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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年6月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。

                 プロローグ

 昔の探偵小説を読むのが、最近の趣味になっている小笠原幸一だったが、その趣味を教えてくれたのが、祖父だった。
 祖父は、60代後半で、よく昔の話をしてくれる。時代はもちろん昭和時代のことで、その話を聞いていると、まるで、自分が昭和を生きているかのように感じるのだった。
 実際に昭和の時代というと、それこそ、歴史の教科書に載っているだけで、下手をすれば、大きな事件であっても、数行で書かれているに過ぎない程度だった。
 だから、小笠原は、気になることがあれば、本を買ってきたり、ネットで調べたりしていた。
 小笠原は、今年二十歳になる大学三年生で、まだ、青年といってもいい年齢で、祖父から見れば、
「大学生はまだまだ子供」
 といっていたが、
「それも昭和の考えではないか?」
 と小笠原が感じたのは、
「成人年齢の引き下げ」
 というものがあったからだ。
 それまで、民法でも刑法でも、
「満二十歳を成人」
 ということで、
「成人の日は二十歳」
 ということであったが、数年前に法律の改正があり、今では、
「18歳というものが、成人」
 ということになったのだ。
 もちろん、すべて二十歳だったものが引き下げられたわけではない。
「喫煙、禁酒などは、今まで通り、二十歳になってから」
 ということであった。
 それは考えてみれば当たり前のことであり、肉体的なことを考えてのことであろう。
 そもそも、成人年齢が引き下げられたのには、いろいろな理由があり、
「少年犯罪の残虐さ」
 などから、
「もっと若い年齢に、キッチリとした刑罰を負わせなければならない」
 ということも、その大きな理由であろう。
 しかし、本当の理由は、
「選挙権を与えることで、選挙への参加者を増やすということが一番の目的だと言われる」
 ただ、選挙権を与えたからといって、皆が皆選挙にいくわけではない。
 逆に、今まで未成年だった人が、最初こそ、興味本位で選挙に行くだろうが、今の時代のように、
「どこの政党が政権を握ろうとも、誰が首相になろうとも、変わりはない」
 ということだ。
「だったら、誰が選挙になどいくものか」
 と思うだろう。
 それだけ、
「若者の選挙離れ」
 というのが顕著であるか?
 もっと言えば、
「選挙にいかないのは若者だけではなく、働き盛りの人たちにも言えることで、暇な高齢者しか、選挙にいかない」
 というのは、今に始まったことではない。
 特に、
「政権与党」
 とすれば、
「投票率が下がる方がありがたい」
 と思っている。
 なぜなら、
「投票率が下がるほど、政権与党に有利だ」
 と言われているからだ。
 というのは、
「政権与党には、少なからずの組織票がある」
 ということである。
 つまりは、
「投票率が下がるといっても、組織票は必ず帳票するのである。しかも、その先は、政権与党である。だから、全体の投票率が下がると、組織票以外が少ないということであり、そこから、野党に流れる票など、ほとんどない」
 ということだ。
 そもそも、
「支持率が低いから、野党なのであって、野党が束になったとしても、組織票鬼はかなわない」
 ということだ。
 確かに、
「政権与党」
 というのは、最低最悪ではあるが、それでも、
「野党にやらせるよりマシだ」
 というのが、国民の総意である。
 それだけ、
「かつて、一度やらせてみると、これほど最悪なことはなかった」
 ということで、国民は、こりごりしているのであった。
 しかも、その時は、
「政権与党」
 が、
「国民の年金を消す」
 という、
「呆れ果ててものが言えない」
 ということをしでかした時、その時の野党は、今と違って、かなり力もあったし、与党の茶番で、追い風だったことで、
「これで日本はよくなる」
 とまで期待はしていないだろうが、少なくとも、
「新しい風」
 ということか、政権与党に対して、
「お灸を据える」
 という意味で、やらせてみてもいいだろう。
 ということだった。
 しかし、蓋を開ければ、
「公約違反の山」
 だったのだ。
 あれだけ恰好のいいことを国民に言って、
「いかにも自分たちが腐った日本を変える」
 などといっていたくせに、
「衆院選までの一期の間に、ソーリが何人も変わった」
 ということで、
「政権与党に、お灸を据える」
 ということすらできず、またしても、
「野に下る」
 ということになったのだ。
 当然のごとく、
「元の政権与党が返り咲く」
 ということになり、
「一期とはいえ、さすがに、お灸を据えることができただろう」
 と思っていたが、相変わらずであった。
 しかも、さらにひどくなっていて、ソーリに選出された男は、
「金と疑惑」
 というものにまみれ、一応、それでも国民からの人気はそれなりにあったことで、賛否両論ある中、
「結局、ソーリはこいつしかいない」
 ということで、世の中は、
「金と疑惑にまみれたソーリ」
 に委ねられることになったのだ。
 その間、
「野党は何をやっていたのか?」
 というと、
「国会では、与党の重箱の隅をつつくようなやり方で抗議をして、内閣不信任案などを提出はするが、だからといって、その代替え策があるわけではないので、不信任案が可決できるわけもなく、無駄な時間を過ごす」
 というだけのことだったのだ。
 そんな時代が、まるで、デジャブのように繰り返されるだけで、まったく政治はよくはならない。
 今の時代は、
「早くソーリが変わってほしい。こいつさえ変われば、まだまだ何とかなる」
 というほどの、最悪ソーリのオンパレードであるが、実際に、ソーリが変わると、
「前の方がよかったんじゃないか?」
 ということになり、
「だったら、とりあえず、ソーリの交代を促すわけではなく、任期満了までさせてみるか?」
 ということになるわけで、だから、今のソーリは、一応、
作品名:交換による解決 作家名:森本晃次