交わる平行線
最初は、その思いから、
「息子を助ける」
という親バカに走ってしまったのだろうが、そのバカ息子は、親の常識をはるかに超えた、
「常軌を逸した」
といってもいい、とんでもないやつだったのだ。
そもそも、半年間で数回も繰り返すというのは、異常以外の何物でもない。
それを考えると、
「今まで、殺人がなかったのは、運がよかっただけだ」
ということであった。
しかし、やってしまったものは仕方がない。
「毒を食らわば皿まで」
ということで、
「ここまでやってしまったのだから、徹底的に隠すしかない」
ということになる。
そうなれば、一番の問題は、
「いかに、殺人を隠すか?」
ということであった。
その女をいかに片づけるかということで、彼女が死んだのは、ビルの屋上で暴行されたのだが、その時、彼女は、男に?みついたのだ。それで男が逆上した。
それまでは、暴行はするが、
「出してしまうと、あとは賢者モードになるだけ」
ということで、おとなしかったのだが、噛まれてしまったことで、元々急に狂暴になるという、それこそ、
「オオカミ男」
のような性格だった。
犯行を隠そうと考えた方は、その
「オオカミ」
という特性から、
「オオカミ少年を作り出して、それで、事件を隠蔽しよう」
と考えたことでできたのが、今回の、
「オオカミ少年」
という存在の捏造だったのだ。
しかし、
「神様というのは存在するというものか」
ということで、犯人側とすれば、
「息子の犯行は、実際には4回だ」
と認識していた。
しかし、警察が知る限りでも6回ということで、犯人側も少しおかしいと感じていたようだが、
「息子が助かりたい一心で数をごまかした」
とは思えない。
今さら、
「4回が6回だったとしても、どこに差があるというのか?」
ということであり、実際には、犯人を模倣することで、
「自分が捕まることはない」
と考えていた、
「犯人の上前を撥ねる」
というような男が存在したのだ。
しかも、そいつが、実際に、
「表に見えるところで、殺人にまでは至らなかったが、婦女暴行による傷害事件」
というものを起こしてしまったのだ。
そして、ここからが偶然なのだが、なんと、犯人が隠したい場所でのナイフでの、殺人未遂ということで、血が大量に流れたことで、その血液に、あわやくば、犯人の血液がついていないか?」
ということで調べると、そこには、数日前に足を踏み外したことで、飛び降りたことになった女性の血がついていたというのだ。
せっかく、隠そうとしたことが、その事件で、水の泡となってしまった。
しかも、逆に、
「冷静に推理をすることで、犯人が誰なのか?」
ということを突き止められるところまで来てしまうのだ。
「余計なことをしなければよかった」
ということになるのだろうが、そもそも、
「この事件では、最初の時点で自首していれば、こんなことにはならなかった」
ということで、実際には、
「もう途中でやめることはできなくなってしまった」
といってもいいだろう。
さすがに、警察がそこまでわかっているということで、何とか隠蔽を考えた犯人たちも、
「もはやこれまで」
と思ったのだろう。
佐久間刑事の推理から、いろいろな、
「裏付け捜査」
となることが行われると、実際に、
「推理を証明するような事実ばかりが見つかった」
ということだ。
こうなってしまうと、もう。
「推理の域ではなく、事実である」
ということから、今度はその、
「事実を組み立てて、一つのストーリーを作りあげると、そこにあるのは、佐久間刑事による推理そのものだった」
ということだ。
だから、そうなると、
「事実の積み重ねが真実になる」
ということで、
「交わることのない平行線が交わった」
ということで、それこそが、真実となったということであった。
だから、犯人側とすれば、すでに覚悟はできていたので、佐久間刑事が、
「事情を伺いに」
といってきた時、
「私どもがやりました」
ということで、一気に自白をしたのであった。
それも、佐久間刑事としては織り込み済み。
事件というのが、
「一つのきっかけがあって、実際の犯人の心境になり、犯人の目的や、そのメリットから、事件の全体像を掴む」
ということから、成り立っていると思うと、
「ここまで早く事件というものが解決するのだ」
ということになるのだろう。
それを考えると、
「今回の事件は、隠そうとすることが、逆に事件解決につながった」
ということで、
「タナボタと言ってしまえば、大げさだが、それに近い事件だった」
といえるのではないだろうか?
それともう一つ、
「オオカミ少年」
である鳴海青年が、
「実にできすぎたキャラクターだった」
というのも、犯人側の誤算だったということになるに違いない。
( 完 )
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