Vortex
二年生に上がって違うクラスになってからは、会う機会が減っていた。寧音は体育館の裏で携帯電話の画面を眺めていた。規則が厳しい学校に隠れて芸能活動をしているのは相変わらずで、背が伸びたから、大人のモデルみたいに手足が長い。かつては双子のようだと言われていたが、お互い違う方向に成長しているのは明らかで、今は近眼の人間が眼鏡を外していても、なんとなく違う人間だと気づくだろう。グループも少しずつ変化していき、違和感を隠しきれたのは、一年生の三学期が最後だった。お昼ご飯を一緒に食べる仲だったが、アイススケート会を挟んで翌週になったところで、別の女子からお昼に誘われた。竹川さんという誰にも人当たりのいいタイプで、寧音に申し訳ないと思ったけど、実際には寧音がわたしを傷つけないよう竹川さんに『お昼に誘ってほしい』とお願いしていたことが、後から分かった。そうやって『穏便』にグループが分かれてからは、かつてわたしがいた寧音の真横には、学年で成績トップの浦橋さんが収まった。浦橋さんがそこに座りたいと言えば、誰も逆らえない。そういうものだし、成績や属性別で区分が分けられるのは、よくあることだ。
寧音が器用に立ち回れるタイプだとは思っていなかったけど、いきなり仲間外れにされるよりは幾分かマシだったし、二年生に上がって違うクラスになってからは、そんなことも気にしなくてよくなった。
むしろ、常に顔を合わせなくていい分、会ったときは自然に話せるようになっていた。わたしは壁にかかった時計を見上げて、教室移動までの余った時間が五分ほどあることを確認してから、声を掛けた。
「ブッキー」
このあだ名で呼ぶのは、ついに自分だけになってしまった。寧音は顔を上げると、わたしに気づいて現実から解放されたみたいに頬を緩めた。
「美奈、移動ちゃうの?」
「先生が早目に切り上げたから、時間余ってさ」
わたしが言うと、寧音は携帯電話を手に持ったまま宙を仰いだ。
「いいなあ」
様子がおかしく感じて、わたしは目を凝らせた。よく見ると、寧音は真っ青な顔をしている。
「なんかあった?」
わたしが訊くと、寧音は首を横に振りかけたが、小さく息をついた。
「いや、なんていうか。変な方向に行ってる気がして」
寧音は、白崎ヒトミという名前で活動している。その名前が増えたのは、去年の暮れのことだ。わたしがその名前を頭に思い浮かべたとき、寧音は軽く唇を噛んでから、言った。
「紺野奈々の方ね」
去年の暮れ、グループが分かれる直前。寧音が新しい撮影で送ってきた写真は、ずいぶんきわどく感じた。名義は紺野となっていて、寧音はその芸名での活動を嫌がっているようだった。
「その名前でも、続くん?」
わたしが言うと、寧音はうなずいた。
「親と話してたら、なんかそっちメインになりそうな感じ」
伊吹家はそれなりに複雑だ。突然変異のように生まれた美人の寧音が、期待を一身に背負っているような状態らしい。
「自分で決めたいよな、そういうのは」
わたしが言うと、寧音は力なく笑った。諦めがついたように疲れていて、生気がない。そのまま話題を続けている自信がなくなって、わたしは携帯電話を指差した。
「怖いの、見とった?」
「これ? ほんまの事件やけどさ。車がブレーキ効かんようになって、川に落ちたんやって。乗ってた人は、二人とも死んだって」
寧音は画面を持ち上げて、わたしに見せた。
「女の人の方は、親の知り合いやねん。私も、子供のころに会ったことあってさ。変な噂もあるし、ほんまなんかなって」
昨日の事件だ。用水路に真っ逆さまに落ちた車が、死んだ動物のようにお腹を見せて浮いている。その様子に寒気がしたわたしは、言った。
「知り合いが死ぬん、怖いよな」
「美奈、死んでほしい人とか、おらんやんな? 流れ星に祈ったりせん?」
寧音の口調に、わたしは思わず喉を鳴らした。その剣呑な口調は、やはり付き合いが長いからなのか。本音でぶつかってくれているようで、わたしにそんな相手がいたら嬉しそうな顔をするのかもしれない。もしいないと言ったら、じゃあ幸せでいいねと、半分ぐらい人生のハードルを下げてから嗤うかもしれない。
「おったら、わたしは自分で殺すと思う。流れ星は、なんもしてくれへんよ」
そこまで言ったとき、ふとダーペーのことを思い出した。二組で地味に中学生をしている、かつてのガキ大将。
「ダーペーっておるやん、わたしあいつが大人しくなるように、願掛けしたことあってさ。林間学校帰ってきたら、ほんまに体壊してしょぼーんってなってて」
わたしが言うと、寧音は目を輝かせた。
「マジで? ヤバいそれ。初耳なんやけど」
しばらく盛り上がった後、五分が過ぎてわたしは教室へ移動し始めた。女子三人組とすれ違い、角を回ったところでふと足を止めた。あの三人は、寧音の今の『取り巻き』だ。
「伊吹さん、誰と話しとったん? 友達?」
三人組の誰かが言った。
「他のクラスやんね、あんま知らん子やけど」
三人組のもうひとりが言った。残りのひとりは余計なことを言わない担当なのか、口を開かなかった。しばらく間が空いて、寧音が答えた。
「うん、友達。小学校から一緒やねん」
三人組が、示し合わせたように意外そうな声を上げた。最初にわたしが『友達』か聞いたひとりが、念押しするように言った。
「友達なんや」
「友達やって言うてるやん。あの子のことイジったら、ほんま知らんで」
寧音が冷静な口調でつらつらと言い、三人組のコーラスみたいな軽い嘆声が続いた。
「昔は双子みたいって、よく言われとったんやけどね」
寧音が自分のつっけんどんな態度を詫びるように言い、そのまま何かを見せたのだろう。三人組の笑い声が上がり、わたしにはそれが何か、すぐに分かった。おそらく双子のようだった小学生のころに、二人で並んで撮った写真だ。
「別人やん」
三人組のずっと黙っていたひとりが言ったところまで聞いて、ようやく呪いが解かれたように足が動いた。教室に戻ってから一度そのことを忘れて、帰り際にまた思い出し、わたしはダーペーのときにやったみたいに、山道を駆け上がった。ダーペーの件でお礼を書きに行ったときは恐る恐るだったけど、今は足が言うことを聞かなかった。
息を切らせながら石段を下りて、絵馬を手に取った。なんて書けばいいんだ。頭に何も浮かんでこない。わたしは、何がしたくてここまで来たんだろう。筆箱からカラーペンを取り出して、考え付くままに書いた。
『伊吹寧音が仕事を続けられなくなりますように』
自分の住所を書いたそれを括りつけて、わたしは家まで歩いて帰った。
それから一週間後、『紺野奈々』のきわどい写真は、クラスの全員が知ることになった。
寧音は学校に来なくなり、そのまま転校した。
お礼を書く気はなかったけど、わたしは閻魔神社に行った。なんとなく、これ以上は近寄りたくはなかった。自分の力で何とかしたいと思いながら、足が向くままに駆け出して、願掛けをしてしまったのだから。こういう結果になったからこそ余計に、情けなく感じた。
わたしは、神経衰弱をするように板を眺めた。
絵馬は、なくなっていた。
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