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傀儡草紙

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05.視線 ―ドールアイ―



 博彦と理彩の家庭は冷え切っていた。

 二人は共働き。子どもを作る予定はない。一応、交際時にお互いこのライフスタイルでということで一緒になったのだが、家庭の会話を減らしてまで二人で仕事に打ち込んで数年。金こそたまったが、気付けばすれ違いどころか、不仲と言っても差し支えない状態にまでなっていた。
 不仲、と言っても直接的な口論には発展していない。その会話すらないのだから。でも、どちらかが口火を切れば無事ではすまないだろう。お互いにそんな予感を抱えながら、望んで一緒になったはずの相手をいつの間にか避けるようになっていた。

 さて、こんな状況に置かれた場合どうするか。おおかたの人は予想できるだろう。別の異性と親密になる。そして、ひそかに愛し合って関係を育む。取り繕った言い方をすればこうだが、ありていに言えば不倫を始めるのだ。

 例に漏れず、博彦も一回り近く若い女性と関係を持っていた。今年、新卒で入社し、博彦の部下となった女性。彼女と博彦はすぐに意気投合した。会話も体も相性がいい。気付くと、博彦はこの愛人にすっかりのめり込んでいた。

 とはいえ、博彦は彼女を家に入れるという最後の一線はかたくなに死守していた。妻とは不仲だが、夫婦生活は破綻させたくない。でも、かわいらしく自分を慕うその愛人は無邪気に、そしてしきりに博彦さんの家に行きたいなと口にする。
 あどけない口調でお願いされれば男なんてちょろいもの。博彦もどうにか彼女のその願いをかなえてやれないか、と心のてんびんが揺れはじめた。しかし、家に招くのはリスクが大きい。痕跡を残せばもう修羅場の始まりだ。そこから離婚の話になったら負け戦は確定だ。
 今までの博彦だったらこの時点で思考を止めて、この愛人の願いにもにべなくNOを突きつけただろう。だが、この女性はどうしても博彦の家で逢瀬を楽しみたいらしく、執拗にその願いをささやいてくる。
 博彦は慎重にスケジュールを確認し始めた。理彩が出張などで何日か家を空け、なおかつ、博彦と愛人の仕事に余裕がある日。できれば、証拠隠滅のために翌日も休みたい。スケジュールアプリをタップしながら、そんな日取りを辛抱強く探し続けた。

 そして、条件に合致する日を見つけ出したのである。

 博彦は愛人と話し合い、予定を調整する。この日の周辺は、なるべく大きな仕事を入れないように。前日と当日はお互い別の理由で有休を取っておこう。僕は証拠隠滅のために翌日も休むので、社内にも関係が露見しないよう、君は出社してうまくごまかしてほしい……。

 計画を重ね、ようやくその日がやってきた。

 当日、二人はゴルフに行くくらい早朝に待ち合わせ、食料などを買い込んで博彦の家を訪れる。

 二人で料理をし、それを食べ、二人で浴室で絡み合い、寝室でさらに激しい情交を重ねる。憧れの上司の家でようやく一つに結ばれた愛人と、従順な部下の約束を果たすことができた博彦。妻の居ぬ間に欲望の限りを尽くした二人は、ぐったりとベッドで横になっていた。

 そのとき、博彦はふと奇妙な視線を感じた。気だるくそちらに目をやると、一体のフランス人形が置かれている。嫁いだときに理彩が持ってきたその人形は、棚の上方からこちらをじっと見つめていた。

(この人形、ここから目が合うような角度だったっけ……)

 記憶を掘り起こそうとする博彦に、横から甘いささやきが聞こえる。気力も体力も有り余っている若い愛人にもう一回とねだられながら抱き寄せられた瞬間、博彦の脳裏から疑問は雲散霧消してしまった。


 お楽しみの時間が終わり、証拠の隠滅も終え、理彩が出張から帰ってくる。

 妻はここで行われたことに気付いた様子はない。相変わらず会話はなく、以前と変わらぬ生活を続けているのがその証拠だ。
 しかし、妻には何の異変がなくとも、博彦は家の中にとある違和感を覚え始めていた。

 それは逢瀬の当日。一息ついたときに目が合ったあのフランス人形。

 あの日以来、このフランス人形はどうもこちらを常に見つめているような気がしてならない。何をするにも、どこにいても(この人形の目の届く位置ならば)、この人形の目に相当するガラス玉のようなものが常に博彦を見ているのだ。

 博彦は落ち着かない中で人形のからくりについて考え込む。理彩は、出張の前から俺を疑っていたんじゃないだろうか。それならば、あの人形に何らかの細工を施していてもおかしくない。
 そうだ。あいつはフランス人形の目の部分にカメラを仕込んだんだ。あいつだって他に男がいてもおかしくない。そいつが技術者や探偵あたりなら、そんなことは造作もないはずだ。

 ということは、証拠を握られる前に先手を打ってあの人形を処分しなければ……。

 博彦は考えがまとまったその瞬間から、理彩がフランス人形に触れないよう極力その部屋から出ないようにした。そしてこちらをじっと見つめてくる人形を射抜くようににらみ返す。その瞳の向こうであざ笑う妻とまだ見ぬ男を思い浮かべて。

 数日後、不審な顔をしながら理彩は出勤する。旦那が休日の間、一睡もせず座り込んでいても夫婦の間に会話は生まれない。
 博彦は理彩がいなくなったのを確認すると、ゆっくりと立ち上がりフランス人形を片手で乱暴につかんだ。そして庭の物置からノコギリや金づちを取り出し、こちらを見つめ続けている人形を破壊し始めた。

 数分後。真っ二つに割れた人形の中には、空洞だけが存在していた。


 その後、博彦と理彩の間に離婚が成立した。話し合いは不倫の事実を自分からぶちまけた博彦が一方的に条件を飲む形で進み、財産のほとんどを元妻に差し出す結果となった。
 不倫相手は博彦が既婚だとは知らなかったとしらを切り通した。実際に証拠が出なかったことから、彼女は慰謝料の請求をされなかった。だが、この一件で懲りたのか、こちらもこちらでうまいことやっていたのか、その後すぐに年の近いの実業家と結婚し、博彦の前から姿を消してしまった。

 失意の博彦は弁護士に一つだけ質問をする。人形は絶対に自分を見つめていた。なのに、なんでカメラも何もなかったんでしょうか、と。

 問われた弁護士はふびんな顔をしながら、口を開く。

「追い目。追視とも言うんですがね。眼の素材や環境によって人形が常にこちらを見つめているような現象が起こることがあるみたいですね。元奥さんによると、あの人形は以前から追い目が発生していたんです。でも、あなたはその事実にずっと気付かなかった。きっと、後ろめたいことができた瞬間、疑心暗鬼になって、そこで初めて人形の視線に気付いてしまった。そういうことだと思います」

 弁護士の話を聞いた瞬間、博彦の総身から全ての力が抜け、椅子からガタリと滑り落ちた。


作品名:傀儡草紙 作家名:六色塔