正悪の時系列
ということからであった。
というのは、
「昔の伝承や、受け継がれたものを、本来伝わっているものではなく、ミステリーの小道具として、立派なフィクションとして使っている」
と考えた時、そもそも、自分は、
「歴史に関しては、ノンフィクションが好きで、小説などに関しては、フィクションが好きだ」
と感じていることからであった。
つまり、
「好きな学問と、文学とは、表裏の関係にある」
と思っていたことだった。
だから、小説の世界では、
「あくまでも、架空の話でないと許せない」
と思っていた。
それは中学時代の頃から、自分の信念と思っていたことであり、それは、
「いずれ、自分でも小説を書いてみたい」
と思ったからだ。
その時に、
「事実を小説として書くのは、自分としては許せない」
という思いがあったからで、
「事実であれば、徹底的に事実でなければいけない」
と却って、そう思うようになったのだ。
だから、逆に、昔の探偵小説を読んで、
「それが架空の話でないと成り立たない伝承」
ということを感じ、しかも、
「その架空の話が、実は本当の話から導かれている」
というものであり、
「それを本当の話だと思わせながら、ミステリアスな部分にいざなっていることで、話が、ホラーっぽくなり、ホラーのファンからも一目置かれる話になっている」
と感じたのだ。
つまり、
「伝承や言い伝えなるものは、ホラーであっても、ミステリーであっても、その架空性というのは変わらない」
ということから、
「ミステリーには造詣が深い」
と思っていた中里は、
「ホラー」
というのも、同じ流れを汲むものだと思ったのであった。
実際に、
「探偵小説」
というものから、
「ミステリー」
であったり、
「ホラー」
であったり、
「サスペンス小説」
などに、枝分かれしたと考えれば、
「ホラー小説」
というものを、甘く見てはいけないと感じているのであった。
昔から、
「ホラー小説というものを、どこか小バカにしていたところがある」
と思っていたのは、出てくる話が、
「妖怪や幽霊」
のような話が多かったからである。
それらは、子供の頃によく見たマンガというものを思い起こさせたからだ。
特に今では、妖怪などというと、
「幼少期の子供がよく見るもの」
ということで、マンガと同じで、
「低俗なものだ」
と思えてならなかったのだ。
特に、マンガは、中里も、
「小学生までは、よく見ていた」
ということで、マンガだけではなく、アニメにしてもそうだった。
しかし、中学生になってから、小説を読むようになると、
「小説の面白さに惹かれた」
のであった。
というのは、小説というと、
「絵でごまかされることがない」
と、子供心に感じたのだ。
アニメやマンガというのは、その映像や、作画によって、どうしても、惑わされる」
と思っている。
というのが、
「同じ作家であれば、作画が似ているのは当たり前」
ということで、しかも、自分が見るマンガは、
「同じジャンルの作品であれば、作家が違っても、皆同じ顔に見える」
と思っていた。
そこには、
「まるで、マニュアルのようなものがあるのか、少女漫画であったり、劇画というものであれば、その目のあたりというのは、えてして見てくるものだ」
と思うのだった。
その考えが、どうしても、頭から離れなかった。
そもそも、
「皆と同じではいやだ」
と、子供の頃から感じていた中里としては、
それに比べて、小説というのは、
「文章的に似ている人はいるかも知れないが、少なくとも、絵にごまかされることはない」
と感じていた。
しかも、
「小説のように、文章だけでは、想像するしかできず、これこそ、他の人と同じものはない」
ということで、
「自分独自の世界を築ける」
ということから、
「小説に造詣を深めた」
ということであった。
だから、余計に、
「小説というのは、架空の話でなければいけない」
と考えている、
この考えは、中里の、
「もう一つの趣味」
である、
「絵画」
というものにもあったのだ。
彼の場合の趣味は、あくまでも小説なので、絵を描くというのは、
「二つ目の趣味」
ということで、
「そこまで熱心」
ということではなかった。
ただ、
「絵を描くのは、小説を書く上での気分転換のようなもの」
と考えるようになり、
「絵を描くことが、好きな学問である、歴史と結びついたのだ」
というのは、彼が描く絵は、
「想像によるものではなく、あくまでも、模写だったのだ」
つまりは、鉛筆デッサンによる、
「お絵描き」
といってもいい。
「気分転換なので、それくらいがちょうどいいんだ」
というものだった。
小学生の頃にマンガを見て、
「マンガなんて、想像力がない」
ということで毛嫌いしていたことで、今では、絵を描けるようになったと思えば、
「結局は、模写しかできない」
という、
「皮肉を生んでしまった」
といってもいいかも知れない。
だが、
「子供の頃から、負ホラーが嫌いだ」
と思っていたのが、
「自分でも絵を描くようになった」
ということから、
「今ならホラーを書けるかも知れない」
と思うようになったというのは、皮肉なものかも知れない。
「ただ、それでも、同じホラー系といっても、妖怪であったり、幽霊などが出てくるものを書こうとは思わない」
と感じていた。
「ホラー」
と似たジャンルで、
「オカルト」
というものがあるが、こちらは、
「ホラーよりも、少しジャンルとして、幅が広い」
というものであった。
というのも、
「都市伝説であったり、伝承的な話が含まれる」
というものが、
「オカルト」
というジャンルであった。
そして、その中には、
「奇妙なお話」
ということで、
「まったく、心霊現象であったり、スピリチュアルなことに関わりのない」
という人間が、ふとしたことで、落ち込んでしまった穴が、
「奇妙な世界への入り口だ」
という話としてのオカルトも存在するという話を聞いた時、
「自分は、オカルト小説にも造詣が深い」
と考えるようになったのだ。
そのような小説を書いている先生もいて、特に、
「短編」
などというものに、その話を織り交ぜていたりする。
そもそも、
「短編などの話は、短い話にたくさんの想像力を織り交ぜる」
ということで、
「短編を書くのは難しい」
と言われてきた。
「その手法に、言いたいことのすべてを掛ける」
ということで、
「小説というのは、やはり想像力の産物」
ということで、自分が、
「アニメやマンガに走ることなく、小説を読み続け、さらには、書けるようになったことで、小説を趣味とできたことだけでもよかった」
と思っている。
学生時代までは、真剣、
「小説家になりたい」
と思っていた。
しかし、社会人になってからも、
「小説を書くということを辞めなかった」
ということで、次第に、
「小説家になど、ならない方がいいのかも知れないな」
と感じるようになってきた。