老人の喜怒哀楽
その2
そういう人間の発達経路は古代からわかっていることで、仏の修行や諸々の宗教で修行をしてきた人達は数限りない。
あるがままに育ち生きている人も何某かの修養を何かのきっかけで気が付かない内にしている。
苦労をした人が丸くなったといわれるのは苦労が修行をしているのと同じだからだ。
世間でいう苦労とは実に様々で、俗っぽい話になると数限りないが、身の回りにも沢山いる。
身近に聞かされる話では、姑に苦労したという話。
話す本人が言うには「姑はひどい人だった。私はそれを耐えてきたのだ」と自慢げに話す。
現在当の本人が当時の姑の年齢になって姑の立場にいるのを忘れているのである。