傀儡草紙
02.執念 ―ビスク・ドール―
僕の目の前に一体の人形が置かれている。
全長は60センチほど。今は座っているので40センチ程度だろうか。濃い青のローブを着こなし、右手に杖を握りしめ、白髪頭にウィッチハットを被っている。手足は細く筋張っており、しわだらけで苦悩しているような顔つきがその青白さと相まって悲壮感を漂わせている。
白髪頭、痩せぎすの手足、しわだらけの顔。この人形は間違いなく老婆だろう。また、杖とウィッチハットから、彼女の職業は魔女だと推測もできる。
この人形は知人から安価で購入したものだ。仕事がら海外によく行くその知人は、偶然に手に入れたそれほど愛着のないこの人形を、僕がねだってきたのをうまいこと利用してひと稼ぎしたのだった。
金銭を手に入れてホクホク顔で帰っていく友人を見送りながら、僕のほうも喜びが抑えきれないでいた。実はこの人形、前に写真で見たことがあったからだ。
以前、僕はある書籍を愛読していた。その書は世界の風変わりな事件を扱ったもので、取りつかれたように繰り返し読みふけっていた。そこに挿入されていた写真にこの人形が写っていたのだ。
その本の記述によれば、18世紀の後半から19世紀にかけて、西洋のとある地に熱心な人形収集家がいたそうだ。その女性はとにかく人形が大好きで、それこそ世界中の人形を手に入れようと本気で考えていたらしい。
18世紀ならば、ルネサンスを彩った数多くの美しい人形もまだまだ戦火を免れて現存していたことだろう。しかも後半なら産業革命が起こった時期でもある。新しい素材、生産方法、デザインによって創られた人形たちが大量に流通していく草分け時代。過去を振り返っても、未来に思いをはせても展望は明るい。当時の人形事情は、そのような雰囲気だったに違いない。
そんな人形収集に最適な時代。そこに、すい星のごとく類まれな人形収集家が生まれたというわけだ。
彼女は幼少期からすっかり人形の魅力に取りつかれ、どんな人形もほしがったという。もともと裕福な家庭に生まれたこともあって、彼女がほしいと言った大抵の人形は、その日のうちには彼女のものになった。
この程度なら、まだあることかもしれない。だが、彼女は少しばかり違っていた。このぐらいの女児なら、人形を手に入れる目的は主に遊ぶためだろう。でも、彼女はその人形で遊びを一切しなかったという。その頃から人形を収集という目的で集めていたのだ。そのおかげで彼女の所有していた人形は、どれも保存状態が素晴らしく良かった。
しかし、人生は全てが栄光に彩られているわけではない。人形収集家として若い頃から名声を誇った彼女にも、うまく行かないことがあったようだ。
まず、多くの愛すべき人形と収集家としての名声とを引き換えに、彼女は配偶者を得ることができなかった。人形にかまけすぎて全ての縁談を断っていたからとか、人形にかけるお金が多額のため貴族も二の足を踏んで求婚に来なかったからとも伝えられている。
彼女は生家で40年近く生活をしていたのだが、そういった理由で、とうとう家族も彼女を煙たく思い始めた。結婚もせず、人形ばかりを集めていれば、実の娘であっても疎ましいと思うのだろう。
結局、相応の手切れ金を持たされて家を追い出されることとなった。仕方なく彼女はその金で誰も来ないような暗くさみしい森に小屋を立て、そこに全ての人形を保管して一人で暮らし始めた。今まで人形とあれば金に糸目をつけずに買い漁ってきた彼女だったが、日々の生活にも困るような状況では、コレクションが増えるペースも鈍らざるを得なかった。また、詳細ははっきりしていないが、この頃から人形を盗った、盗らないでよく周囲ともめていたということも伝わっている。
そして晩年になり、いつの間にか彼女は姿を消していた。
正確な日付は分かっていない。先述の通り、深い森に一人で住む変わり者の婆さんだ。今なら介護職員などがいるが、その当時はようすを見に来る人なんているわけがない。だが、彼女を見なくなってからかなりの年月がたった後、興味本位で小屋を訪れた男がいた。彼はそこに入ってすぐ、そのあまりにも壮観な人形ばかりの景色を目の当たりにして写真に収めた。書籍で僕が見た写真はそれだ。
だが、彼は収集の喜びはあまり理解していなかったようで、彼女の一生をかけたコレクションをすぐさま売り払ってしまった。その一つが巡り巡って、今、手元に転がり込んできたというわけだ。
僕は本棚から書籍を取り出して、該当するページを開く。久々に見る写真は、当然、前と変わりなく小屋の入口から奥に向かって全景を写したもの。壁に設置されたたくさんの棚。そこにたくさんの人形が並べられて3方を囲んでいる。そして、床の中央にぽつんと一つだけ、目の前にある人形が倒れて置かれている。
僕は写真と人形を交互に見つめる。撮影した男は、小屋に入ってすぐ撮ったので、これらには指一本も触れはしなかったと証言している。
(……なんで、この人形だけ床に倒れていたんだ?)
当時からぼんやりと抱いていた疑問。僕は「本物」を横目に脳内で答えを探す。
(……この人形だけは、ちゃんと並べられなかった?)
写真を見直す。確かに棚にはもう隙間はない。だが、床でもちゃんと座らせるくらいはできたはず。
(ちゃんと座らせられなかった理由、まさか……)
そのとき、ようやく彼女の意図と最期が理解できた。もしかしたら、理解できたのは、世界で僕一人だったかもしれない。
優秀な収集家の彼女は、最後の収集品を自分自身にしようと考えたんだ。だから、彼女は森の奥に小屋を建てた。そう、魔女になるために。
そして森の奥で修行を積みつつ、その中で懸命にコレクションを増やそうとした。当然、魔術も少しずつ覚えていたはずで、それを利用したせいでいざこざが起きたのだろう。
やがて晩年になって、人体を人形にする秘法を習得した彼女は、それを小屋の中で自分自身に実行した。無事、変化には成功した彼女だったが、「衣装」と「ポーズ」まではどうにもできなかった。だから最後の人形は魔女の姿だったし、床にころりと倒れていたんだろう。
僕はあらためて人形をまじまじと見つめる。これがあの偉大な収集家の成れの果てだと思うと、思わず畏敬の念を抱いてしまう。
(……ん?)
そのとき、僕は写真と現物に違いがあることに気がついた。
遠目では分かりづらいが、写真の人形は明らかに満足そうな笑みを浮かべている。だが、目の前の人形は最初に記したように悲しげな表情だ。
こちらのほうは、すぐ理由がわかった。
コレクションの散逸が悲しいのに違いない。きっと「彼女」は撮影者が自分の大切なものを売り払った瞬間から、笑顔が消えてしまったのだろう。
途方もないが、この偉大な先駆者のためならやるしかない。僕は壮大な計画を実行する決意を、四方を人形に囲まれた室内で固めていた。