寄ったのだが、バイクを停めた場所すら憶えておらず、大注連縄以外は全て忘れていた。当時は春に参拝したが、今は秋、四季が異なることから、多少なりとも佇まいは違って見えるかもしれないと思ったが、それも殆ど分からず、私の記憶力の乏しさが情けなかった。

 後で調べたところ、この「拝殿」の大注連縄の長さは6.5m、重さ1tだった。境内の西側の外にあるかのように見える「神楽殿」を参拝していないことに気付き、その正面には、長さ13.6m、重さ5.2tを誇る大注連縄があり、それは日本最大級のものとのこと。それを見なかったのはホントに残念で、次回は必ず訪れることを決めた。

 出雲大社の本殿内に天皇は入れない(立入禁止)という「しきたり」があることを知った。
 その理由は、日本神話からの言い伝えに、出雲大社の宮司には天照大神の子の天穂日命(アメノホヒノミコト)を祖とする出雲国造家(いずものくにのみやつこけ)のみが祭祀を担うことが許されているためだという。
 では、「祭祀を行う」という内容を明確にして、それに触れない範囲内で、天皇が入るのはダメなのかと思ったが、この考え方は庶民的な考え方なのだろう。やんごとなき人は、古からのしきたりをしっかりと守るものなのだろう。

 「四の鳥居」、「三の鳥居」をくぐり抜け、最も海抜の高い「二の鳥居」のある勢溜(せいだまり)まで戻ってきた時、「神門通り」にある幾つかの店は開いていた。私の娘から教わった「出雲ぜんざい」のことを思い出し、「ご縁横丁」に入り、「出雲ぜんざい」と書かれた店に入った。
 出雲は「ぜんざい」発祥の地とのこと。古くは、神在餅(じんざいもち)の「神在」が出雲弁で「ずんざい」、それが「ぜんざい」になったとか。その「ぜんざい」食べたところ、特別なものではなく、一般的な内容と味だった。ただ見栄えはかわいい感じがした。
 「ぜんざい」の値段は600円ではなく、600縁と表示されていたのは、「ご縁横丁」の店だからか。5円が入った小さな封筒とおみくじが付いていた。それは大吉だった。