花丸重工株式会社の天下り大作戦
社長室には強い西日が差しこんでいて、社長の姿は逆光で黒々と大きく見えた。
「小野寺君、おめでとう。君は四十代の若さで重役だ。花丸重工株式会社社長も夢ではないぞ」
左脇に立っている二名の副社長が拍手をした。
提示されたのは、子会社の花丸倉庫株式会社への出向だった。肩書は常務という立派なものだが明らかな左遷である。頭の中が真っ白になり、話が耳に入ってこなかった。
私は八十年代に有名大学の工学部を卒業して資本金二千億円以上の大企業、花丸重工業株式会社に就職した。定年後まで前途洋々の人生が広がっていると親戚、友人、そして知らない同郷の人たちからも賞賛された。思えば我が世の春だった。
造船技師として二十五年勤めて、この年に課長に昇進してから半年後のことだ。韓国企業に受注で負けたのが響いたのだろうか。それにしても一度の失敗でどん底に突き落とされるとは。
「給料は今より下がるが、成果を出して株主総会で承認されれば給料は青天井だぞ。君の能力なら絶対に大丈夫だ。がんばってくれ」とのこと。
ガリガリに痩せた青白い副社長が廊下の物陰に私を呼び出して、蛇のように首をくねらせながら声を潜めて言った。
「わかっていると思うが念のために言っておく。もはや高度経済成長は終わった。バブル経済は崩壊した。長時間労働でがんばれば誰でも成果を出せる時代は終わった。本社に戻りたかったら覚悟を決めろ。本社に利益を還流させろ。鬼になってあの会社を食い物にしろ。子会社の社員を人間と思うな。若い奴らは徹底的に搾り取れ。少しでもミスをした奴はクビにして自分がその仕事を引き継いで人件費を削れ。花丸重工の株主が満足する経常利益を得るにはそれしかない。考え方を変えることが肝心だぞ」
今までの経験が全く役に立たなくなるだけではなく、ひどいことが始まるのではないかという予感がした。庶務課に行き、退職金や厚生年金関係の説明を受けた。造船ドックの見える庶務課の窓から黄砂にかすむ対岸の町が見えた。
引継ぎ書類の作成に追われて毎晩退社は十時過ぎになった。海岸沿いの帰宅の道を歩いていると突然、運命への理不尽な憤りが胸を満たした。港に響く汽笛は、不遇の身を嘲笑うかのように耳を打った。黒い水面に映る街の灯が滲み、擬装用クレーンの雄々しい姿は手を伸ばしても届かぬものになっていく。
翌月第一月曜の朝、対岸にある株式会社花丸倉庫に初出勤し、花丸倉庫株式会社社長から経営状況の説明を受けた。社長は英国製のグレーのスーツを着た白髪の老人だった。
「弊社は花丸重工の子会社として長年倉庫業を営んでまいりましたが、シナジー効果を得るため多角経営に乗り出しました。船舶代理店を九十年に始め、二〇〇八年からは通関代理店を始めました。申請行為の代行業です。小野寺さんは常務取締役として定款の一翼を担って頂き、通関代理店部の担当役員になって頂きます。よろしくお願いします」
新しい職場は戦前に建てられた薄汚いビルディングの三階にあり、わびしいた佇まいだった。この港町はかつて軍港として栄えていたが、戦後は寂れる傾向にある。
通関代理店と言う仕事は貿易に係る税関や検疫への申請行為を代行するのが業務だということだ。今までやってきた仕事とは無関係なのでやる気がしない。
部下は二名だけだ。課長の谷口は花丸重工からの天下り組だ。谷口は出勤するとすぐスポーツ新聞を読み始め、昼休みには倉庫から缶ビールをくすねて飲んでいた。
「この会社は船用品も扱っていて外航船に積み込むビールは無税だから一本百円なの。飲まなきゃ損でしょ」と、うすら笑いを浮かべていた。
通関代理店なんかどうせただの代書屋だ、と軽口を叩き、机の上の箱が書類でいっぱいになると、部下の課長代理の山際の机に持っていった。
「おれは英語わからないからやっとけ」と言った。
山際は若い大卒の貧弱な小男で、暗い顔で黙々と働いていた。学校でいじめられるタイプのやつだ。
株式会社とは行っても公開株式ではないから株主総会は身内のようなものだ。参加者の半分を占める花丸重工の重役が「意義ナーシ」と叫んで終わりである。 取引銀行に言われて仕方なく株式をつかまされた水産会社社長は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
夏になり入道雲がわきあがる季節になった。社長が役員全員を社長室に集めて無表情に言った。
「今年もお中元の時期がやってまいりました。例年通りお願いします」と現金の入った茶封筒を配り始めた。親会社の花丸重工役員にガン首そろえて現金を配りに行くのである。
花丸重工の役員は、当然のごとく、列をなした子会社の役員から封筒を受け取っていた。うちの会社だけで一人数十万円受け取る、ということは子会社が九社以上ある。その先は考えないようにした。
毎晩のように花丸重工の接待に駆り出された。かつての部下から飲み代を花丸倉庫の経費で落とすことを高飛車に要求された。
花丸重工副社長のアメリカ人がプライベートジェットでの深夜に空港に到着した時は、呼び出されて車の運転とカバン持ちだ。別会社なのにこんなことまでやらされるなんて。
関税法は複雑でわかりにくい。税関の主催する講習会に出席して勉強しようにも、毎日本社の雑用に駆り出され、受講できない。憂さ晴らしはビールである。夕方から役員会議と称して天下り組が集まり、倉庫に隠れてビール、ビール。
船舶代理店部担当の役員の藤原は大学相撲部出身で元大相撲の序二段でもある。力仕事が大好きで船用品の積み込みのときだけは張り切るのであったが、その他の仕事はほとんどしなかった。倉庫飲み会が始まるといつのまにか現れて誰よりも多く飲んでいた。
「おお、常務! 今日は三役そろい踏みですね。ご相伴させてください。がははは!」
この飲み会に気付いた山際がおずおずと口を出した。
「あのう、税関の抜き打ち検査でもし保税貨物の数量が合わなかったら、関税法違反容疑で業務停止処分がでてしまいます。ビールを盗み飲みするのは止めていただけないでしょうか」
谷口課長はいきなり缶ビールを山際の顔に叩きつけた。
「盗み飲みとはなんだ! 小野寺常務様が良いと言っているんだ。税関をごまかすのがお前の仕事だ! わかったか!」
翌月、花丸重工の監査役員の母親が亡くなった。花丸倉庫株式会社の役員一同が通夜に赴いた。「弥勒菩薩」というあだ名のこの役員は、通夜の会場の隣のホテルのスイートルームを借り切り、子会社及び社員から香典を集めていた。彼は封筒の重さで中身の金額が正確に分かった。
「母は戦争中もぼくを大切にしてくれました。今日のぼくがあるのは母のおかげ、皆さんがあるのは母のおかげです。それなのにずいぶんと軽い封筒ですね。たったの五十万円ですか。御社の本心がわかるようです。業績を上げて資本家に報いる気持ちが無いでしょう? 世の中キレイごとだけではないということをせいぜい後でご理解くださいよ」
ソファーにふんぞり返り、血色の良い丸い顔に細い目をさらに細めて言い放った。
「小野寺君、おめでとう。君は四十代の若さで重役だ。花丸重工株式会社社長も夢ではないぞ」
左脇に立っている二名の副社長が拍手をした。
提示されたのは、子会社の花丸倉庫株式会社への出向だった。肩書は常務という立派なものだが明らかな左遷である。頭の中が真っ白になり、話が耳に入ってこなかった。
私は八十年代に有名大学の工学部を卒業して資本金二千億円以上の大企業、花丸重工業株式会社に就職した。定年後まで前途洋々の人生が広がっていると親戚、友人、そして知らない同郷の人たちからも賞賛された。思えば我が世の春だった。
造船技師として二十五年勤めて、この年に課長に昇進してから半年後のことだ。韓国企業に受注で負けたのが響いたのだろうか。それにしても一度の失敗でどん底に突き落とされるとは。
「給料は今より下がるが、成果を出して株主総会で承認されれば給料は青天井だぞ。君の能力なら絶対に大丈夫だ。がんばってくれ」とのこと。
ガリガリに痩せた青白い副社長が廊下の物陰に私を呼び出して、蛇のように首をくねらせながら声を潜めて言った。
「わかっていると思うが念のために言っておく。もはや高度経済成長は終わった。バブル経済は崩壊した。長時間労働でがんばれば誰でも成果を出せる時代は終わった。本社に戻りたかったら覚悟を決めろ。本社に利益を還流させろ。鬼になってあの会社を食い物にしろ。子会社の社員を人間と思うな。若い奴らは徹底的に搾り取れ。少しでもミスをした奴はクビにして自分がその仕事を引き継いで人件費を削れ。花丸重工の株主が満足する経常利益を得るにはそれしかない。考え方を変えることが肝心だぞ」
今までの経験が全く役に立たなくなるだけではなく、ひどいことが始まるのではないかという予感がした。庶務課に行き、退職金や厚生年金関係の説明を受けた。造船ドックの見える庶務課の窓から黄砂にかすむ対岸の町が見えた。
引継ぎ書類の作成に追われて毎晩退社は十時過ぎになった。海岸沿いの帰宅の道を歩いていると突然、運命への理不尽な憤りが胸を満たした。港に響く汽笛は、不遇の身を嘲笑うかのように耳を打った。黒い水面に映る街の灯が滲み、擬装用クレーンの雄々しい姿は手を伸ばしても届かぬものになっていく。
翌月第一月曜の朝、対岸にある株式会社花丸倉庫に初出勤し、花丸倉庫株式会社社長から経営状況の説明を受けた。社長は英国製のグレーのスーツを着た白髪の老人だった。
「弊社は花丸重工の子会社として長年倉庫業を営んでまいりましたが、シナジー効果を得るため多角経営に乗り出しました。船舶代理店を九十年に始め、二〇〇八年からは通関代理店を始めました。申請行為の代行業です。小野寺さんは常務取締役として定款の一翼を担って頂き、通関代理店部の担当役員になって頂きます。よろしくお願いします」
新しい職場は戦前に建てられた薄汚いビルディングの三階にあり、わびしいた佇まいだった。この港町はかつて軍港として栄えていたが、戦後は寂れる傾向にある。
通関代理店と言う仕事は貿易に係る税関や検疫への申請行為を代行するのが業務だということだ。今までやってきた仕事とは無関係なのでやる気がしない。
部下は二名だけだ。課長の谷口は花丸重工からの天下り組だ。谷口は出勤するとすぐスポーツ新聞を読み始め、昼休みには倉庫から缶ビールをくすねて飲んでいた。
「この会社は船用品も扱っていて外航船に積み込むビールは無税だから一本百円なの。飲まなきゃ損でしょ」と、うすら笑いを浮かべていた。
通関代理店なんかどうせただの代書屋だ、と軽口を叩き、机の上の箱が書類でいっぱいになると、部下の課長代理の山際の机に持っていった。
「おれは英語わからないからやっとけ」と言った。
山際は若い大卒の貧弱な小男で、暗い顔で黙々と働いていた。学校でいじめられるタイプのやつだ。
株式会社とは行っても公開株式ではないから株主総会は身内のようなものだ。参加者の半分を占める花丸重工の重役が「意義ナーシ」と叫んで終わりである。 取引銀行に言われて仕方なく株式をつかまされた水産会社社長は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
夏になり入道雲がわきあがる季節になった。社長が役員全員を社長室に集めて無表情に言った。
「今年もお中元の時期がやってまいりました。例年通りお願いします」と現金の入った茶封筒を配り始めた。親会社の花丸重工役員にガン首そろえて現金を配りに行くのである。
花丸重工の役員は、当然のごとく、列をなした子会社の役員から封筒を受け取っていた。うちの会社だけで一人数十万円受け取る、ということは子会社が九社以上ある。その先は考えないようにした。
毎晩のように花丸重工の接待に駆り出された。かつての部下から飲み代を花丸倉庫の経費で落とすことを高飛車に要求された。
花丸重工副社長のアメリカ人がプライベートジェットでの深夜に空港に到着した時は、呼び出されて車の運転とカバン持ちだ。別会社なのにこんなことまでやらされるなんて。
関税法は複雑でわかりにくい。税関の主催する講習会に出席して勉強しようにも、毎日本社の雑用に駆り出され、受講できない。憂さ晴らしはビールである。夕方から役員会議と称して天下り組が集まり、倉庫に隠れてビール、ビール。
船舶代理店部担当の役員の藤原は大学相撲部出身で元大相撲の序二段でもある。力仕事が大好きで船用品の積み込みのときだけは張り切るのであったが、その他の仕事はほとんどしなかった。倉庫飲み会が始まるといつのまにか現れて誰よりも多く飲んでいた。
「おお、常務! 今日は三役そろい踏みですね。ご相伴させてください。がははは!」
この飲み会に気付いた山際がおずおずと口を出した。
「あのう、税関の抜き打ち検査でもし保税貨物の数量が合わなかったら、関税法違反容疑で業務停止処分がでてしまいます。ビールを盗み飲みするのは止めていただけないでしょうか」
谷口課長はいきなり缶ビールを山際の顔に叩きつけた。
「盗み飲みとはなんだ! 小野寺常務様が良いと言っているんだ。税関をごまかすのがお前の仕事だ! わかったか!」
翌月、花丸重工の監査役員の母親が亡くなった。花丸倉庫株式会社の役員一同が通夜に赴いた。「弥勒菩薩」というあだ名のこの役員は、通夜の会場の隣のホテルのスイートルームを借り切り、子会社及び社員から香典を集めていた。彼は封筒の重さで中身の金額が正確に分かった。
「母は戦争中もぼくを大切にしてくれました。今日のぼくがあるのは母のおかげ、皆さんがあるのは母のおかげです。それなのにずいぶんと軽い封筒ですね。たったの五十万円ですか。御社の本心がわかるようです。業績を上げて資本家に報いる気持ちが無いでしょう? 世の中キレイごとだけではないということをせいぜい後でご理解くださいよ」
ソファーにふんぞり返り、血色の良い丸い顔に細い目をさらに細めて言い放った。
作品名:花丸重工株式会社の天下り大作戦 作家名:花序C夢