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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Clincher

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 こんなぺらぺら喋っていいのか分からないが、西田さんの距離感はかなり近く、駅までの徒歩五分の距離は、余すことなく有効活用されそうな気がした。本音を言うと、佳純ちゃんとはいい関係でいたいし、室田家についてもうちょっと知りたいというのもある。西田さんは私の関心アンテナが起動しているのを察知したのか、目を光らせた。
「あなたの前にも、家庭教師の方が来ていてね。いつも難しい顔をして駅まで歩いていくものだから、彼女には声はかけられなかったんだけど」
 それは、勝野先輩だ。高校時代にコンビニのバイトで鍛えられている陽キャのはずだけど、彼女をそんな難しい顔にさせるなんて、室田家も大したものだ。
「交替になって、私がお邪魔してる感じです。今で、二ヶ月半ぐらいです」
「そうだったの、同じところから来てる先生なのね。あの家の子は、頭の回転が速くてね。佳純ちゃんは特に」
 西田さんは懐かしむように言ってから、懐かしみすぎて要らないことまで口走ってしまったのか、少しバツが悪そうな顔をした。確かに、私もその言い回しが気にかかった。佳純ちゃんが特に頭の回転が速いのなら、そうでもない誰かがいるのだろうか? 西田さんは気まずさから勝手に解放されたように、息を吸い込んでから続けた。
「あそこは、複雑なのよ。室田さんは早い内に離婚して、女手ひとつで家を守ってるから。でも、二年前だったかな、お姉ちゃんが家出しちゃってねえ。まだ、中学生に上がったばかりだったと思うんだけど」
 西田さんは、話題を引っ込めるのではなく、暴走モードに切り替えることで乗り切ろうとしている。私は、勝野先輩が難しい顔ではねのけてしまった室田家の個人情報を頭にインプットしながら、少しだけ歩く速度を上げた。これだけ聞いてしまうと、次の授業はだいぶ気まずい。
「佳純ちゃんが今六年生だから、三歳ぐらい年上ですか?」
「そう、それぐらいだったかな。挨拶もできて、感じのいい子だったけどねえ。ああ、でも最後に見たときは、髪もちょっと染めてたし、反抗期だったのかな」
 佳純ちゃんも中学校に上がったら、もっと扱いが難しくなって、室田家から飛び出そうとするのだろうか。例えば、悪い友達に誘われたりして。もしかしたら、今もそういう友達がいるのかもしれない。教えるようになって一ヶ月ぐらいが過ぎたときに、同じクラスに友達がいるか、聞いたことがある。佳純ちゃんは『いない』と答えたけど、私の参考書に『宇土里美』と書いた。そうやってこっそり教えてくれるということは、公然の仲ではないのかもしれない。
 だとしたら、宇土里美が佳純ちゃんにとっての『非行の入口』になったり、そういうこともあるのだろうか。どことなく後ろめたい時間だけど、聞けば聞くほど、室田家は興味深い。というより、人の話だから面白いのだろう。西田さんなら、私のストーカー被害の話だって、喜んで完食してくれそうだ。
「私、ストーカー被害に遭ったことがあって……」
 小声でそう切り出したとき、西田さんはスーパーの入口で友達らしき老婦人と手を高速で振り合って合流し、私の言葉を全て聞き逃したまま、ぺこりと頭を下げた。私は同じように頭を下げると、駅までの道のりを急いだ。何となく聞いてもらえるかもと思ったけど、こういうのはタイミングが全てだ。それより、今日は塾の『本部』に戻り、交通費を精算して新しい参考書を引き取るというミッションがある。
 電車に滑り込んだ私は、なんとか十九時ちょうどに太田進学の入居するビルに辿り着き、影で『ガクチョー』と呼ばれている、ただの講師アルバイトリーダーに声を掛けた。
「お疲れさまです、関さんいますか?」
 ガクチョーはうなずくと、事務室を指差した。そっちへ向かおうとすると、ちょうど目の前の教室で授業が終わり、ぞろぞろと生徒が出てきたところだった。最後の方に出てきた富川くんが、ぴょんと飛んで手を振った。
「あー、井佐先生」
「富川くん、久しぶり」
 彼が属するのは、佳純ちゃんと同じ進学Sコース。臨時でひとコマだけ受け持ったことがあるが、複数人から一気にレベルの高い質問を受けていると、戦っている気分にすらなった。でも、富川くんは臨時講師の私が気に入ったらしく、六年生に上がっても恥ずかしがらずに話しかけてくれる。
「先生、どうしてここに?」
 富川くんは、かしこまった口調で眼鏡をくいっと引き上げてから言い、私は思わず笑った。
「それは、ここでバイトしてるからだよ」
「もう、臨時で入ったりしない?」
 そう言う富川くんが、まるで権限があるように腕組みして回答を待つ姿を見ていると、申し訳ない気持ちになった。
「入りたいね。私の実力が間に合うかな」
「今って、カテキョに行ってるんだよね?」
「そう、女の子を受け持ってる」
 私がぼかして言うと、富川くんは首を傾げた。
「あれ、室田さんじゃないの?」
「どうして分かるの?」
「生徒の名簿に載ってるから。来てないのは二人いて、竹田は男だから、消去法だと室田さんしかいないじゃん」
 富川くんが早口で話す様子を見ていると、この子たちは目の前に見えること全てが『設問』で、それを常に解いているのだということを思い知らされる。
「名探偵、トミー」
 私が言うと、富川くんは体を揺すって笑った。
「何それ、なんかドジそうなんだけど。そっかー、室田さんかあ。あいつ、学校だとめちゃくちゃ静かなんだけど、家だとどんな感じなの?」
 室田さんは、富川くんと同じクラスだ。やはり、学校では静かなんだろう。
「普通の女の子だよ。私の子供時代に、ちょっと似てるかも」
 そう答えたとき、ふと宇土里美の名前が浮かび、非行の入口のことを思い出した私は、言った。
「そうだ、宇土さんって人、クラスにいる?」
 富川くんは首を傾げた。
「ウド? 宇宙の宇に、土? そんな名字のやつ、いないけど。うちのクラス、あ行は安達と岡田だけだよ」
「そっか。じゃあ、私の聞き間違いだな」
 私は、畳み切れない語尾をどうにかしまいこみたくて、一旦事務室の方に首を振ると、富川くんに向き直って笑いかけながら、言った。
「関さんに用事があってさ。んじゃね」
 経理の関さんは、髪の張力を試すみたいに後ろでパツパツにくくっている三十代の女の人で、正直苦手だ。前も、私が着ているシャツの袖がしわ加工になっているのを見て、何ひとつ気に入らないみたいな顔をしていた。つまり、全部限界までパツパツに張らないと気が済まないタイプだ。事務所のドアをノックすると、『はーい』と張りのある返事がドアを貫通してきて、私は深呼吸してから中へ入った。関さんはいつも通りデスクの後ろにいて、椅子の位置すら記憶の通り。デスクと向かい合わせに立つ後ろ姿は、勝野先輩だ。引継ぎのときに会って以来だから、二ヶ月半ぶりということになる。
「先輩、お疲れさまです」
 勝野先輩は振り返って、綺麗な歯並びを薄く見せながら笑った。
「おー、尚ちゃん」
 同じ笑顔を真似しようとして、心だけ優しいモンスターみたいにいびつな表情を作った私は、すぐ真顔に戻って経費精算書を関さんに提出した。勝野先輩は、私の顔をじっと見つめて、言った。
「先生って顔をしてる。室田さんは、どう? 馴染んできた?」
作品名:Clincher 作家名:オオサカタロウ