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症候群と秘密結社

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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年7月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。

                 プロローグ

 夕方から、雨が降り始め、次第に深夜にかけて、その雨量も激しくなっていった。
「今にも雷が鳴りだすのではないか?」
 と思うほどの大粒の雨が、折からの風にあおられて、嵐の予感を感じさせるのであった。
 実際に雷がなるほどのことはなかったが、雨量の、
「いよいよピークに差し掛かってきたか?」
 と感じられるほどになってくると、時を同じくして、パトランプと、サイレンの音が、深夜の豪雨をも貫くような状況に、
「雨は何かの前触れか?」
 と感じさせるほどであった。
 ただ、ここでパトランプやサイレンの音は別に珍しいことではない。なぜなら、ここにあるのは、救急病院で、都心部の救急病院ではないので、
「もし、豪雨ということでなければ、静かな場所なのだ」
 ということであった。
 当然、都心部ほど、救急患者が運ばれるということはないが、それでも、数日に一度は、サイレンの音が鳴り響く、
 特に深夜に多いようで、実は、これも
「時期による」
 と言われているようだ。
 だが、それには理由もあるようで、
「季節の変わり目など、この辺りは霧に囲まれることが多いので、運転を誤っての、交通事故」
 というものが多いようだ。
 とは言っても、人が歩いているわけではないので、ほとんどが、
「自爆事故」
 といえるもので、
「ガードレールにぶつかったり」
 あるいは、
「カーブが曲がり切れなかったり」
 という事故が多いという。
 この辺りは、山間の町ということであるが、通っている道路は、国道であったり、隣の県に続く、
「幹線道路」
 だったりするのだ。
 しかも、途中、まっすぐのところが結構あるので、どうしても、深夜ともなれば、スピードを出すというのもありなことだが、実はこの辺りは、
「事故多発地帯」
 とも言われているようだ。
 その中の都市伝説に、
「幽霊が出る」
 というウワサのところがあり、信憑性としては、他の土地に比べても、正直強いといわれているのだ。
 実際に、
「見た」
 という証言もあるし、それらしい、
「心霊映像」
 もあるという、
 特に最近は、
「ドライブレコーダーなどが発達していて、事故を起こした車のドライブレコーダーーを見ると、確かに、事故の寸前の映像に、見えるはずのない何かが光って映っていることもある」
 ということで、最近は、
「悪魔の国道」
 と言われているようなので、地元の人は、気を付けるようになったのだが、他の土地の詳しい話を知らない人が、油断からか、事故を起こすということが絶えないという、
 自治体も、道路の主要場所に、
「事故多発地帯」
「運転注意」
 などと、注意喚起をしているが、実際にそういうところは他にもいっぱいあるではないか。
 つまり、
「最初から事故を意識していないと、いくら注意喚起をしたとしても、それは、別に注意喚起でも何でもない」
 というだけだ。
 それこそ、へたに注意喚起が多ければ、実際に、事故が起こらない場所であれば、
「また看板がある」
 ということで、却って、意識しなくなるということになる。
 それこそ、
「オオカミ少年」
 のようではないか。
 ただ、交通事故の件数としては、
「今から30年前をピークにどんどん減っている」
 ということなので、そこまで警察は気にしていない。
 というよりも、
「警察ができるだけのことはしているので、これ以上しょうがない」
 という考えでもあるのだ。
 つまりは、
「警察自体が、オオカミ少年を実践している」
 といってもいいだろう。
「警察というのは、何かが起こらないと動かない」
 そして、何かが起これば、マニュアルに沿って、やるべきことの最低限だけをして、
「やっている」
 というアピールをすることで、自己満足をしているだけだといってもいいだろう。
 だから、住民も、いくら注意喚起があったとしても、
「ああ、またか」
 と感じるだけで、それこそ、
「いつものこと」
 という意識しかないということになるだろう。
 だから、交通事故が起こった時、
「警察が何かの手を打ったとしても、しょせんは、自己満足でしかないんだよな」
 と感じて終わりだった。
 だから、警察がいくら注意喚起を行おうとも、聞く耳ももたないのだ。
「これだったら、やらない方がましだ」
 とばかりに、
「オオカミ少年現象は、警察の責任」
 ということで、皆考えることだろう。
 もちろん、警察の中には、
「勧善懲悪」
 というものを目指して入ってくる人もいる。
「警察の任務は、市民の安全と財産を守る」
 ということで、そのために、
「少し自由が阻害されたとしても、それも致し方がない」
 と思っているだろう。
 ただ、今の警察は、
「自分たちの職務のために、市民の自由を阻害する」
 ということをするが、
「本当に、市民の安全と財産を守るため」
 と思っているのかどうか、疑問に感じる。
 なんといっても、警察や官僚というのは、階級社会ということで、他の仕事と違い、
「上司の命令は絶対だ」
 ということになる。
 へたに逆らえば、査問委員会に掛けられ、懲罰を食らうということになるのだ。
 だから、警察というのは、
「市民のため」
 というわけではなく、
「警察の面目」
 というもののために存在している。
 だから、
「警察が犯人を逮捕したりするのに、市民の協力が必要だったりするとき、一番大切なのは、警察の威信ということだ」
 という。
「警察が市民から信頼されなくなれば、警察は仕事ができなくなり、組織が崩壊する。だから、警察は検挙率を上げるということでの実績を示さなければ、口で言っても、市民は納得してくれない」
 という考えである。
 だから、
「少々、市民に対して強硬な姿勢を見せても、その威厳を示すことが大切だ」
 ということになるのだ。
 しかし、実際には、
「市民あっての警察」
作品名:症候群と秘密結社 作家名:森本晃次