相性の二重人格
という具合な展開になってきたのだった。
「本気なのか?」
と葛城は言った。
葛城とすれば、
「こんな時に、男がいう言葉は決まっている」
と思っていた。
「妹であろうが、望まれて拒む気持ちはない」
ということであった。
だから、
「本気なのか?」
という言葉日なったわけで、しかし、こんな時に、妹が、
「いいえ」
という可能性は、
「限りなくゼロに近い」
と思った。
あくまでも、限りなくということであり、ゼロではないのだが、それは、
「全体の可能性を考えてということであり、二人の間に存在する可能性の中で、ゼロというのはありえない」
ということであった。
すっかり、葛城は、
「血のつながった妹を抱く」
ということを頭の中で正当化していた。
「近親相姦になるじゃないか?」
というのは、この場合には関係はない。
「そもそも、妊娠しないようにさえすればいいだけで、元々、モラルに反している兄妹だ」
ということを考えれば、
「子供が生まれないように、避妊さえしていればいい」
と考えるのだ。
それよりも、
「妹が、抱かれたい」
ということで覚悟を決め、それを相手が拒むということであれば、
「覚悟を壊した」
ということであり、せっかく、覚悟をした彼女の神経を蝕むことになるのではないか?
と考えられるのである。
「そんなことは俺にはできない」
と、恰好はいいが、葛城としても、
「そもそも、血がつながっていない」
ということで、
「恋愛感情を抱いていたことにウソはない」
と思っていたのだ。
もっとも、もし、葛城がまだ童貞だったとすれば、
「血のつながった妹を抱く」
という発想にはならなかっただろう。
「大人になりたて」
といってもいい葛城であるが、
「好きな相手を、感情で抱く」
ということのどこが悪いというのか?
確かに、
「近親相姦」
というのは、
「モラル、倫理的に悪いことだ」
ということになるのだろうが、
「子供ができなければいい」
という考えがあってもいいのではないだろうか?
そもそも、近親相姦の何が悪いというのか、その理由は、
「子供」
ということしか考えられない。
「生まれてくる子供に、身体障碍を持った率が高い」
ということから、近親相姦というものを否定しているようだが、実際には、
「近親相姦が悪いことだ」
という、何か生理学的な意味以外で、
「例えば、政治的なこと」
あるいは、
「民俗学的に血が混じるのがまずい」
ということなのか、それは、それこそ、
「社会通念上」
ということの問題を考えて、
「近親相姦はいけない」
ということを。
「いかなる理由で、世間に認めさせようとするか?」
ということを考えると、
「血の交わり」
ということと、
「宗教的な観点として、モラルや倫理に訴える」
ということになると思えば、
「一部の君臨する人たちにとって、国家を収めていくために、自分たちの都合のいい理屈に仕上げるために、近親相姦というものが、悪いことであり、それは間違っていることである」
と考えるように仕向けているとすれば、
「何も怖がることはない」
ということで、
「法律で禁止はされているが、逆にいえば、それだけのことではないか?」
と考えてしまうのだった。
特に、葛城は、
「最近、童貞ではなくなった」
つまりは、
「肉体的に大人になったばっかりだ」
ということであった。
倫理の正体
ただ、葛城は、
「性的欲求」
というものが、
「想像していたよりも、低いのではないか?」
と考えるようになった。
というのも、
「そもそも、大人になるということが、肉体的なことと、精神的なことで違う」
ということは、理屈としては分かっていたが、経験がないということで、肉体的なことが分かっていないということで、中途半端な状態だった。
しかも、それを頭の中で分かっているということで、そのギャップがジレンマということになり、
「何が気持ちいいのか?」
ということに対して、渋滞している気分になっていた。
「分かっているつもりで、分かっていない」
ということが苦しみを与えるのであって、その感覚として感じたのは、
「静香という女性を好きになりそうなくらいの気分にはなったし、身体も気持ちがよかった」
というのは間違いではなかったが、それ以降で、あれから、2日後くらいだっただろうか、まだ、
「静香の余韻が身体に残っている」
と思っていた時、別に、
「女の子を抱きたい」
という気持ちだったわけでもなく、
「静香以外の女を抱きたい」
と思ったわけでもないのに、フラッと、別の店に寄ってみたのだった。
もし、何かを考えていたのだとすれば、
「静香以外のオンナを抱いて、どんな気持ちになるか?」
ということであっただろう。
この気持ちは、
「静香という女では満足できなかった」
ということからきているわけではない。
むしろ、
「静香がいい女で、自分と合うのではないか?」
と思ったことから、
「それを他のオンナを抱くことで、逆に立証したい」
というそんな気持ちからであった。
静香という女は、確かに、
「いい女であり、満足もさせてもらえた。しかし、それだけでは自分で納得がいかない」
もっといえば、
「身体だけの関係にはなりたくない」
という感情があった。
しかし、実際には、
「相手は風俗嬢」
金銭的な結びつきで、しかも、身体だけの関係でしかないということは、分かり切っていることだと言い聞かせるしかないと思っていた。
しかし、それを納得できない葛城は、自分の中で理屈を組み立てていた。
「確かに、金銭的なつながりで、時間をお金で買っている」
という感覚になり、
「その間だけの、疑似恋愛だ」
ということになるだろう。
では、
「本当の恋愛というのは、どういうことをいうのか?」
ということであり、それを考えると、
「結婚と恋愛は切っても切り離せない」
と思えてくるのだ。
「恋愛は結婚するための過程の中にあるものだ」
と思うのが普通である。
そして、恋愛をする中で、お互いに、身体を求めあうようになり、その中で、お互いの気持ちを話し合ったり、時には、喧嘩になったりして、深く知り合うということになるのであろう。
しかし、昔は恋愛結婚などというのは、考えられなかった。恋愛結婚というものが言われ始めたのは、敗戦となってからの、
「連合国に押し付けられた自由」
というものから生まれた感覚だといってもいいだろう。
昔であれば、
「許嫁」
というものや、
「政略家近」
などというのが主流だったではないか。
そういう意味では、1950年代くらいからといってもいいだろう。
しかし、
「成田離婚」
ということで、恋愛結婚などというものが崩壊に帰する時期に入ってくると、それが、
「昭和から平成への移り変わりの時期」
ということで、1990年代には、成田離婚が主流だった。
それを思えば、長く考えても、
「恋愛結婚が主流だった」