傀儡草紙
07.断絶 ―操り人形―
チョキン、チョキン、チョキン、チョキン……。
部屋に聞こえるのは、耳に届くのは金属音。ただそれだけ。
チョキン、チョキン、チョキン、チョキン……。
途切れなく、絶え間なく、規則正しく、揺らぎなく。
チョキン、チョキン、チョキン、チョキン……。
それは、叫びであり、非難であり、報復であり、断絶でもあり。
チョキン、チョキン、チョキン、チョキン……。
僕は、虚ろな目に少しばかり後悔をにじませて、うつむくだけ。
月葉(つきは)と初めて会ったのは、中学2年生のときでした。親が人形使いで地方を転々としていた僕は、めんどうくささが8割、ほのかな期待が2割、といった気分で壇上での自己紹介を終え、3校目の中学生活を始めました。
1限目を終えた休み時間、そのとき真っ先に話しかけてきたクラスメイト。それが月葉だったのです。数多く転校をしているとわかるのですが、こういうときにまず最初に話しかけてくるのは、だいたいお調子者の男子と相場が決まっています。彼女はそんな男子の機先を制して僕の机までやってきて、笑顔で話しかけてきたのです。
そういう意味では、ちょっと変わった子だなと思いながら、僕は彼女と会話をして最初の休み時間を終えました。彼女がおしゃべりなのが気になりましたが、僕の話も聞いてくれるし、言葉の端々に気遣ってくれる優しさが見えるので安心し、良い級友を得て好調なスタートだと思ったのをよく覚えています。
しかし、どうも彼女はそれだけでは終わりませんでした。
次の休み時間も、その次の休み時間も、挙げ句の果てには昼休みまで月葉は僕の席にやってきて、おしゃべりを繰り広げるのです。トイレに行くことでようやく一時的に開放されましたが、その際、男子のクラスメイトから
「おまえ、転校初日からいきなり大変だな」
「でも、あいつ結構かわいいし、頑張れよ」
といった言葉をかけられたのでした。
月葉は翌日も、翌週も、翌月も休み時間に僕のところにやって来ました。低く一つにまとめた艷やかな黒髪を揺らして。大きくてパッチリとした目をこちらに向けて。そして、あの最初に見せてくれた明るい笑みで、僕にやたらと話しかけてきます。でも、その姿はトイレでの男子の評価通り、快活な美少女そのものでした。
僕もようやく、彼女のこの一連の行動は友情ではなくて恋情から来るものだと理解しました。僕自身も正直なところ、彼女に好意を抱き始めていたのです。ならば、告白をして交際をすればいいじゃないかと思うかもしれません。しかし、それができない理由があったのです。
近いうちに、また僕は転校することが決まっていたのです。
僕がこの街を去ることを先生が告げた日、僕は月葉の顔を見ることができませんでした。クラスメイトたちも、
(おまえら、なんか言うことがあるんじゃね?)
と心配そうに僕と月葉を見ています。しかし、学校を転々とする以上、別れは避けられません。それに、仮に交際にこぎつけたとしても、遠距離になる上に、高校、大学と次第に世界が広がっていく中で、なかなか会えないという事実は致命的なほど大きいのです。
こうして、僕と月葉は一度、離れ離れとなったのです。
それから月日が流れ、僕は大学を出た後に家業を継いで人形使いとなりました。といってもまだまだ駆け出しで父や母に助けてもらいながら、よちよち歩きで仕事をしている状況です。その中で僕の元にやってきたのが、大人になってさらに美しさを増した月葉でした。
月葉はかつてと同じようにその多弁な特性を駆使して、人形使いという難しい仕事に立ち向かう僕の心をしっかり支えてくれました。僕も彼女のその気持ちをあらためて好ましく思いましたし、成人した今なら彼女と歩んでいけると思いました。僕と月葉はどちらから言うこともなく交際を始め、パズルのピースがはまるような自然さで役所に届けを出して夫婦となったのです。
やりがいのある仕事と美しい妻を得た幸運な僕は、一意専心で人形に向き合い始めました。はやく独り立ちしたい、はやく両親や月葉を楽にしてあげたい、そんな気持ちでいっぱいでした。
僕はどんなイベントにも可能な限り参加し、ときには自ら興行を打ち、斬新な人形を創り出すべく夜の目も寝ずに考え込み、できたアイデアを人形職人の方とブラッシュアップして、必死に仕事に取り組みました。
そんな仕事漬けの生活を数年続けているうちに、僕は情けないことにすっかり月葉のことを失念してしまったのです。地方を巡業し続け、家に帰れば仲間の人形使いや人形職人との打ち合わせ。夜になれば新たな人形のアイデアを考える。たまに月葉と顔を合わせることがあっても、その顔の曇りや心のヒビにはいっさい気が付きませんでした。もしかしたらそのとき、月葉が僕に何かを言おうとした瞬間があったかもしれません。でも、もう少ししたら、ずっと一緒に楽しくいられるから、それまでは辛抱してほしい。僕のこの気持ちを月葉はちゃんと理解している、そんなおごりが僕の中にあったのです。
でも、ある日のこと。家に帰ると月葉は壊れてしまっていました。
月葉は最初に出会ったときに向けてくれたあの笑顔に狂気をまといつかせ、僕が仕事で使う操り人形のひもをはさみで切断していました。一つが終われば次の人形、それが終われば次の人形……。
チョキン、チョキン、チョキン、チョキン……。
昔から話すことが好きだった月葉は、どうしても僕とコミュニケーションが取りたかったのだと思います。それがかなわない生活の中で、彼女はじょじょにおかしくなっていったのでしょう。思えば、転校するときも、交際のときも、プロポーズも、それ以降も、僕は彼女にはっきりとしたことは言いませんでした。具体的な言葉がほしかったのに、話すらしてくれない。それに耐えられなくて狂気に陥った月葉が嫉妬の炎を向けたのは、僕が操る人形だったのだと思います。
あいつらはしゃべれないくせに私を差し置いて、コミュニケーションを楽しんでいる。夫の指先でもてあそばれ、指示の通りに動き、ポーズを取って喝采を浴びている。その間、私は家で一人、孤独と沈黙に苛まれているというのに……。
きっと月葉はそう考えて、僕と人形とのコミュニケーションツールであるひもを切り刻むことで報復をしているのです。
全ては僕が悪いのです。月葉を壊してしまったのは、この僕です。
僕は人形使いを廃業しました。月葉は通院してカウンセリングを受けるようにはなりましたが、家に帰ると迷いなくはさみを握ります。そしてまだまだ残っている、かつての僕の仕事道具を切り刻むのです。
月葉は人形ではありません。簡単に修復なんかできやしないのです。それはよくわかっていますが、僕はそれでも彼女とずっと一緒にいたいし、いようと思っています。
それが罪滅ぼしなのか、罪滅ぼしになるのか、それはわかりませんが。