Faff
口径は7.62ミリ、サプレッサー必須。フルメタルジャケットを百八十発に、弾倉は六本。革ジャンの品番が大きく『762』と書かれた、メンズファッション雑誌のページ。そして、昔から変わらないおでん特集にでかでかと載ったちくわの写真。ニット帽をかぶったモデルが表紙の雑誌は、フルメタルジャケット指定ということを示す。ちなみにホローポイントはハゲ治療の広告だ。一番隅の席に並べて置いてある雑誌が依頼の中身を示していて、篠原は必要な弾数と弾倉の本数だけ口頭で聞いてくる。慣れれば、何も難しいことはない。
初めて引退のことを考えたのは、十五年も前の話。ホテルで美容師の真似ごとをした日、小柳が辞めた時期について、篠原が嘘をついているらしいということを知った後だった。アンちゃんとは数分話しただけだったが、当時十歳だった少女が利害抜きで語る言葉の方が、はるかに説得力があった。そして、篠原の隠し事を知っているという事実は、副作用で妙な自信まで与えてきた。その波に乗って開店休業状態だった本業を元に戻したいと申し入れ、そこからは、理容室シエラは本来の働きを取り戻した。
席数が多い新店舗に移ったのは九年前の冬で、今は別荘地で同じ屋号を掲げている。
この業界とも、十年どころか、結局二十五年もの付き合いになった。他の業者は時折入れ替わっているが、ここだけは残り続けている。人生の半分を費やした以上、生きて出られないというのは、もう分かりきっていることだ。篠原は同じ二十五年間で、アストンマーティンを乗り回す偉いさんになった。それでも、ホテルに詰めている本物の『幹部』からは成金趣味として下に見られているらしく、飲みに行くと愚痴が飛び出す。
茅野が壁にかかった時計を見上げたとき、ドアに括りつけたベルが軽快な音を鳴らして、篠原が新聞を傘代わりにして、店内に飛び込んできた。セットで滑り込んできた湿気に顔をしかめながら、茅野は言った。
「こんちは」
「顏剃りを頼むわ」
篠原は雨を吸って重くなったコートを脱いで、ハンガーにかけた。茅野が仕事に取り掛かっている間は無言で過ごし、最後に雑誌の山を目で追うと、振り向いた。茅野は前を向いたまま、言った。
「百八十。六本」
「オッケー」
短いやり取りが終わり、篠原はコートを着て外へ出て行った。茅野は剃刀を蒸し器に放り込むと、レジ台の後ろに置いた椅子に腰かけた。ツグミに殺害予告が出ていることに、篠原はずいぶんと慌てていた。おそらくここ数日は、ホテルに忙しなく出向いていることだろう。ツグミが新しい代になれば、受け渡しの段取りをいちから教えなおす羽目になるから、当然と言えば当然だ。茅野がスマートフォンを片手に立ち上がったとき、篠原が戻ってきて、しわくちゃの新聞を片手にコートを着たまま言った。
「昨日、ヒバリから聞いたんだけどな、おれたちの仕事が問題視されてるらしい」
「ホテルに行ったのか?」
そう言うと、茅野は逆回しのように椅子へ戻った。篠原は雑誌の山を見つめて、言った。
「ヒバリも、はっきり聞いたわけじゃないらしい。多分、依頼された銃が多少違ったり、そういうことだと思うけどな」
茅野が相槌代わりに目線を寄越すと、篠原は肩をすくめた。
「最近はよその業者も多いから、おれたちのやり方が古いってことなんだろ。とにかく、気をつけろよ。九年前の再現は、おれはもうこりごりだ。銃はあるか?」
そう言って、篠原はカウンターの後ろに目を向けた。茅野は目線だけを棚の裏側に向けると、うなずいた。
「一挺ある」
「あるのかよ、じゃあ安心だ」
篠原はそう言って、口角を上げた。茅野は、38口径のコルトコマンドースペシャルで六発を撃ち切ったときの記憶を、鮮明に呼び起こした。今思えば、運が良かった。襲撃者の構えたライフルの弾が不発だったのだ。相手はライフルを地面に捨てて拳銃を構え直し、撃ち始めた。咄嗟に伏せてこちらが撃ち返した弾が肘に当たり、その拳銃は手から飛んでいった。銃を両方とも失った襲撃者は、そのままきびすを返して逃げていった。それは、弾がなくなったこちらとしても、結果的に好都合だった。襲撃事件はホテルにとっても衝撃だったようで、それだけでなく、ただの理容師だった自分が襲撃者を押し返したことに、もっと驚いていたらしい。それ以来、茅野と篠原という『武闘派の拠点』は、何でもありのいい立場に置かれてきたわけだが。
篠原が依頼ををごまかし続けている以上は、周りの目とチキンレースをしているだけの話だ。そういった評価はいずれ時間切れになるし、まさに今がそうなのだろう。
「旧店舗の倉庫は、あのままだぞ」
茅野が言うと、篠原はそれが一番の問題ごとであるように、顔をしかめた。
「そうだな。先に片付けた方がいいかもな」
言い終えると、篠原は小さくため息をつき、茅野は表情だけで応じた。鉄扉で厳重に封じられた倉庫の中には、襲撃者が残していった銃だけでなく、捌くつもりで手配していた最後の在庫がある。今の店舗が襲撃を受けて大騒ぎになった場合、当然旧店舗にも目が向くだろう。ホテルが何らかの記録を残していて、それと突き合わせされてしまえば、最後だ。依頼内容と合っていない銃が存在することになり、そのときはこちらの立場が危うくなる。
「善は急げだ。整理も兼ねて、見に行くか。空いてる日を教えてくれ」
茅野が言うと、篠原はうなずいた。
「そうだな、今週ならどこでも空いてるはずだ。一旦戻ってから、連絡する」
そう言うと、さらに増えた考え事を力任せに引き連れるように、篠原は早足で出て行った。会話で何度も登場した『おれたち』という言葉。茅野は、その軽さと意味の重さの両方を噛みしめた。篠原はうまい言い方をしたつもりかもしれないが、九年前に起きたことを考えると、『おれたちのやり方』で穴だらけになりかけたのは、自分だけだった。
茅野は再びスマートフォンを取り出して椅子から立ち上がり、並べられた雑誌の写真を撮った。今までに依頼を出したときの雑誌の並びは、毎回写真に収めている。保険のようなものだ。椅子に戻ると、ひとつだけ自ずと頭に浮かんでくることがあった。
『殺害予告が出ました。異動になる可能性があります』
異動を提案されるということは、人事に気に入られている。十五年前にホテルの土産物コーナーで会ったとき、この子は重要人物になると確信した。今の代になって、初めて届いた依頼に挟まれた私信の『新しくツグミに任命されました、ボブカットのアンです。覚えてますか?』という一文。記憶力に自信がない自分でも、土産物コーナーで引き留められたことは鮮明に覚えている。