居なくなった人たち
その9
数年間のあたふたしながらの子育てに私は我を忘れていた。
新聞記事を見て訪ねた広島ではフリースクールの方々の温かいケアで次女は次第に自分を取り戻し、高校へも入学できた。
私は軽自動車で四国から広島へ渡り何も怖いものはなかった。
ただ子供が少しでも進学への意欲が出るのをひたすら待ち望んでいた。
家族こぞって次女に集中するなか、長女はひとりで東京の大学に入学しアルバイトもしたりしていた。なんでもやれる子だと思って放任状態だったので好きなことをやっていたようだが、どうにか卒業できた。