Faff
「あっさり終わっちまったな。三人はいると思ってた」
そう言うと、米原は遠藤と二人がかりで篠原の死体を運び出し、グランエースに放り込んだ。開け放たれた入口から淡い光が差し込む中、ツグミは茅野の足首を見て、言った。
「撃たれてます」
「それは、おれが一番分かってるよ」
茅野は体を起こすと、レジ台にもたれかかった。抑えた表情で笑うツグミの顔を見て、言った。
「誰なのか、分からなかったよ」
「じゃあ、どうして庇ってくれたんですか?」
ツグミはそう言うと、店の中を見回した。十五年振りに顔を合わせたのに、言葉が何も出てこない。『大人になったら、カットにおいで』という、茅野の言葉。真っ暗な店内は、子供のころに想像していたどんな光景とも、まっすぐには結びつかなかった。それは、自分が大人になるころには、すでに終わってしまっていたことだった。
茅野は、ツグミが両目からぽろぽろと涙を流していることに気づいて、言った。
「ここが昔の店だってことが、どうして分かったんだ?」
「風車が三基あるって、言ってたから。地図を見てて、分かったんです」
ツグミは両目から涙を拭うと、誇らしげに言った。茅野はふっと息をつくと、土産物コーナーで話したときのことを思い出しながら、呟いた。
「あの地図を覚えてたのか」
ツグミは、外巻きに跳ねている髪に触れると、言った。
「二〇一〇年の九月十七日、金曜日でした」
「相変わらず、記憶力がいいな」
茅野はそう言うと、レジ台に頭を預けた。他の人間が銃弾一発で死んでいく中、自分だけは簡単に死なせてくれない。足首が焼けるように痛むが、こんなもので死ぬわけがない。
「この仕事を依頼したのは、私の殺害予告を出した人なんでしょうか」
ツグミは、答えが出ないことが分かっているように、目線を逸らせて言った。茅野は目を伏せた。全てを引き起こした張本人が自分だとは、口が裂けても言えない。でも、物騒な予告とは真逆のことを考えていて、ツグミの無事を心から願っている。それは本当だ。
「異動はしないのか?」
茅野が言うと、ツグミは俯いた。
「まだ返事はしていません。でも、この仕事を続けられたのは、茅野さんがいたからです。今でも銃は嫌いだし、任命されたときは本当に嫌でしたけど」
そう言うと、ツグミは立ち上がった。M&Pを持たせて遠藤ごと送り出してくれたカラスは、八時の点呼までに戻って来るように言っていた。グランエースのエンジンが始動して、ヘッドライトが青白く灯ったとき、ツグミは言った。
「二人の仕事ぶりが問題になっていると、噂で聞きました」
「依頼と違う銃が用意されることが、あっただろ?」
そう言うと、茅野は倉庫を指差した。ツグミが指先を目で追うのを待ってから、続けた。
「篠原は、敢えて安上がりな銃を用意してた。小柳と揉めてたのも、それが原因だ」
「余った予算を横領してたってことですか?」
ツグミが言い、茅野は呆れたような表情でうなずいた。
「そうだな。おれは目を瞑ってたが」
篠原が死んだ以上、近い内にホテルに呼ばれるだろう。結局『おれたち』ではなく、おれが説明をしなければならない。上層部は、この現場をどう解釈するだろうか。茅野は想像を巡らせながら腰を上げると、レジ台に掴まりながら立ち上がった。ツグミが肩を貸そうとするのをやんわりと断り、言った。
「ホテルに戻るんだろ? おれも乗せてくれ」
午前七時半、カラスは三十分前に戻ってきたばかりのツグミを自分の仮眠ベッドに寝かせて、ランドクルーザーとグランエースの点検を終えた。ぶつけた痕もないし、血や体の一部が飛び散っているわけでもない。綺麗な現場だ。問題点はひとつだけあって、それは作業台でチップソーカッターの刃を見上げている死体が、何度もホテルで見たことのある篠原だということ。おまけに、ツグミと米原と遠藤だけが戻ってくるはずだったのに、何故かひとり増えていた。そして『この人が茅野さん』と紹介してきたツグミの制服からも、硝煙の匂いがした。
米原と遠藤に、ツグミが現場にいたことを口止めするのは簡単だった。若い世代のモズは、飴玉一個で何でも言うことを聞いてくれる。ただ、篠原だけが死んで、何故か生き延びた茅野が自分からホテルに顔を出したとなれば、間違いなく面倒なことになる。
カラスは口の中で飴玉を転がしながら、仮眠ベッドで体をくの字に折って子供のように眠るツグミを見つめた。掴みどころがなくて、いい加減に見えるときもあれば、神経症的に細かく見えるときもある。それでもホテルが重用するのは、他の構成員が真似られないぐらいに仕事ができるからだ。そしてその忠誠心は、『義理堅い』という言葉では片付けられないぐらいに強い。自分は、茅野のことすら結局思い出せなかった。十五年前に一度だけ、子供たちの髪をカットしにホテルへ来たらしく、自分もその中のひとりだったようだが。どんな髪型にしてもらったかすら、忘れてしまった。
「起きねーな……」
まだ三十分しか眠っていないから、無理はないが。点呼が終わったら、ツグミはアザミに呼ばれるだろう。カラスは腕組みをして、ツグミの寝顔を観察し続けた。事情聴取が終わるまでは、誰も動けない。すぐに篠原の解体に取り掛かりたいが、サクラはそれも待つように言っていた。寝顔を見始めて五分が過ぎたとき、大きな目がぱちりと開き、ツグミは体を起こした。髪が左側だけ削り落とした崖のようになっていて、カラスは笑いながら自分の頭の左側を指差した。
「こっち、ヤバいよ。ふわっとさせな」
ベッドに座ったまま、寝起きで目をぱちぱちと瞬きさせているツグミの前に立つと、カラスは手櫛で、ツグミの髪の隙間に空気を押し込むように上下に揺すった。いつの間にか頭を支えている力がなくなり、自分の鳩尾に顔をうずめたままツグミが眠っていることに気づいたカラスは、その肩を揺すった。
「こっそり寝てんじゃん。わたしがいないとダメだな、もう」
ツグミはうなずくと、鳩尾から顔を離して立ち上がった。
「色々さ、本当にありがとう。作業場に戻る」
カラスに見送られて、ツグミは地下駐車場から一階に上がった。食堂と作業場の間にある通路に踏み出したとき、サクラとすれ違った。目で挨拶を交わしただけだったが、足音が後ろで止まり、声がかかった。
「ツグミ、ちょっと付き合って」
振り返ったサクラは煙草を指で挟む仕草をして、ゲームコーナーの裏にある喫煙所の方向を指差した。ツグミは素直に後をついていき、空気清浄機が轟音で動き続ける無人の喫煙所に入った。サクラは、マルボロの箱を上着のポケットから取り出すと一本をくわえて、片手に持ったライターで火を点けた。男勝りな仕草は、相変わらずだ。ツグミが真横に立ってその言葉を待っていると、サクラはじりじりと赤く光る煙草を口元から離して、煙を吐き出しながらツグミの方を向いた。ツグミが思わず咳き込むと、サクラは言った。
「お疲れ様。あなたの意見が聞きたいから、ここに呼んだ。茅野さんは、アザミのところに自分から出向いて、話してる。篠原さんと揉めてたとか、そういうことは聞いてない?」
「依頼のやりとりだけなので、あの二人の関係はよく分かっていません」