Faff
ユナートルオーディナンスの1911。在庫の棚から取り上げると、茅野はスライドの刻印をじっと見つめた。ツグミに確認した通りだった。この銃は、二〇一六年の十月に理容室シエラを通して手配され、襲撃者の手に渡った。茅野は言った。
「おれたちが、この銃を手配したんだ」
うんざりするぐらいに篠原から聞かされた『おれたち』という言葉。その本当の意味を汲んで使う機会があるとすれば、まさに今だった。用意された弾が飛んでいった先に、篠原は含まれていなかったのだから。そこにいたのは、中途半端な反撃をした理髪師と、実際に弾を体で受ける羽目になった無関係の少年だけだった。
茅野は、埃っぽい倉庫の中を見渡した。狭い世界だが、狭いからこそ身動きを取れる幅がなく、常に命がけだった。そういう意味では、篠原も同じだったのかもしれない。依頼をごまかして、余った予算をせっせと貯蓄に回し、組織の中ではそれなりにいい立場にあって、自分の好きなように駒を動かしていた。じゃあ、動かせない駒は?
篠原と揉めた人間は、小柳のようにどこかで消息不明になるというオチが待っている。
『銃のせいで死人が出たら、大変なことになるぞ』という、篠原への唯一の警告。今思えば、あれは余計なひと言だった。
「あの依頼を出したのは、お前だろ? 小柳と同じように、おれをあの場で終わらせようとした」
茅野が言うと、篠原は肩をすくめた。歩いていて、たまたま足が野良猫に当たってしまったような軽い気まずさを込めた表情で、首を横に振った。
「おれは、お前を殺したかったわけじゃない」
茅野が続きを待っていると、篠原は咳ばらいをしてから、立てかけられたAK74に目を向けた。
「お前、どうして自分がそこに立ってるか、考えたことはあるか?」
茅野は、爪切りのような音が鳴ったことを思い出しながら、言った。
「一発目が、不発だったからだよ」
篠原はうなずいたが、AK74の薬室を指差した。
「不発とか、それ以前の話だ。一発目は、炸薬がそもそも入ってない」
茅野は、篠原の顔を見据えた。暗闇の中で、その本当の目的が見え隠れした気がした。あの襲撃者は初めから、失敗するようにお膳立てされていた。
「おれを殺さないだけの理由が、あったんだな」
「当たり前だろ。お前を殺して、おれに何の得があるんだ」
篠原はそう言うと、タオルでもう一度顔を拭いてから立ち上がり、続けた。
「お前なら、相手の銃から一発目が出ないだけで返り討ちにできるはずだって、信じてたよ。実際、結果的にどうなった? おれたちはどうして、今でもこの仕事を続けてるんだ?」
例の襲撃事件が起きたことで、いや、オーナーが反撃して追い返したことで、ホテルの中で理容室シエラの評判が上がったからだ。茅野は自分が生き残れた理由を悟り、歯を食いしばった。
死にかけることすら、篠原の描いたシナリオだったということだ。茅野は言った。
「それでおれに、銃を持つように言ってたのか」
「そう、おれたちは名コンビだからな。それにしても、今になってどうして、こんな昔のことを掘り起こしたんだ?」
篠原はそれだけが不思議で仕方ないように、顔をしかめた。茅野は口角を上げるだけにとどめ、何も言わなかった。今でも仕事を続けているのは、篠原が小細工をしたからじゃない。あの襲撃事件から一年と少しが過ぎたときに、糸は一度切れている。
二〇一八年の一月、手配した38口径が偶然六発余った。コルトコマンドースペシャルはまだ手元にあり、そのシリンダーはずっと空っぽだった。自分の命を終わらせるだけの話なのに、偶然弾が余るのを待っていたのはあまりに情けない気がするが、とにかくそれが後押しになって、自分の頭に銃口を向ける覚悟ができた。そして、次の仕事を最後にすると決めて、依頼のメッセージを開いた。内容はいつも通りだったが、最後に私信が添付されていて、そこにはこう書かれていた。
『新しくツグミに任命されました、ボブカットのアンです。覚えてますか?』
それを読んでしまった以上、引き金は引けなくなった。そして、引退も死もゴールポストが後ろにずれたまま、八年が過ぎた。その間に、土産物コーナーで話しかけてきたアンちゃんはツグミとして仕事をこなし、ついに二十五歳になった。最年長になった以上、何が起きても不思議じゃない。アンちゃんは、キャリアの分岐点まで生き延びた。だとしたら、その先の道筋を立てなければならない。
だから、こっちから行動を起こすことにした。
まずは、ツグミに当時の依頼内容を確認して、九年前に理容室シエラを襲撃したのが内部の人間だということを確認した。
次は、理容室シエラの仕事振りについてのタレコミで、これが篠原に火を点けた。そして、ほぼ同時にツグミの殺害予告を広めた。優秀な人間をホテルが見捨てるはずがないとは思っていたが、想像通り、異動の話が出た。レッカー業者を通じて広めるのは骨が折れたが、結果は上出来だった。これで、ツグミとの接点は完全に切れる。これが上手くいかなかったら、ここで諦めていただろう。
最後の仕上げは、あとひとつだけ。その内容は、ツグミにだけは知られたくない。
茅野が黙っていることに耐えられなくなった篠原は、言った。
「わざわざここに呼び出して演説したかったのなら、何時間でも聞いてやる。それが目的か?」
「違う。第一、そんな時間はないぞ」
茅野は即答すると、腕組みをして笑顔を浮かべた。篠原が首を傾げると、それが当たり前のことのように、淡々とした口調で言った。
「もうすぐ、モズがおれたちを殺しに来る」
米原はランドクルーザーから降りて、音を立てないようにドアを閉めた。パチンコ屋の廃墟の裏側は真っ暗で、光が入らない。目はとうに慣れていて、星が出ている空が明るく見えすぎるぐらいだった。標的の建物までは、五十メートルほど。AK104のボルトを静かに操作して一発目を薬室に装填すると、米原はプレートキャリアの重さに閉口したまま、身を低くして歩き始めた。建物の中にいる全員を殺して、来た道を戻る。単純な仕事だ。パチンコ屋の終端まで来て、米原はAK104を低く構えたまま、その先に建つ標的の建物に目を向けた。
平屋で、裏口のドアは半開きになっている。道路に面している側には車が二台停まっていて、一台はアストンマーティン、もう一台は年季の入ったハイエース。中には最低でも二人がいる。米原は身を低くしたまま裏口をぐるりと迂回し、半開きになったドアの隙間から見えない位置まで移動してから、伏せた。裏口までは二十メートルほど。全体は見えないが、二台の車も視界に入っている。指でセレクターに触れ、セミオートの位置に合っていることを確認した米原は、小さく息をついた。相手が何人にせよ、中にいるのは分かった。車で逃げようとしても、この距離なら簡単に撃てる。
篠原は、しかめ面のまま笑った。
「何を言ってるんだ?」
「言葉の通りだよ。依頼が出てるだろ? サプレッサーのついたライフルで、口径は7.62ミリ。昨日の夜、ツグミが回収してるはずだ。おれたちで、用意しただろ?」