相性の二重人格
「世の中の善悪である」
ということを考えると、
「倫理の正体」
というのがどこにあるのか?
と考えた時、見つかる答えがどこにあるというのだろうか?
「近親相姦」
というものは、
「タブーだ」
ということになる。
戒律の中には、
「人を殺める」
ということも入っているわけで、その大きさとしては違うのかも知れないが、
「倫理」
という意味で、
「殺人と近親相姦というものは、同じタブーを犯していることで、罪の深さは同じではないか?」
ということになる。
だが、
「近親相姦をタブーだ」
といっているのは、どこからきているのか、正直分からない。
というよりも、
「れっきとした理由」
つまり、
「動かぬ証拠」
のようなものが存在しないといえるのではないだろうか?
「結婚したい」
といっている郁美がなぜ、葛城に身体を任せる気になったのか?
そのことを葛城は考えていた。
葛城は、そこに何かの意図があると思い、郁美を抱いた。
いや、そんな恰好のいいことではない。性的欲求に負けたのだ。郁美の身体は、想像していたよりもふくよかで、まったりとした余裕で、葛城を受け入れてくれた。
最初に静香に感じた思いと変わらない、いや、郁美の身体が想像以上だった分だけ、ふくよかだったといってもいいだろう。
ということは、
「静香の身体が、今まで想像していた郁美の身体と同じだったということになる」
それを思えば、葛城の中で、一つの結論が芽生えた気がした。
「性的欲求というのは、ほぼ、想像にたがわぬだけの違いはない。そこに違いがあるとすれば、容姿の見た目であったり、相手の人間性というものだ」
ということである。
つまり、相手の人間性というものは、
「プラスアルファでしかない」
ということであった。
だが、それが大切なのである。郁美にはそのプラスアルファがあった。そして、それが、
「相性」
というものではないかと感じたのだ。
つまり、
「身体の相性」
というのはもちろんのこと、
「精神的な相性」
というのも、あるわけで、それが、身体の相性を超越したものとなるだろう。
「お互いの気持ちが分かる」
ということもその一つであり、そこには、
「いい相性」
というものもあれば、
「悪い相性」
というものもある。
「いい相性」
というのは、身体が触れ合った時、
「まるで電流が走ったかのように感じる」
ということもあるだろう。
それこそ、身体が触れた瞬間に、
「昇天してしまった」
というほどの快感を得ることができる場合である。
しかし、
「悪い相性」
というのは、
「相手の考えていること、感じていることが、分かりすぎる」
ということから、
「知りたくもない」
ということまで分かってしまう場合で、それを、
「嫉妬」
という形で、相手にぶつけ、お互いに、
「精神的な感情」
と、
「肉体的な共鳴」
とが、
「噛み合わなくなってしまうことではないか?」
と考えるのだ。
しかも、その、
「いい悪い」
と言われる相性が、一組のカップルの中で共存している。
つまりは、
「相性の二重人格」
とでもいうようなことになるのではないか?
ということであった。
大団円
郁美が、
「結婚したい」
と言い出した相手というのは、実は柳生だった。二人は、確かに友達としての関係をっ許していた。それは、
「柳生であれば、まさか、郁美に手を出すことはないだろう」
という、自分でも意味不明な、
「上から目線でだった」
といってもいい、
しかし、結局は男女の問題。そこに、第三者の力関係は存在しないといってもいい。
郁美が柳生のどこに惚れたのかは分からない。しかし、郁美にとって、柳生がどんどん大きな存在になっていったに違いない。
しかし、そこには、葛城の兄としての存在があり、二人の間に、
「兄妹関係というものを越えた何かが存在している」
ということを柳生は感じていたことだろう。
郁美はそれをごまかすためなのか、自分でも分からない感情を、
「愛情だけは、葛城だけに」
と思っていたに違いない。
だから、郁美は、今まで変わらない愛情を、葛城に向けていたのだろう。
それでいて、
「血がつながっている」
ということに、
「ずっとジレンマと苦しみに喘いでいた」
ということだったのだろう。
しかも、
「愛しているがゆえに、相手のことを必要以上に分かってしまう」
それが、
「血のつながりによるものだ」
と思い込んでしまい、最終的に、
「あきらめるしかない」
と思ったのだ。
そこにもってきて、
「お兄ちゃんは、童貞じゃあなくなったんだ」
と考えた。
「最初は私だったのに」
という思いであった。
実は、郁美も処女だった。
「自分の最初は、兄に」
という気持ちが強かったのだ。
付き合っている人がいたのは、あくまでも、
「男性というものの、精神的な感情を知りたい」
という思いからだった。
つまり、郁美という女は、まだまだ少女であり、ただ、その少女のまま、精神はしっかり大人になっていたというわけだ。
だから、葛城が、自分と母の間で揺れているということも分かっていた。何といっても、
「母とだけは血がつながっていない」
ということからである。
しかし、もし、葛城が、母親になびくようなことがあれば、それは、郁美にとって、
「許しがたい」
そして、
「とても容認できることではない」
ということから、
「我慢できない」
と考えるだろう。
そう感じてくると、それまで、
「一番近くにいたはずの兄が、一番遠くに感じられる」
と思うようになる。
その思いが結局、
「限りなくゼロに近い」
という感覚になってくるのだ。
それは、
「決してゼロにはならない」
という感覚であり、ひいては、
「無限ということを意味している」
ということになるのであった。
そもそも、葛城は、
「郁美に誰か気になる男性がいる」
ということを分かっていたのかも知れない。
だから、義母のことが気になってしまい、
「郁美に対しての感情」
というものを、自分の中で確かめたいという感覚から、
「義母への愛情だったのではないか?」
と考えるようになったのだろう。
しかも、
「血のつながりがない」
という感覚は大きく、ただ、
「父親の奥さん」
という相手を愛してしまうのは、倫理的には、
「アウト」
ということである。
それこそ、
「精神的なモラル違反」
ということである。
だが、今回、葛城は、
「肉体的なモラル違反」
を犯してしまった。
しかも、親友といってもいい柳生が結婚を考えている女に対してである。
もう、葛城の頭の中は、感覚的なものがマヒしていた。
二重人格であることも自分で分かっている。
「ジキルとハイド」
のような、正反対が共存する二重人格である。
そもそも、
「二重人格」
と呼ばれるものは、
「ジキルとハイド」
のような正反対の性格でないと成り立たないのかも知れない。
では、
「相性の二重人格」