Faff
「夜明けだって伝えたからね。それで白とか寄越して来たら、どうしようと思ったけど」
レッカー業者は、やや緊張した面持ちで二人の会話を耳に挟みながらランドクルーザーを荷台から完全に降ろし、操作パネルの前にいるひとりが帽子を取って頭を下げた。カラスとツグミは同じタイミングで一礼すると、Uターンして駐車場から出て行く積載車を見送り、ランドクルーザーの底を覗き込んだ。カラスはフラッシュライトで足回りを照らし、全体的に錆で茶色に変色した機関部を見上げてから、呟いた。
「使用感あり」
ツグミは髪を後ろに逃がして押さえながら、カラスのライトを目で追った。二人で車両の点検をしたり、後片付けを手伝ったり。本来はカラス単体の仕事なのだろうけど、できるだけ一緒にいたいから、仕事が詰まっていないときは駐車場にいることがほとんどだ。上にどうこう言われることはないけど、本当はどう思われていたのだろう。頭の中で勝手に過去形になった言葉に気づいたツグミは、思わず頭を持ち上げてマフラーに後頭部をぶつけた。カラスはツグミの頭を庇うように手を差し出すと、笑った。
「大丈夫? 頭で打検すんの、新しいね」
「マフラーは大丈夫」
ツグミはそう言うと、同じように笑おうとしたのを途中でやめて、不自然な姿勢のままふっと息をついた。カラスは体を起こすと、作業用ジーンズの膝小僧にくっついた砂利をはたき落として、腰を庇いながら言った。
「あー、トシですわ」
ツグミは同じように立ち上がって腰を伸ばすと、カラスの方を向いて言った。
「後任って、育ってるのかな?」
「わたしかツグミの代わりを育ててるってのは、聞いたことがあるかな」
そう言うカラスの目は、少しだけ光を押し殺しているように見える。ツグミはランドクルーザーの車体に視線を戻した。今まで、お互いに踏みこんだ話はしてこなかった。だからこそ仲が良くて、クジャクからは『つがい』だと揶揄われることもあった。それはお互いにきっちりと白線を引いて、その外側から手を差し伸べ合っていたからだ。でも、自分がここにいる残り時間に限りがあるのなら、ずっと線を守り続けている方がいいのだろうか。横に並ぶカラスの顔は、ランドクルーザーのガラスに映り込んでいた。その目が伏せられ、口が開いた。
「時々、依頼と違う銃が来るって、言ってたじゃん」
「狙撃用、7.62ミリって指定したのに、骨董品のAKが来たりすることは、あるね。で、半世紀前のスコープがついてんの。そりゃ口径は7.62ミリだけど、そこは違うでしょって感じ」
ツグミはそう言って、緊張がほぐれたように細長い腕を伸ばすと、続けた。
「なるべく誤差が出ないように依頼してるんだけどね。明らかに間違えてるときもある。実際に発注されるまでの仕組みが面倒だから、そこでずれるんじゃないかな」
「あーね。いやさ、例えばDMRが欲しかったのにボロいAKが来たら、相当なぼったくりじゃんと思って。だって、お金は全額渡ってんだよね」
ツグミはうなずいた。銃に適正価格がないというのは、当たり前の話だ。でも、そんな風に考えたことはなかった。カラスはいつになく早口で、続けた。
「あの後さ、夜中にサクラが話してんのをこっそり聞いたんだけど。篠原さんと茅野さんのコンビは、そういうとこが問題視されてるらしいよ。タレコミがあったぽい」
「安く調達して、お金をごまかしてるってこと?」
ツグミが語尾に食いつくように訊くと、カラスは首を傾げた。
「分かんないけど。まあ、そういうことなのかな」
ランドクルーザーにお互いの姿が映ったまま、しばらく沈黙が流れた。二人で同じ場所にいて、こんなに長い時間言葉を交わさないのは、初めてな気がする。ツグミが耐えきれなくなってカラスの方を向いたとき、お互いに同じことを考えていたらしく、目が合った。カラスは言った。
「ツグミ、殺害予告が出てるんでしょ?」
「実は、そうみたい。知ってたんだ」
ツグミが他人事のように言うと、カラスは呆れたように薄く笑った。
「さっきの続きで、そこまで聞いちゃった。次はいつ外に出るの?」
「このままいけば、明日だね。銃を引き取りに行く」
ツグミがそう言って口角を上げると、カラスは目を伏せた。
「分かった。ご安全に」
ツグミは灯火類のチェックをしながら、考えた。八年間で、実際に届いた銃が依頼とずれていることは、何度もあった。七割は正解だったが、例えば厳密にハイドラショックを指定したのに、メーカー不明のホローポイントが届いたり。それを1911に装填して現場に出たモズは、二発目で装填不良を起こして蜂の巣にされた。でも、組織の人間は『粗悪なホローポイントが装填不良を起こしたから仕事に失敗した』とは考えない。『モズがパニックになって再装填できなかったから』失敗したのだと解釈する。だから、問題になっていなかっただけだ。
ツグミは車両点検の手伝いを終えると作業場に戻り、昨晩から開きっぱなしになっている十字路の地図を眺めた。ホテルから二時間程度ということは、サクラに伝えた。依頼人にもすでに伝わっているだろうから、いつ決行になってもおかしくない。とりあえず、あのランドクルーザーは当たり個体だ。静かに南から空き地を抜けて、標的に近づける。サプレッサーのついた口径7.62ミリのライフルなら、相手がどう隠れても壁越しに弾を貫通させて殺せるし、標的の建物の大きさを考えると、二百発も必要ない。こうやってずっと考える癖は、本当に変わらない。ツグミは伸びをすると、別のことを頭に思い浮かべた。
サクラが言っていたらしい、理容室シエラの仕事ぶりに対するタレコミ。あれは、私の殺害予告を出した人間と同一人物がやっている可能性が高い。いや、実際にはもっと直接的で、殺害予告の中にそういった内容が含まれていたのだろう。それだと、私を殺す必要はないように思えるが、組織に揺さぶりをかけようとしているのかもしれない。噂話レベルで把握できたのは、ここまで。茅野は、どこまで知っているのだろうか。私信でのやり取りは、依頼ありきだ。それ以外に連絡を取り合う方法はない。
今、一番確認したいのは、九年前に店舗を移ったときにどんな形で襲撃を受けたのかということだ。今回、関係者の殺害予告という回りくどい手順を踏んでいるが、結局はそこに行き着くのではないか。
この業界に身を置いている以上、最後に自分目掛けて飛んでくるのは銃弾だ。
ボブカットに喜んでいたアンちゃんはツグミになり、銃の依頼に付け足された私信という形で、その接点は続いている。茅野は新聞を畳んで小雨が降る外に目を向け、篠原が訪れるのを待った。お互い五十歳、もう体中にガタが来ている。それに、周りを取り巻く状況も変わった。あのホテルは十五年前に一度だけ訪れただけで、新しい土地へ店舗を移してからは、さらに足が遠のいた。しかし、面倒なシステムだけはそのままだ。
昨晩届いた依頼は、急ぎで篠原に流さなければならない。